完全に黒い霧に取り囲まれたカレンとファウストは身を寄せ合っている。
ジリジリと追い詰めるように黒い霧が迫ってきて、ミカエルは上機嫌な様子で笑っていた。
「たかが人間如きが、魔神デーヴァの力を取り込んだ私に敵うわけがないであろう」
ミカエルはカレンを見下ろして続ける。
「……お前が私を愛するまで、何度だってやり直してやる」
そう言って、ミカエルはそっと地面に降り立ちカレンの前にやってきた。
「最後は私の手で終わらせてやろう」
ミカエルがカレンに腕を伸ばすと、バチッと大きな音を立てて紫雷に弾かれる。
「こんなところで終わらないわ……!」
カレンは頭をフル回転させて、この場から抜け出すことを考えた。
ファウストと共に魔天城まで戻らなければならないのに、に黒い霧にぐるりと囲まれて逃げ場がない。
(どうやってミカエルの隙をついたらいい? また前みたいに騙す? それとも雷魔法を放って抜け道を作る?)
ジリジリと焦燥感が込み上げて、カレンを追い詰める。
(抜け道……私とファウストがここから抜けられるくらいの隙間ができれば……!)
カレンは再び特級魔法を全力で放った。
「ウィオラ・ベス・トニトルス!」
今度は四方八方に放つのではなく、あるポイントに向かって集中するように魔法を操作する。
いくつもの雷撃がファウストの背後の黒い霧を打ち消し、向こう側の景色が視界に飛び込んできた。
「ファウスト!」
カレンはファウストの手を取って駆け出し、さらに特級魔法を放ちながら黒い霧の侵入を阻む。
ギリギリで黒い壁から抜け出し、そのまま街道を走り抜けた。カレンは風魔法を使えるが、ミカエルから逃げ切れるほどの腕はない。
かといって、今のファウストに転移魔法を使わせて負担をかけることもしたくない。
(どうやって魔天城まで戻ればいい……?)
賢者たちに助けを求めるにも、手紙を書く暇がないのだ。
「カレン。初級魔法なら使えるから、僕が賢者たちに知らせる」
「でも……っ!」
「大丈夫。それくらいじゃ死なないよ」
ファウストを頼るしかない自分の不甲斐なさに、カレンは悔しくてたまらなかった。
「ごめん、魔天城に戻ったら風魔法を特訓するから」
「じゃあ、また僕が教えるよ」
ファウストはふわっと微笑んで、土人形をあっという間に作り出す。そしてなにかを囁いたと思ったら、土人形は地面に潜って姿を消した。
「土人形と僕を繋げたから、セトがこの状況にすぐに気が付くはずだ。土人形を介して居場所も把握できるから、もうすぐ応援が来るよ」
「ファウスト、ありがとう……!」
もう少し、もう少しだけ踏ん張れば心強い仲間たちが来てくれる。
しかし、安堵したのは一瞬のことで、影の中からミカエルが突然姿を現した。
「いつまで逃げるつもりだ? いい加減無駄だと気付け」
息を切らしたカレンとファウストは足を止める。
ミカエルは氷のような視線を向けて、おもむろに手を向けた。
「ダーク・ファング」
闇魔法の初級魔法をカレンたちに向けて放つ。何十もの黒い霧が鋭い牙の形になってカレンとファウストに襲いかかった。
(闇の初級魔法なのに、この数……! これも魔神デーヴァの力なの!?)
通常であれば、初級魔法は数個からせいぜい十個くらいの攻撃を作り出すものだ。だが、ミカエルは五十近い攻撃を繰り出している。
「ウィオラーム・テンペスタ!」
すぐにカレンが雷魔法を操り、襲いかかる黒い霧を打ち消していった。
「ふむ。ではこれはどうだ? ブラック・カーズ」
今度は闇の中級魔法だ。影から漆黒の鎖がカレンに向かって勢いよく伸びてきた。
漆黒の鎖に捕まると思った瞬間、目の前に濃紫のローブが飛び込んでくる。
「ファウスト!」
「くっ!」
漆黒の鎖はファウストの右手首に巻きつき、魔力を奪い始めた。
「駄目……駄目、ファウストの魔力を奪わないで!」
「……ぐあっ!」
義手が引きちぎられるように外されて、ファウストが顔を歪める。
「なんだ、お前は引っ込んでいろ。カレンを殺したら、また時間を戻す必要があるからな」
「させない……もう二度と、カレンを殺させない!」
「ふん、死に損ないになにができるというのだ」
ミカエルはさらに漆黒の鎖をファウストの身体に巻きつけて、魔力を一気に奪おうとした。
「ウィオラーム・テンペスタ!」
紫雷が漆黒の鎖を砕くが、すぐに影の中から何十もの鎖が伸びてきて、カレンの身体にも鎖が巻きつく。
「面倒だな。そろそろ終わりにするか」
カレンは賢者たちの到着を今か今かと待っているが、その気配は感じない。
このままではカレンが殺されて、ファウストはまた時間を戻してしまう。
(次に時間を巻き戻したら、ファウストはどうなってしまうの……?)
今でさえ究極魔法の後遺症で身体が崩れているのだ。この状態で究極魔法を使って、ファウストが無事でいられる保証なんてない。
(駄目よ、絶対にファウストに究極魔法を使わせない。つまり、私はここで死ぬわけにはいかない……!)
「……ウィオ・クルス!」
カレンの手のひらから紫雷がほとばしり、ミカエルの顔面に襲いかかる。この魔法は雷の上級魔法で範囲が狭い分、その一撃が非常に強力だ。
「ぐあっ!」
あまりの衝撃でミカエルの闇魔法が消え去った。間髪入れずにカレンはもう一度紫雷を放つ。
「ウィオ・クルス!」
「ぐがああっ!!」
今度はミカエルの身体を直撃し、衝撃で弾き飛んでいった。
その隙に、カレンはファウストの手を握りしめて再び走り出す。
こんなところで絶対に死なない、その思いで必死に走った。
「——ファウスト! カレンちゃんっ!」
しばらく走ったところで、聞き馴染みのある声に名前を呼ばれる。
上空を見上げると、そこにいたのは風を操って飛んできたリュリュの姿があった。
「リュリュ様!」
だが、なぜかリュリュは両目を見開き、焦った表情で大きく口を開く。
「カレンちゃん、後ろ——!!」
カレンが振り返ると、そこには影から飛び出してきたミカエルがいた。
黒い霧を手にまとわせて、カレンの心臓に向かって右手を突き出す。
まるでスローモーションに見えた。
ミカエルがニヤリと笑っていたのも、カレンの目の前にファウストが飛び出したのも。
パリンッという音と共に、ファウストの胸にミカエルの右手が刺さったのも。
すべてがゆっくりと、カレンの目の前で起きていた。