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第80話 咲き乱れる花たち

 翌朝、日の出を待ってカレンたちは再び山へ登った。


 昨夜振り続けた雨によって道はぬかるんで滑りやすく、転んで怪我をしないように慎重に足を進めるしかない。結局、目的の場所へ辿り着くまで倍以上の時間を要した。


「はあ、なかなか昨日の場所まで辿り着けませんね」


 気持ちばかり先走るカレンは焦りを感じて、ついこぼしてしまう。


「大丈夫だ。確実に進んでいるから」


 そんなカレンを宥めるようにレイドルが答えた。さすが魔塔の主人というべきか、レイドルの言葉には説得力があり、カレンの気持ちは落ち着きを取り戻す。


「オレの風魔法でいけたら楽だったのにな〜」

「それだと月露の雫が飛び散る」

「そうねえ、こんな苦労があるからこそ秘薬と呼ばれるのよ」


 リュリュが愚痴を言うと、セトとサーシャが容赦なく突っ込みを入れた。


「なあ、カレンちゃんと対応が違いすぎない?」

「そんなことないさ。帰りはリュリュに頼むつもりだ」


 レイドルがそう言うと、リュリュは頼りにされて嬉しいのかニコニコと笑い「おう!」と元気よく返す。


(昨日の場所まで半分くらい……もうすぐ、結果がわかるのね)


 雨を降らせたら月露の華が咲くのではないか、というのはあくまでも仮説に過ぎない。


(もし駄目だったとしても、すぐに次の方法を探すわ)


 カレンは絶対にあきらめないと決意し、再び山を登った。


 そうして、カレンたちはようやく目的の場所へ辿り着く。


 朝の澄み切った空気の中、目の前に広がっていたのは太陽の光を受けて風に揺れる、虹色のアルペンリリーだった。


「これが……」

「うん、間違いない」

「……月露の華!」


 辺り一面に広がる虹色の花は、まるで夢の世界のように幻想的で、カレンたちはしばらくその美しさに見惚れてしまう。


 サーシャがため息まじりで呟いた。


「……こんなにも美しい景色があるなんて、想像もしていなかったわね」

「はい、本当に神の慈悲だと思います」


 虹色に輝く花々は朝露に濡れてキラキラと輝いている。

 花弁はたくさんの雫を蓄えていて、これらを集めれば月露の雫となるのだ。


「すごいな。この雫、見たことがないほど高濃度の魔力を含んでいる。……雨が降ったことで大気や地面に含まれる魔力をアルペンリリーが取り込んだのか。だから花弁に溜まった雫にも高濃度の魔力が……」


 セトは月露の雫を観察しながら、ぶつぶつと呟いている。こうしてセトは植物の知識を蓄えてきたのか、とカレンは思った。


「さあ、月露の雫を集めよう」


 レイドルの声かけでカレンはハッと我に返る。


 カレンは持参した透明の小瓶にそっと雫を取り込んで、キュッと栓をした。瓶の半分ほど雫が溜まり、中身をよく見ると虹色に光る粒子漂っている。


 まるで小瓶の中に虹を閉じ込めたようだ。


(前にもらった時は青い小瓶だったから、わからなかったけど……こんなに綺麗だったのね)


 ひとつの花から採れる雫はわずかで、小瓶を満たすためにはおよそ二十本の花から雫を採取する必要がある。


(月露の華はたくさん咲いているけど、ひと瓶でこれだけ必要となると、四、五本分かしら……)


 カレンはそう計算しながら、黙々と雫を集めた。貴重な秘薬をこぼさないように慎重に採取を続ける。


 賢者たちが月露の雫の採取を手伝ってくれたおかげで、小瓶四本分の秘薬が手に入った。


 これだけあれば、ファウストだけでなくロニーの治療にも使える。一本は謝礼として村長へ渡して、もう一本はいざという時のために魔天城で保管してもいい。


「これで……ファウストが助けられる……」


 ポロリと、カレンの頬を雫が伝う。張り詰めていた糸が切れたみたいに、ポロポロと涙がこぼれた。


「……ありが、とう……ファウストが……あり……っ」


 言葉にできないほどの感謝が、次から次へとカレンの胸に込み上げる。


「ふふっ、仲間が困っていたら助けるのは当然よ。さあ、魔天城に戻りましょう」


 サーシャに促され、涙を拭いたカレンは魔天城へと戻った。




     * * *




 魔天城に戻ってきたレイドルとサーシャは、ロニーの部屋へ向かった。


 カレンはファウストの元へと雷魔法で移動していたから、今頃は月露の雫を飲ませているだろう。


「ロニーが目を覚ますといいんだが……」

「そうね。きっと大丈夫よ。ロニーはああ見えてしぶといもの」

「ははっ、そうだな。貧弱に見えて俺たちの中で一番底力がある」


 ミカエルに取り込まれても、自我を残しファウストに証拠まで託したのだ。魔神の精神汚染にも屈しないほど芯が強い。


 それはロニーの生い立ちにあるのだと、レイドルは思う。


 魔神の力を手にした貴族が反乱を起こし、そのせいで家族を失ったロニーは、魔神を永遠に封じるという揺るがない決意を持っていた。


(その決意があったから、魔神に取り込まれても決して折れなかったんだろうな。むしろなにか弱点でも拾ってそうだ)


 そんな風に考えながら、ロニーの私室の扉を開く。


 部屋の奥にあるベッドで静かに横たわるロニーに、声をかけた。


「ロニー、月露の雫を持ってきたぞ」

「そうよ、これを飲んでさっさと目覚めなさい」


 サーシャもいつものように言葉を続ける。きっと情に厚い彼女のことだから、この月露の雫でロニーが治ることを願っているのだろう。


(サーシャは裏表がなくてわかりやすいし、かわいい女なんだけどな……元婚約者とやらは相当鈍かったのか?)


「レイドル、どうしたの? 早くロニーに月露の雫を飲ませてもらえない?」

「ああ、悪い。ほら、ロニー。口を開けろ」


 そう言いながら、レイドルはロニーの顎に手を添えて口を開かせ、月露の雫を流し込んだ。


 口に入った液体をロニーが反射的に飲み込み、喉仏が何度か動く。


 それでも目を覚さないので、レイドルは残りの雫をすべてロニーの口へ流し込んだ。


「……ッ! ゴフッ! ゴフッ、ゴホゴホゴホ!」


 激しくむせながらロニーが飛び起きて、涙目で周囲を見回す。


「ゴホゴホッ……え? ゴホッ、あ……れ?」

「ロニー! 起きるのが遅いわよ!」

「えっ!? ご、ごめん……!」


 寝起きでサーシャの叱責を食らい、慌ててロニーは謝った。その様子が以前となにも変わっていなくて、レイドルは声を上げて笑う。


「はははっ! ロニー、目覚めてよかった。魔神の力を手にしたミカエルに取り込まれていたんだが、覚えているか?」

「あ……ああ! そうだ……そうだった!」


 レイドルの言葉でロニーが置かれていた状況を思い出したのか、ベッドから降りようとしたのだが、足がもつれて倒れてしまった。


「うわっ! ったー……」

「ロニーはずっと眠っていたから急に動いたら危ないわ」


 レイドルとサーシャは倒れたロニーに手を差し出し、ベッドへ座らせる。そこでロニーはサーシャに訊ねた。


「もしかして、自分はずっと意識がなかった?」

「そうよ。ミカエルがロニーを引き剥がしたのはよかったけど、その後ずっと眠ったまま意識が戻らなかったのよ。すごく……心配したんだから」


 涙目のサーシャにロニーは小さく「ごめん」と謝る。ロニーもサーシャが仲間を大切にしていると知っているから、心から申し訳なく思っているようだ。


「でも、痛みを感じて嬉しいなんて、初めてだ。取り込まれていた時は身体の感覚がなかったから、生きてるって実感できる」


 倒れてぶつけた足をさすりながら、ロニーはクシャッと笑う。


「ははっ、そうか。ロニー、おかえり」

「レイドル、ただいま。それと、魔神とミカエルの契約について──」


 ──ドオォォォンッ!!


 ロニーが真剣な目を向けたその時、これまでにない大きな衝撃を受けて、魔天城は激しく揺れた。




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