レイドルとサーシャがロニーへ月露の雫を届けた頃、カレンもまた賢者の私室にいるファウストの元へとやってきた。
「カレンちゃん、戻ったのね……!」
「マージョリーさん、ファウストはどうですか?」
「ベッドにいるわ。少し症状が進んでいるけど、驚かないでね」
マージョリーが忠告するほどひどいのか、とカレンは息を呑む。気を利かせたマージョリーは、「ロニーを診てくる」と言って部屋を後にした。
カレンは覚悟を決めてファウストのベッドがある寝室へ静かに入る。部屋の奥にあるベッドでファウストは横になっていたが、カレンが近づくとスッと目を開けた。
「カレン……おか、えり」
「ただいま。ファウスト」
ファウストの四肢は左腕しか残っておらず、身体中に包帯が巻かれている。身体が崩れるのを防ぐためなのか、包帯には部分的に聖魔法で結界が貼られていた。
最愛の人の本当の姿を見て、カレンは涙がこぼれそうになる。
「あ……ごめ、ん。魔力の消費を、抑えるため……に、義足とか外し、てる……から」
「うん、大丈夫よ。遅くなってごめんね」
ファウストは左の義手が残っているだけで、右手の義手と両足の義足が外れていた。
さらに、うまく話せなくなっているようだ。
「ファウスト、見て。月露の雫よ。これを飲んだら、よくなるはずよ」
「ありが、とう……」
カレンはファウストの身体を起こして、ゆっくりと月露の雫を飲ませる。
月露の雫を飲ませながらも、カレンはこの一本で足りるのかと不安に駆られた。
ファウストの症状が思ったよりも進んでいたからだ。最悪の場合、もう一度月露の雫を採取しに行かなければならない。
(そうなったら、もう一度戻ってくるまで、ファウストの身体が持つか……)
祈るような気持ちで月露の雫をファウストに飲ませたが、半分ほど飲んでもなんの変化もないようだ。
「ファウスト、どう? 薬は効いてる?」
「あ……あー。うん、話しやすくなった。でも、手足は変わらないな」
「どうして……どうして月露の雫が効かないの!?」
ファウストはあきらめたように笑った。
寂しそうに、悲しそうに、でもカレンを労る気持ちも伝わってくる。
それが、カレンと共に過ごすことを、この先も生きると望むことを放棄したように見えた。
「駄目……あきらめないで……! 私はファウストと、ずっと一緒にいたいの!」
「うん、僕も同じ気持ちだよ。でも、月露の雫が効かないとなら……覚悟を決めないと」
「私は……絶対にあきらめない」
「カレン、もういいよ」
「よくない!」
カレンは全神経を集中させて、ファウストの様子を観察する。
ほんのわずかな痕跡から、なにかのヒントが見つかるかもしれない。
(落ち着いて考えるのよ。話しやすくなったということは、月露の雫が効いていないわけじゃない)
今度は魔力の流れを目で追うように凝視する。ファウストの頭の先から左手の指先、それに崩れてしまった足まで、くまなく魔力の流れを読み取った。
(頭と左手は魔力が身体を覆うように定着している……でも、右手と両足からは魔力が流れ出ている……もしかして、身体が崩れているから?)
アルペンリリーは大気や地面から魔力を取り込み蓄えて、花弁に溜まった水滴に魔力を与えていた。
つまり、人間かどうかではなく、形あるものかどうかが重要なのかもしれない。
(それなら、この崩れている右手と左手から魔力が溢れないように塞ぐことができれば、月露の雫は効くはず……!)
月露の雫は残り半分。
ここでなんとしても回復させないと、カレンが月露の雫を採取して戻ってきた時にファウストが生きている保証なんてない。
魔力が流れ出てしまう原因は、魔力の回路が断絶されているからだ。
(壊れた魔力の回路はどうやって治せる……?)
カレンはこれまで読んだ本や、自身が経験してきた記憶を隅々まで漁っていく。
(水路や道路は壊れた場所に同じ素材を使用して修復するし、傷ならガーゼを当てて包帯を巻き、自己治癒しやすいように環境を整えるわ)
では、魔力の回路にもそれが適用されないだろうか。
「そうだわ……! 最初の巻き戻りの時にファウストは私の魂の傷を癒したのよね? どうやったの!?」
「……あれは特殊な方法で時間を巻き戻る魔法陣に、カレンの傷ついた部分に僕の魔力を補うような術式を組み込んだんだ」
「魔力を補う……つまりは与えるということよね」
同じ性質のものを用意して修復するなら、水路や道路を直すのと近い感覚なのかもしれない。
それなら今度はカレンがファウストの傷ついた魔力の回路を修復するように、魔力を与えればいいだけだ。
それに、以前、マージョリーが話していた。
『傷ついた魔力回路を修復するためには、親和性の高い魔力を流して少しずつ傷を塞ぐ必要があるの』
さらにこうも言っていた。
『魔力回路を修復するためには、相手の粘膜を介したり、直接触れ合ったりして、相手に直接自分の魔力を流し込まないと駄目なのよ』
カレンは魔力を与える方法を学んでいないが、触れ合うだけでいいなら問題ない。
すぐにファウストの左手をそっと握り魔力を送ってみる。
「カレン……?」
だが、いくら魔力を送っても手応えがないし、ファウストも不思議そうな顔をした。
(損傷箇所が広すぎて触れるだけでは駄目なのか、触れる面積が少なすぎて駄目なのか……いいわ、万全を期して臨むだけよ)
覚悟を決めたカレンは、手にしていた月露の雫を全て口に含み、そのままファウストを抱きしめて口付けする。
決して甘くはないけれど、カレンのすべてを捧げた深い深い口付けだった。