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第27話

結局のところ、月子の道案内などなくとも、男爵夫婦はスタスタと先を行っている。


あれこれ理由をつけているが、男爵家は、すべて、調べ尽くしているのだろう。


思えば、これは、見合い。相手の事を、前もって調べるのは世の常で、男爵家ならば、なおさら慎重になるはずだ。


ふと、月子に、執事の吉田の顔がよぎった。同時に、見送り事で最後に立ち会った、西条家の瀬川のことも月子は、思い出していた。


「なに、恥ずかしがることはない。君は、歩けんのだから」


岩崎が、背中ごしに言って来る。


「……あ……」


そうだった。当たり前のように、しがみついていたけれど、月子は、出会っただけの岩崎に、何度、こうして、おぶさっているのだろう。


良く考えれば不自然極まる。


「あらあら、月子さんったら、照れちゃって。で、なんで、京介さんは、平気なのかしら?普通、二人で、初々しく顔を真っ赤にするものでしょ?」


あぁ、からかいがいがないわ、などと、先を行く芳子が冷やかしてくれた。


そして、男爵は、隣でニコニコしているだけだった。


自由奔放な芳子を、岩崎男爵は、そっと見守る。そんな形が、二人の間では出来上がっているようで、自分も、いずれは、こうなれるのだろうか、と、月子は思いつつ、あっと、息をのむ。


それは、おぶさっている岩崎と、ということで、大それた事を考えてしまったものだと、思わず、ぎゅっと、体に力が入った。


月子の戸惑いを知ってか知らずか、その岩崎は、


「まったく。私達の事をなんだと思っているのやら。しかし、義姉上は、結婚前は、ああではなかったのだがなぁ。いわゆる、猫を被っていたのだろうか?まあ、無駄に我慢するのもどうかと思う。君も、私に言いたいことがあれば、なんなりと言うといい。暮らしていると、何かと不便もでてくるだろう。遠慮はなしだ。私は気が回らないほうだから、言ってもらわねば、わからんということも多いだろうし……」


諦め口調だが、楽しそうに言ってくれた。


「……え?」


月子は、うっかり、声をあげていた。


芳子の態度に引っかけているが、岩崎は、これからの事、つまり、二人で一緒にやっていく事を、話している。それも、どうも女中として、こうあって欲しいと言った類いのものではない。


これはやはり見合いで、そして、岩崎は、月子と一緒になると……、決めたのだろう。


どう答えれば。と、月子は、戸惑った。


「うん、どうすれば、良いかなぁ。私はこのままでも良いが、挨拶だろ?君を背負ったままというのは、礼儀に反するか?さて、どう思うかね?」


戸惑い切る月子の事など、なんとも思っていないのだろう岩崎は、先に行く兄夫婦の姿を見つめている。


「月子さん、こちらのお宅なのでしょ?」


芳子が、振り返り、呼びかけて来た。


「ああ、三田に運転させなくてよかった。先客があるようだよ?芳子」


「京一さん、ほんと。車が停まってますね」


三田の腕なら、先に停まっている車と接触しかねなかったなどと、男爵夫婦は、二人して頷きあっている。


岩崎が言っていた様に、三田という運転手は、車の扱い方にまだまだ不馴れなのかと、月子は理解したが、確かに、車が一台、西条家の門柱の先に停まっていた。


西条家は来客中ということで、それも、車で乗り付けて来るほど、それなりの客なのだろう。


人力車、なら、月子も納得できたが、車でやって来るほどの客には心当たりがなかった。


「おや、田村さんか……」


男爵の姿を見つけたのか、車から運転手が飛びだして来ると、こちらに向かって深々と頭を下げる。


「ん?京一さん?田村様って、それは、あの……」


「あー、確か、西条家へ婿に入るとかなんとかって、やつじゃなかったかなぁ?田村家は、男子ばかりだから、一人ぐらい家から出でもなんともない、なんて、田村さんも言っていたような……」


ん?と、首をひねりながらも、男爵は、運転手へ軽く会釈している。


その隣で、芳子が、当然のごとく、面白くなりそうだ、などと、また、意味深な事を言った。


「いや、その、義姉上。来客中なら、また日をあらためて……」


芳子の様子に、岩崎が焦った。もちろん、月子も内心、何かが起こりそうだと焦る。


「なに言ってるの!かれこれ歩いて、西条家に到着したのよ!それより、田村様ってことは、佐紀子とやらの、縁談相手になる訳でしょ?!で、どうして、今、いるわけなのよ?!いったい、なんなの!西条家の、この動きの良さわっっ!!」


ムカつくわね、と、眉をしかめる芳子に、岩崎と月子は、やはり、と、思い、一方、男爵は、将来の親族が集まったのだから丁度良い。などと、呑気の事を言っていた。


月子は、びくついていた。


あの西条家の客間へ向かって、廊下を岩崎に背負わせたまま、進んでいるのだから。


先に来ていた、田村家の運転手が、率先して動いた。


西条家の玄関を開け、岩崎男爵様がおみえだと、知らせたのだ。


瀬川が慌てて現れ、男爵へ挨拶を行った。


芳子も、岩崎も、男爵の後ろに控え、まさに、成り行きを見ているだけの状態だった。


もちろん、瀬川のこと。背負われた月子を目敏く見つけるが、それは、男爵が、弟のせいで、月子に怪我をさせてしまったのだと、話は、またまた、大きくなっていく。


その詫びもだが、月子を早速もらい受けたい。男爵家の人間としてふさわしい花嫁修行に入らせたい。と、男爵は、瀬川に言った。


そんなことから、一行は、瀬川に先導され、客間へ向かっているのだった。


もちろん、月子は、男爵の命により、岩崎に背負われたままだ。


瀬川は、不審な顔をしたが、歩かせるつもりかとの、男爵の一声に、滅相もございませんなとと、頭を下げ素直にしたがった。


芳子は、素知らぬ顔で、控えている。岩崎も、兄に、任せきり、黙っていた。


廊下を進みつつ、月子は、男爵という位の本当の意味合いに、恐ろしさを感じた。


皆、手のひら返しを越えている。這いつくばる様に、率先して、岩崎男爵を奉っている。


そこまでの、家へ、月子は、招かれる事になってしまった。訳あり、とは、実は、この事ではなかろうか。庶民の育ちの月子には、計り知れない力が、動く世界が存在するのだと、痛感していた。


果たして、自分は、ついていけるのだろうか。どう、振る舞えば良いのか分からない。


そして……。


瀬川が、恐縮しながら、障子を開けた。


こちらへと、男爵一行へ声をかけると言うことは、西条家側には、来訪が伝わっているのだろう。


客間からは、話し声か漏れている。


田村家の人間と話しているのか。


佐紀子の縁談先と、かち合ってしまったことが、月子は気が重かった。


こちらが、大事な席に突然現れたのだ。何か、嫌みのひとつぐらいは言われる事だろう。


「おや、やはり、田村さんでしたか」


「これは!岩崎男爵様!奇遇ですな!」


男爵は、知った顔がいると、すかずか部屋へ入り込む。


「おや?!奥様もご一緒で?!」


白髪頭の、男爵とそう年回りの違わない恰幅のよい男性が、さあどうぞどうぞと、座る上座から腰を上げた。


「あら、洋式じゃないのね」


芳子が、やっと、というべきか、ここぞというべきか、ぐるりと部屋を見回しながら言う。


その場にいる、田村、そして、隣に座る若い男、佐紀子と野口のおばが、芳子へ注目した。


「だって、京一さん。月子さんは、足を痛めているのよ?椅子じゃないと、座れないでしょ?」


と、すました顔で男爵に意見する。


申し訳ございませんと、廊下から瀬川が詫びてくるが、佐紀子と野口のおばは、岩崎に背負われている月子を、じろりと睨み付けて来た。


二人とも、何故、月子が、背負われているのかと、言いたげではあったが、それ以上に、月子の装いを、穴が開くほど見つめている。こちらも、一言二言意見したくて、たまらないと堪えているようだった。


「そうねぇ、じゃあ、京介さんが椅子におなりなさいよ」


芳子は、突拍子もないことを言って、当然上座に座るものだとばかりに、男爵の隣に腰を下ろした。


「え?!」


芳子の冗談かと月子は、思いたかったが、岩崎は、なるほど、などと同意して、月子を背負ったまま、器用に座り、そして、月子へ自分の膝を勧めた。


つまり、岩崎の膝の上に横座りしろと言われている訳で、それはなかろうと、月子ならずも、皆、唖然としている。


が、男爵夫婦は、それがいいと、にこやかに言い切っている。


「おや、またそれは……」


田村が不思議そうに言った。


男爵と面識があるからか、唯一、言葉を交わせる立場にいるかのよう、一人、率先して口を開いてくるのだが、岩崎男爵家一行のせいで、上座から、佐紀子が座る下座、向かい側に座らされても、ご機嫌な様子だった。


「まあ、私どもは、すぐに引きあげますから、暫くは、目の毒でしょうけど」


はははと、男爵は、笑い、


「あら、二人とも気が合っているのよ。なにより、京介さんが、月子さんを気に入ってるんだから、京一さん、それぐらい、させてあげないと、京介さんが、我慢できないかも」


続けて、芳子が軽口を叩いた。


ふふふと、笑んでいるが、その視線は何故か、向かい合わせに座る佐紀子に定まっている。


「まあ、暫くのことですし、月子さんが怪我したのは私のせいでもありますから」


と、岩崎まで、さらりと言うと、月子の体をしっかり包み込むように手を添えた。


「へぇ、なんだかんだ、いい具合なんだ。それにしても、佐紀子さんの妹さん?結構可愛いねぇ」


田村の横に座る若者が、口を挟んで来る。


「これ、みのる。男爵様の前だぞ」


「でも、父上、親族顔合せで、丁度良いのでは?」


にやつきなから、若者が言う。


「もしや、そちらは……」


「ええ、男爵様。うちの息子で、佐紀子さんの婿に。本日は、まあ、顔合せというか、今後の話を……」


佐紀子の縁談話を決めてしまおうと、野口のおばが焦ったようだった。ばつが悪そうに、それでも、必死で作り笑いを見せている。


さらに、舐めるように、月子を見る、佐紀子の相手、みのるとやらの、軽薄そうな態度も、月子は、なんとなく不快だった。

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