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四杯目:小さな幸せ喫茶の、懐かしい記憶

「どうすれば、おじいちゃんのように出来るの?」




 ある真夏の日に、僕は祖父に尋ねてみた。


 祖父はコーヒー豆を挽きながら、静かに答えてくれた。


涼介りょうすけ、それはな――――」


 ――――カラン。


 祖父の淹れてくれた、アイスコーヒーの氷が溶け、静かな店内に響き渡る。


 しかし当時の僕は、その言葉の意味を理解することは出来なかった。






 ******






「ずっと思っていたんですけど。青山さんって、アイスコーヒーは淹れないんですか?」


 何気ないその一言で、僕、青山あおやま 涼介りょうすけは思わず作業する手を止めてしまう。


「あ、えっと……」


 僕がしどろもどろしていると、それに気づいた従兄弟の陽ちゃん……古奈こな 陽太ようたくんが助け舟を出してくれた。


「あのね、みどりさん。涼ちゃんは今、アイスコーヒーを淹れる修行をしてるの」

「『修行』?」


 陽ちゃんは僕の代わりに、常連の夏風なつかぜ 碧さんにアイスコーヒーを差し出す。


「そそ。涼ちゃんはね、ウチのじーちゃんと一緒で職人気質なの。んで、『自分が納得できるものが淹れられるまで、お客さんには出せない』って、頑固として淹れないんだよ」

「そうだったんですか」

「よっ、陽ちゃんっ!」


 あっさりとバラされた僕は、陽ちゃんに向かって恥ずかし交じりに少しだけ声を荒らげてしまう。陽ちゃんは僕の気持ちを知ってか知らずか、口笛を軽く吹きながらそっぽを向く。

 そんな僕らのやり取りを、夏風さんはクスクスと小さく笑っている。


「じゃあこうして私にアイスコーヒーを淹れてくれる陽太くんは、自分の納得できるものを淹れられたの?」

「え、俺? いやいや、俺はじーちゃんや涼ちゃんと違って、ラフでフリーダムな子だから。特にこだわりとかは持ってないよ」


 陽ちゃんは手と首を横に振りながら「ないない」と、全否定している。


「あ、でもそんじょそこらの素人が淹れるアイスコーヒーよりは、俺の方が美味しいと思うよ。なんせ俺は、とっても器用な子なので」


 自信満々に言う陽ちゃんに、僕と夏風さんは「それ自分で言っちゃうの?」と苦笑い混じりに聞いてしまう。


 でも、実際に陽ちゃんは昔からとても器用だった。教えたことはすぐに覚えるし、なんでもそつなくこなしてしまう。

 そんな陽ちゃんが羨ましくないかと聞かれれば、『そうじゃない』というのは嘘になる。

 祖父から受け継いだ喫茶店で、こうして毎日コーヒーを淹れるしか能がない僕と違い、まだ大学生ということもあって、陽ちゃんの将来は有望だ。


 まだ祖父が店に立っていた時に、二人で遊び半分でコーヒーを淹れる練習をした。鈍臭い僕と違って、陽ちゃんはすぐに覚えた。


「けど、陽ちゃんが器用なのは本当だよね。僕も陽ちゃんみたいに、器用で要領がよかったらなぁ……」


 カップを拭きながら、思わずそんな言葉をこぼしてしまい、僕はハッとする。


「あっ……ごめん、陽ちゃ……」

「ん? いや、別に俺は気にしてないからいいよ」


 僕は俯きながら、再びカップを拭く。

 陽ちゃんも陽ちゃんなりに努力しているのは、僕も知っている。だからこそ、それら全てを否定し、表面上だけ見て羨むことは卑怯だとも分かっている。


「いやまぁね。俺が器用で天才なのは、事実だからさ。色んな人に『要領がいいね』とか、『悩みなさそう』とか。しかもコミュ力も神がかってるせいか、『なんかチャラそう』ってのもよく言われるのよねぇ」

「陽太くん、誰もそこまで言ってないよ」


 夏風さんの鋭い指摘に、陽ちゃんはどこ吹く風と言ったように聞き流す。


「でもさ、俺的には涼ちゃんの方が羨ましいんだよなぁ」

「……えっ? 僕が……?」


 陽ちゃんからの意外な言葉に、僕は驚く。


「涼ちゃんって、昔から一途じゃない? 俺がすぐに飽きて投げ出しちゃうことも、涼ちゃんは一生懸命努力して。しかもそれをものにして、仕事にしてんの。俺は『根気強く』とか、『粘り強く』ってのは苦手だし出来ないから、スッゲー羨ましい」


 陽ちゃんからの真っ直ぐで嘘偽りのない言葉に、僕は嬉しくも恥ずかしくて、思わず布巾で顔を隠してしまう。


「よ、陽ちゃん! 恥ずかしいから、もうやめて!!」

「えー? 俺、涼ちゃん大好きだから、涼ちゃんのいい所や好きな所、沢山言えるよー? ねぇ、碧さん?」

「わ、私に振らないで……!?」


 夏風さんも、どうしてだか顔を隠してしまう。


「まぁ、でもさ。そんな涼ちゃんだからこそ、じーちゃんも自分の大切な店を涼ちゃんに託そうと思ったんだよ」

「そう……かな?」


「きっとそうですよ! 青山さんのおじいさまに、直接お会いしたことないですが……青山さんのその誠実さとか、こだわりとか……そういうのを引っくるめて、おじいさまは青山さんにお店を継いで欲しかったんですよ!」

「碧さん、めっちゃいいこと言うじゃん」


 陽ちゃんは夏風さんに向かって、パチパチと手を叩く。


 だからだろうか。僕は昔、祖父に尋ねた日のことを思い出す。




『涼介、それはな――――』




 僕は磨き終えたカップを置く。


「……僕は」

「ん?」


 僕の言葉に、二人が視線を向けて首を傾げる。


「僕は、おじいちゃんの……祖父のような、素敵なバリスタになりたい、です……」


 最後は少し恥ずかしくて、小声になってしまった。

 だがそんな僕を、二人は笑って受け入れてくれる。


「もうなれてるよ、涼ちゃん」

「そうですよ! 青山さんは立派なバリスタです!」


 二人にそう言って貰えて、僕は本当に嬉しくて、心から感謝の気持ちを伝える。


「ありがとうございます」




 ******




「ずっと思っていたんですけど」

「はい、どうされましたか?」


 僕が淹れたブレンドコーヒーを飲みながら、夏風さんが尋ねてくる。


「青山さんのコーヒー、最近本当に美味しくて。……あっ! 別に悪い意味じゃないですよ!? 元々美味しかったコーヒーが、さらに美味しくなったなーって言う、その……」


 あたふたとする夏風さんに、僕はクスリと笑う。


「あー、それ俺も思った。涼ちゃんコーヒーを淹れる腕、さらに上がってるよねー。……どったの?」


 陽ちゃんにも言われ、僕は自分の淹れたコーヒーをジッと見つめる。


「この間……お二人と話している時に、ふと昔、祖父と話した時のことを思い出して」

「どんなお話ですか?」

「そうですね……」



 まだ僕が、何も知らない学生だった頃。

 祖父の淹れてくれたアイスコーヒーを、初めてブラックで飲んだあの日のことを。



「『美味しいコーヒーを淹れるコツ』、ですね」

「え? 何それ、俺も知りたーい」


 陽ちゃんはカウンターに肘をつきながら、答えを聞きたがっている。


「それは……」




 ――――あの時、初めてブラックで飲んだアイスコーヒーは、スッキリとした酸味と苦味の中に、どこか優しい味がした。




 期待の眼差しを向ける二人に、僕は人差し指を立てる。




「企業秘密、です」




 少し悪戯っぽく言えば、二人は残念そうに肩を落として、それ以上は言及してこなかった。


 そんな二人を見ながら、僕は内心思うのだ。



、おじいちゃんのようなアイスコーヒーも、淹れられるかもしれない)






 ******






「どうすれば、おじいちゃんのように出来るの?」

「涼介、それはな」


 祖父は僕の頭を撫でながら、こう答えた。




「最後の一滴まで、大切な人のことを浮かべながら淹れるんだよ」

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