「アーロン様、本当に行くのですか?」
捨てられた子犬のように目をうるうるさせてアーロンを見つめるのは、代官のカルロスだ。
役人たちも同じように目をうるうるさせている。
「……アーロン様がいなくなったら、誰がサインするのですか!?」
一転して、鬼気迫る表情になったカルロスにアーロンは苦笑しつつ応えた。
「あー、1週間に1回は帰るよ(会談回数を減らして貰うように父上にお願いしなきゃなぁ)」
多くの貴族たちから会談予約を受けている為、アーロンは忙しい。
予約を減らすしか、オルジュ領に掛ける時間を捻出することができないのだ。
「本当ですか!?ありがとうございますぅ!アーロン様!」
泣きながらお礼を言うカルロスに軽く引きつつ、アーロンは手を振る。
「うん、じゃあ、またね。カルロス、みんな」
そう言うとアーロンは、キーワードを口にし、リートとヒューバートを伴って領主館の庭に設置した転移門に入った。
因みに今回のキーワードは【王都へ】だ。
ヴァルトに向かうときは、【ヴァルトへ】と言えば良い。
便利な移動手段だ。
アーロンがこの転移門を普及させないのは、悪用されるのを防ぐ為だ。
この転移門があれば、あっという間に隣の領地に何人でも入ることができる。
例えば、貴族が私兵と共に隣の領地を襲って領地を奪うことだってできる。
その場合、国が悪用した貴族を罰するだろうが、少なからず犠牲は出るだろう。
そういったことがないように、転移門は限られた人しか使えないように設定しているのだ。
魔導列車も悪用される可能性はあるかもしれないが、国営で騎士も常駐しているので、アーロンはそこまで心配していない。
「到着っと」
王宮の庭にある転移門から出たアーロン一行は、王城を経由して、城下にやってきた。
そして、一軒の仕立屋に入る。
仕立屋【薔薇色の糸】。主に貴族向けの服を仕立てているが、王立アラバスター学園の制服も仕立てる。
本日、アーロンは依頼した王立アラバスター学園の制服と礼装を取りに来たのだ。
1ヶ月程前にアーロンはこの仕立屋に依頼をしており、そのときに身体のサイズを測って貰っている。
日々、成長しているので、服のサイズは少し大きめに依頼している。
「まあまあ、アーロン様!いらっしゃいませ」
仕立屋の主であるマダムアデラがアーロンを笑顔で迎えた。
「制服と礼装を取りに来ました」
「お待ち下さいませ」
マダムアデラはスタッフに指示して、取りに行かせると、アーロンに話し掛けた。
「伯爵位を叙爵されたとお聞きしました。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「そういえば、噂を聞きましたわ」
マダムアデラが声を潜める。
「どういった噂ですか?」
アーロンもまた小声で問い返した。
「なんでも東の帝国がきな臭いという噂でしたわ」
「……そうですか、戦争は起こって欲しくないですね」
「本当に。平和が一番ですわ」
そんな話をしていると、アーロンの制服と礼装を持ったスタッフがやってきた。
「ご試着されていきますか?」
「否、このままで大丈夫です。ありがとう、マダム」
「いいえ。またのご来店をお待ちしております」
成長期だからすぐ来るかも、とアーロンは思いつつ、薔薇色の糸を後にした。
「ヒューバート、どこかの店で個室を見つけてくれる?」
「かしこまりました」
ヒューバートを見送りつつ、アーロンは思案した。
(スルス帝国の情報は森影から伝わってきているけど、それは外部に漏れない筈、となると、
これは
暫くして戻ってきたヒューバートに連れられて、とあるレストランの個室に入ったアーロンは、
辛うじて気配を感じる方にアーロンは声を掛ける。
「いるよね?森影」
すたっ、と降り立ったのは町人風の細身の男だった。
「お待たせしました、主様」
「最近は君が近くにいてくれてるよね?」
「はい、そうです」
「君の名前は?」
「……マイク・ホールです」
マイクは戸惑いつつ応えた。
「そう、早速マイクに聞きたいことがあるんだ」
「何なりと」
「スルス帝国が戦争を起こしそうだという噂が立ってるんだけど、誰かが噂を広めてるのかな?」
「はい、……国王陛下の命を受けた者たちが密かに噂を広めているそうです」
「ふぅん、……民の理解を得る為かな?」
「民の理解ですか?」
ヒューバートが不思議に思ったのか質問した。
「スルス帝国は周辺諸国との戦争で多くの損害を受けたんだ。それで最近、周辺諸国と不本意ながらも同盟を組んだ。あと三年もしたら、どこかの国に攻め入るだろうっていうのが、僕と森影たちの予想。それで、攻め入られそうなのが、
何故、三年間戦争を仕掛けないのかと言えば、周辺諸国との関係強化や、兵力の増強などが理由として挙げられる。
「それが何故、民の理解に繋がるのでしょうか?」
「うん。
「反対するような者はいるのでしょうか?」
「例えば身近な人が戦争に行くのは嫌だから反対する人とか、極端な平和主義者とか、熱心な信仰者とか、おかしな思想を持つ奴もいるからね。国民が扇動されないように、今からできることはしたいもんね。……陛下のすることに賛同しない国民が出ないようにさ」
噂もプロパガンダの一種ということだ。
「だから、『民の理解を得る』……アーロン様、本当に10歳ですか?」
「10歳だよ」
アーロンは苦笑しつつ、マイクに視線を向けた。
「どうかな?合ってる?」
「合っております。感服いたしました、主様」
マイクは深々と頭を下げた。
「畏まらないで」
「はっ」
マイクはがばりと頭を上げた。
「陛下たちが動き出してるなら、僕たちも動き出そうか」
「では、我々にも」
「うん、森影たちには働いてもらわなきゃね」
アーロンは何かを企んでいるような、あくどい表情を浮かべた。
その表情を見た3人は、敵じゃなくて良かったと、心底思ったそうな。