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第二十話『密室』

 本人も、罪を償う気持ちだったのだろう。


 嘉山さんは何の否定も特に行なわず、空き地の殺人事件被害者の平山翔太から息子さんが暴行され、金銭を盗られ、人としての尊厳を踏みにじられた事を改めて話してくれた。


 そして、以前、わたしと一緒に『Cafe 魔術師』に来店した早音さんが平山翔太と一時期肉体関係を持っており、恋人同士だった事も知っていた。それは早音さんが店を気に入り、一人で来店した時に嘉山さんに話した事だという。


 平山翔太は恐喝に味をしめ、嘉山さんの息子さんをまた空き地に呼び出した日に、そこに現れた嘉山さんによって刃物で刺され、死んだ。

 事件がキメラと化していた要因のひとつは、寅浜建設が空き地に防犯カメラを設置しておらず、平山翔太と嘉山さんの接点を調査で中々見つけられなかったからだ。


 早音さんは夜遊びの帰りに、車の中で待ち伏せていた嘉山さんに腹部を刺された。彼女は平山翔太に近しい人間であり、その情報は早音さんが自ら嘉山さんに喋ってしまった事だ。


 鬼と化していた嘉山さんには、保身の算段は無かった。


 平山翔太を殺害した時には綿密な計画を立てていなかった。

 ただ、この月辰町の人々の気質と、わたしの思考の迷宮がこの事件を勝手に怪物化していた。


 早音さんを刺した時には、嘉山さんは変装すらしておらず、『Cafe 魔術師』のマスターだと早音さんが気付くか否かのタイミングで、早音さんを襲った。つまり、顔を見られても良かったのだ。


 そして、嘉山さんはいつか捜査の手が自分に伸びてくるまで、裁きの日を待つ聖者のように無心で店を営業していた。わたしは、そんな嘉山さんに事実を突き詰めに来た初めての人間だった。魔のことわりと聖の力、その中間のグラデーションに懊悩し、この町中をスクーターで走り回ってひたすら遠回りを繰り返していたわたしだが、事件の犯人としての嘉山さんの元に訪れた人間としては、最初だった。


 嘉山さんが逮捕され、一週間が経った。


 わたしの願いに応じて出頭した訳ではなく、またわたしが警察に届けた訳でもない。捜査によって順当に嘉山さんの名前が浮かび、そして容疑者として逮捕されただけの事だ。


 空き地の殺人事件は元々扱いが小さかった。テレビやネットのニュースでももう続報として報じられはしないだろうし、この地域のローカル新聞にも小さく載って終わりだろう。当事者である月辰町の住民たちの話題に上がり、そして何時しか消費され尽くす。それだけだ。


 わたしの遠回りな探偵ごっこから調査に至るまでの渦中に、シンプルに考えていれば嘉山さんが犯人である可能性に行き着いていたはずだ。簡単なロジックのピースはずっとわたしの前に提示されていた。


 ――しかし。


 最後にわたしの背中を一押ししたのは、何だったのだろう。


 積み重ねてきた魔と聖へのバランスの取り方や、第六感じみた超自然的なものだったのだろうか。――それとも、内心では嘉山さんが怪しいと、どこかで気付いていたのだろうか。


 ただ、あの時、『Cafe 魔術師』に入店する時、ここがわたしの調査、そして思考の迷宮の出口だと確かに感じた。その感覚を得た事は、恐らくわたしのグラデーション――つまり魔と聖の中庸に落ち着いた事によるギフトだったのだろうと思う。


 事件は終わった。


 否応なしにわたしは日常へと戻る。


 わたしの日常。


 どこか遠くに行きたい。


 この息詰まるような町ではなく、月の裏側のような遠くに行きたい。


 そう渇望し、毎日をただ生きるだけの日々に。


 フルーツロール宅配便でまだ毎日働いてはいるが、『魔の葬送』にはしばらく行っていない。設楽神代さんにも、あのベルベットルームの日以降は会っていない。事件を通して知り合えた人々や非日常とは、少し距離が離れてしまった。


 社長とは、特に意識せずとも何となく事件の話題は出さないようにしていた。気を遣ってくれているのか、女傑である社長は気にしていないのかは判らない。しかし、もう空き地の殺人事件の話で右往左往するフェーズは過ぎたのだと肌感覚で理解していた。


 今日の午前最後の配達先は法人ではなく民家だった。


 わたしはやや遠いその目的地を目指してスクーターを走らせていた。

 良い天気だ。

 永久に変化が無さそうな、閉塞感が溢れる蒼い空。

 役所通りを抜けても、住宅地沿いを走っても、空は変わらないし、見慣れた景色も変わらない。何かに閉じ込められたような息苦しさを少し感じている。わたしは、事件を通して少しは――変わったはずなのに。或いは、それは気のせいに過ぎなかったのだろうか。


 赤信号でスクーターを止めた。そよ風が頬を撫で、排気ガスの匂いも運んでくる。


 ――この町、月辰町の。


 変わらぬ、匂い。


『魔の葬送』がある月蝕通りや、あのザクロ林の中のベルベットルームは束の間の異世界だった。そして、わたしの不思議の国のアリスとしての冒険は、嘉山さんの逮捕によりもう――終わったのだ。


 そして帰ってきた日常。


 この町は息詰まるような、密室。


 密室の中で、わたしは泳ぎ続け、嘉山さんは人を殺した。

 積尸気さんは魔を語り、神代さんは聖なる力で人に施し、早音さんは奔放に生き、刺された。


 それらは正しいとか、間違っていたとか、わたしごときがジャッジできるものではない。ただ、そう在り、そう有っただけなのだ。


 密室とは、神の領域なのだろう。


 狭く、閉じた場所なら誰でも支配は容易い。

 そしてこの月辰町は比較的大きな密室だ。


 ――ならば。


 何が、この町を支配する神だったのか。


 わたしは積尸気さんを何時しか精神的支柱と捉え、『魔の葬送』のマスター、ルルイエさんを親代わりのように感じていた。社長には色々と頼り、早音さんの事は対等な友達だと感じていた。


 わたしに関わったすべての人々が、神に等しく感じられる。


 つまり、密室内で支配されていたのはわたし一人だという事か。


 散々遠回りをし、勝手に事件を怪物化させ、これは密室の事件だった事にやっと思い至った、わたし。


 わたしを乗せたスクーターは法定速度を守り、月辰駅の西口方面へと走る。

 駅前には高層マンションが立ち並んでおり、この閉塞感が漂う町の天空を穿っている。


 マンションに見下ろされながら側道を抜ける。


 歩行者――家族連れやカップルたちが時々歩いている。


 ――あの人たちも。


 密室に囚われているのだろうか。


 少し道路を外れて、小さな神社がある通りを走ると、目的地――配達先の古民家があった。

 わたしは邪魔にならないように道路端にスクーターを停め、荷物の小箱を持つ。そして玄関のチャイムを鳴らした。


「はいはい」


 ガラガラと扉を開け、初老の女性が顔を出した。


「おはようございます。フルーツロール宅配便です」


「あらおはようございます。荷物を持ってきてくれるの早いねぇ」


 そして受け取り票を書いていただき、小箱を両手で女性に渡した。


「これ、うちの孫娘が楽しみにしててねぇ」


「お孫さん、喜ばれると良いですね」


「可愛いお姉さんが運んできてくれたんだって伝えておくよ」


「いえいえ、そんな」


「あなた、可愛いのにもっと自信持ちなさいよ。少し表情が疲れてるよ」


 わたしはそんなに疲れた顔をしていたのか。


「今日持ってきてくれた荷物ね、ハムスターの飼育セットなの」


「ハムスター――ですか」


「そう。ケージだけはもうあるから、給水機とか餌皿とかペレットの詰め合わせとか――色々入ってるの」


「何だか可愛らしいですね」


「用意ができたらハムスターをお迎えに行くのを孫娘がそれはもう楽しみにさててねぇ。でもちゃんとお別れの日まできっちりお世話しなさいとは口を酸っぱくして言い聞かせてる」


「そうですよね。ずっと同じケージの中で生きていく訳ですから――」


 ずっと、同じケージの中で生きていく――。


 飼い主――神からの干渉を受けないと、生きていけないか弱い生き物。


「ハムスターも新しい家族だから、ちゃんと可愛がるし愛情を持って幸せにしてあげるってちゃんと約束したわ」


「――きっと、ハムスターは幸福な一生を送れると思います。わたしからも、そう祈ります」


「祈ってくれるのは嬉しいけどね、あなたも幸せにならなきゃ駄目よ?」


「わたし――ですか」


「幸せを運んできてくれた人が幸せになれないのは、嫌だからね」


 そして、わたしは挨拶をして古民家を後にした。

 いつも思うのだが、配達を終えた後の帰路は心身が軽い。先程のお客様が感じの良い方だったのもあるのだけど、心なしか少しこころがほぐれていた。


 次の便は特に急ぎの用事ではない。わたしはルートを変えて、あの『Cafe 魔術師』がある道路を通って営業本社まで帰る事にした。

 特に迫ってくる思いも無かった。


 店はただそこに在ったし、当然だがもう営業はしておらず、がらんとした様子が外からも分かる。閉じられたままのドアは、オーナーの不在――嘉山さんがもう帰ってくる事がない事実を端的に現していた。


 あの空き地の殺人事件ももう、この町の過去の一ページになったんだなという感覚を得たまま、店の前を通りすぎた。


 時間は常に後ろに流れていく。


 事件も。月蝕通りの『魔の葬送』も。先程の配達も。そして――数秒前までわたしであったものや、わたしの中の思考も。


 ――だから。


 前を見るしかできないのだ。


 それはスクーターを走らせる事にとてもよく似ている。

 社長はよく「考え事をしながら運転するなよ。危ないから」とわたしに言っていた。


 それもそうだ。


 この閉塞感に満ちた地方都市から逃げ出したい。その思いは変わらない。ただ、それはわたしにとって前方にある思いであり、目標だ。


 そのしるべを目指してわたしは自分を走らせる。


 それで良い。


 遠回りも、事件の怪物化も、魔も聖も、すべて過去の事だ。

 わたしは中間のグラデーションに存在し、たまに薄くなったり、濃くなったりする。

 それで良いし、人とは多様なものなのだ。


 今日は本当に良い天気だ。


 この青空の下が心理的な密室であったとはにわかには信じがたい。


 ――しかし。


 わたしはもう、密室を突破しようとしている。

 襟瀬苦花。それがわたしの名前であり、密室から抜け出そうとしている一人の人間なのだ。

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