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第3話 かしこまりました

「……え? 今、何とおっしゃられました?」


 趙何ちょうかはその言葉をすぐに嚥下えんか出来ず、ほうけた顔で聞き返してしまう。


「今よりそなたを太子たいしとする」


 武霊王ぶれいおうは眉ひとつ動かすこと無く、先ほどと同じ言葉を同じ声色で繰り返す。


 それでもまだ首をかしげる趙何ちょうかであったが、ようやくその言葉の重大性を理解すると、


「と、突然そのような事をおっしゃれても困ります。第一、兄上は──趙章ちょうしょうどのはどのように答えられたのですか⁉︎」


 困惑をあらわに問う。


趙章ちょうしょうにはこれから伝える。それなりの地位に据えるつもりだ。お前は何も気にすることは無い」

「し、しかし……」


 気にするな、と言われたところで簡単にそう出来るはずも無かった。

 廃嫡という行為は国家の一大事であり、忌避すべき事象である。それが原因で国に乱れが生じ、滅亡へとかたむく危険性を大いにはらんでいるからだ。


「この事はすでに重臣たちにも伝えており、彼らの承認はすべて得られております。趙何ちょうか様は何も心配することはございません」


 そんな不安を感じ取ったのか、肥義ひぎがすかさず補足する。


「それでも……私に時期国王が務まるのでしょうか?」


 どうしても脱ぐい切れない不安を吐露する趙何ちょうか


 自分には何も無い──


 そう感じていた少年に突然舞いこんだそのしらせは正に晴天の霹靂へきれきであり、国家の枢要に関わる事案はあまりにも大きくて重いものであった。


 それこそ、真っ白に染まってしまった頭の中で今すぐに答えを出すことなど出来るはずもない。


「務まるか務まらないか、では無い。やるかやらないか、答えはそれだけだ」


 しかし、武霊王ぶれいおうは淡々とした口調で切り捨てるように言い放つ。


「やるかやらないか……」


 冷酷な言葉ではあったがしかし、趙何ちょうかは胸の奥底で別の感情が胎動するのを感じた。


 病弱で部屋に引きこもりがちで、常にひとりで書物を読みふけっていた少年は、これまで父親やその家臣の誰からも見向きもされない不遇の存在であった。


 将来的に王となればこれまで以上に自由が利かなくなる半面、立場上からおのずと各国の要人と面会し交渉する機会が訪れるであろう。

 それは強国の王かも知れないし、国の中核を成す名将かも知れない。敬愛する楽毅がくきですら逢うことさえ難しいであろうそんな大物との交誼こうぎは、きっと大きな刺激となるに違いない。


 これは、絶対に日の目を見ることは無いと思っていたそんな彼に舞いこんだ数奇な運命であり、楽毅がくきとは違う形で己を変える好機チャンスとなり得るものであった。


「まあ、これほど重大な事柄を今すぐ決めろというのは酷というものです。数日じっくりお考えいただき、その後に──」

「かしこまりました」

「そうそう、かしこまりましたとお返事をいただい……って、えぇッッッ! 今何とおっしゃられましたか⁉︎」


 先ほどと打って変わっての積極的な少年の言動に、助け舟を出したはずの肥義ひぎの方が驚き戸惑う。


「映えある【ちょう】国の太子たいし、僭越ながらお引き受け致します」


 趙何ちょうかは片膝をついて拝礼し、武霊王ぶれいおうに向けて堂々とその意向を伝える。


 呆けた面持おももちでしきりに目をしばたかせる肥義(ひぎ)に対し、武霊王ぶれいおうは相変わらず眉ひとつ動かさず、ジッと趙何ちょうかを見すえている。

 しかし、趙何ちょうかは先ほどまでと違い怖気おじけずくこと無く正面を向き、


「微才の身ではありますが、太子たいしを。そして時期国王を務めさせていただく所存でございます」


 明瞭ハッキリとした口調でそう伝えるのだった。


 まるで刃を交えているかのようなその真剣な瞳から確かな覚悟を感じ取った武霊王ぶれいおうは、


「……分かった」


 ただひとことだけ言い残し、きびすを返して部屋を後にする。


「母には逢わないのですか?」


 去りゆく父の背中に、趙何ちょうかたずねる。

 武霊王ぶれいおうは歩みを止め、


「……母子おやこ水いらずの時を邪魔するほど無粋ではない。孟姚もうようによろしく伝えてくれ」


 振り返ること無くそう言い残し、再び歩み出す。

 その後を、宰相さいしょう肥義ひぎが追う。


「父上……」


 男の背中から父親としての不器用な愛情を感じ取った趙何ちょうかは、誰もいなくなった部屋の入り口に向けて頭を下げるのだった。

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