「うおォォォォォォォォォォッッッ‼︎」
怒りが収まらない青年──趙章は、自室に戻るなり胸に沸々と際限なく湧き上がる感情を爆発させ、野獣の如く咆哮を上げながら手にしていた杯を力の限り床に叩きつける。
ガシャン、という甲高い音がそれに追随(ついずい)して室内に響き渡ると、側にいた女中たちはひぃ、と声を上げて奥へと引っこんでゆく。
コロコロ、と杯は中に注がれていた酒を撒き散らしながら転がり、ひとりの男の足元に当たってピタリと静止する。
その際、最後に残っていた酒がその男の靴にかかり、奇形の染みとなる。
蛙の如くギョロリと大きく剥いた目でその光景を見下ろしていた男は、声を荒げる青年の方へゆっくりと視線を向ける。
「私が廃嫡されてあの貧弱なヤツが王になるだとッ⁉︎ 父上は一体何をお考えなのだッッッ‼︎」
趙章はそう言って何度も卓に拳を叩きつける。やがて指の関節付近に血が滲み出し、卓を赤く染め上げてゆく。
「……落ち着いてください、若殿」
蛙のような大きな目を持った男──田不礼があくまで冷静な口調で諫める。
「これが落ち着いてなどいられるか⁉︎ 廃嫡だぞ? 代へ送られるのだぞ?」
当然、血の気の多い趙章の怒りがそれで収まるはずもなく、異様なまでに血走った目で田不礼を睨めつける。
「最近、宰相の肥義どのをはじめとする重臣たちの間で、何やら密約のようなものが交わされているのを耳にしておりました。おそらく、此度の辞令に向けた根回しだったのでしょう」
それでも世話係である田不礼は、淡々とした口調で語る。
「何だと⁉︎ すでに決定事項だったというのかッ?」
「ええ。こうなってしまったら、決定を覆すのはもはや困難かと……」
「くそっ、何てことだ……」
怒りを通り過ぎて、呆然と膝を落とす趙章。
「……なのですよ」
がくりと項垂れる青年を見下ろしながら、田不礼が何事かポツリと漏らす。
「何か言ったか?」
「いいえ、何も。それよりも代への赴任ですが、これは逆に挽回に向けた好機であると考えられますぞ」
趙章の問いを掻き消すように、田不礼は含みのある言葉を向ける。
「この屈辱的な左遷が好機だと? 一体どういうことだ?」
怪訝そうに首をかしげる趙章。
田不礼はその特徴的な大きな眼をギョロリと動かし、周囲に誰もいないことを確認してから、
「それではお耳を拝借」
趙章の側に歩み寄り、その耳元でそっと囁く。
「何だとッ⁉︎」
話を聞き終えると、趙章は驚いた様子で大きく目を剥き、
「……なるほど、それはたしかに面白い考えだ」
すぐに引きつったような笑みを浮かべた。
「母親が気に入られたというだけでちやほやされている趙何……。ヤツに一泡吹かせてやれるのならば、此度の辞令も甘んじて受けてやろう」
武霊王の思いも虚しく、歪んだ復讐心を義弟へと向ける趙章は、自らが思い描く復讐劇を想像しながら哄笑する。
「……もう潮時なのですよ、趙章様」
そんな青年に冷めた視線を向けながら、田不礼は再びポツリと漏らす。
しかし、その言葉は異様なまでの高揚に身を震わせる趙章の耳に届くことは無かった。