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第12話 猛獣を扱う者でございます

 食事を終えた武霊王ぶれいおう廉頗れんぱは、店内にいた本物の商人に話しかけ、咸陽かんようで商売をする際の手続き方法などを聞き出した。


 それによればまず商人は兵士の案内で検査官のいる部屋に通され、そこで素性の調査や商う物品の確認を行うという。


「検査されたら商人じゃないことがすぐに判明してしまいます。夜を待って宮廷に侵入した方がいいと思うですぅ」


 【しん】の厳重な警備をかんがみて、廉頗れんぱが私見を述べると、


「そんなコソ泥のような真似は出来ぬ。それに昭襄王しょうじょうおうの寝顔など拝んでもつまらぬしな」


 武霊王ぶれいおうはそれを否認し、笑い飛ばす。


「まさか、真正面から飛びこむつもりですかぁ?」

「その方がおもしろいだろう?」


 廉頗れんぱの問いに武霊王ぶれいおうは逆に問い返す。

 廉頗れんぱはひとつため息をついてから、


「たしかにそっちの方が楽しそうですね」


 悪だくみに乗る悪漢のような台詞セリフと共に、フッと笑みをもらすのだった。


 そして二人は店を後にすると、ほぼ手ぶらのまま昭襄王しょうじょうおうが住まう宮廷へと向かう。


 大路の先に悠然とそびえる宮廷に入る前には、およそ五十段はあろうかという大階段を昇らなければならない。

 そして階段を昇り終えた先に宮廷の門が開かれ、両脇の門柱の前ではげきたずさえた兵士が門番として立ちはだかっている。


「では行くぞ」


 階段を昇り終えた武霊王ぶれいおうは振り返ることなく、背後に追従する廉頗れんぱに向けて告げる。

 廉頗れんぱはコクリとうなずく。


「申し訳ございません。私どもは珍品を取り扱う商人でございます。咸陽かんようにて商いをはじめたく、その認可をいただきに参りました」


 兵士の前で武霊王ぶれいおうは深々と腰を屈めて拝礼し、普段の勇猛果敢な性質とはまるで違う柔和にゅうわな口調でそう告げる。

 彼の芝居っぷりに驚嘆しながら、廉頗れんぱもすぐさま同じ姿勢を取る。


「珍品だと? だがお前たちは何も持って来ておらぬではないか?」


 当然のごとく兵士は怪訝そうに首をかしげる。


「はい。私どもが取り扱う珍品は猛獣──虎でございます」

「何、虎だと?」

「はい。それも印度インドから取り寄せた大型のものです。街中に晒しては騒ぎになるので、今は人目に触れぬ所で隔離しております」


 驚き目をく兵士に、武霊王ぶれいおうはさらに畳み掛けるように語る。


「なるほど、それはたしかに珍品だ。もしかしたら宣太后せんたいこう様が興味を持たれるかも知れぬ」


 兵士は嘆息を漏らし、しきりにうなずいた。


「よかろう、案内させよう」


 兵士がそう言うと、門柱の裏側──門の内側から別の兵士が二人現れて、


「ではまずは検査を受けてもらう。ついて来るが良い」


 そう告げると男たちはきびすを返し、本殿へと続く長い石畳の通路を歩み出す。


 武霊王ぶれいおう廉頗れんぱも門をくぐり抜け、その後に続く。


 ここまでは作戦どおりだ。


 しかし、武霊王ぶれいおうは先ほどの門番との会話の中でひとつの疑問をいだいていた。


 ──宣太后せんたいこうが興味を持つかも知れぬ、か……。


 太后とは現王の母親のことであり、しん昭襄王しょうじょうおうの母が宣太后せんたいこうと称されていることは武霊王ぶれいおうも知っていた。


 しかし、先ほどの兵士は昭襄王しょうじょうおうよりも先に宣太后せんたいこうの名を挙げていた。

 普通であれば何よりも優先されるべきは『それを王がどう感じるか』、であるはずだ。


 新王が立ったばかりのこの国は、強国でありながら自分が思っていた以上に危うさをはらんでいるのかも知れない、と武霊王ぶれいおうは思った。


 そうこう思考を巡らせている内に、二人は案内係の兵士たちに付いて通路をひたすら突き進み、本殿付近に建つ小さな小屋の中へと通された。


 どうやらここが検問所のようだ。


「行商人がここで商売をしたいとのことです。検査の方をお願いします」


 兵士たちが小屋の前に屹立して拱手こうしゅと共にそう告げると、さあ行け、と言わんばかりに彼らは脇へとよける。


 武霊王ぶれいおうはコクリとうなずくと、何一つ臆することなく小屋の中へと乗り込んでゆく。

 その背後を、廉頗れんぱが続く。


「そなたらは行商人とのことだが、何を商っているのだ?」


 小屋の中央で一台の卓を前にして椅子に座している一人の官吏かんりが、まるで蛇が全身を這いずり舐め回すような鋭く粘質のこもった視線を向けて検閲する。


「はっ。我々は異国から取り寄せた世にも珍しい猛獣を扱う者でございます」


 怯むことなく恭しい口調で答える武霊王ぶれいおう


「猛獣だと?」


 怪訝な面持ちで首をかしげる官吏かんりに、武霊王ぶれいおうは一歩前に進み出て畳み掛けるように告げた。


「はい。もしも宣太后せんたいこう様にお目通りが叶うのであれば、これを献上したく存じます」


 そう言って、肩に下げていた麻袋を下ろしてその中身を取り出す。


「これは……虎の毛皮か?」


 官吏かんりは身を乗り出してそれを確認すると、思わず感嘆の声をもらす。


「いかにも。虎の毛皮でこしらえた外套コートでございます」


 フサフサとして滑らから毛並みに手櫛を通しながら、武霊王ぶれいおうは完全に商人になりきって大いに宣伝する。


 この虎の毛皮で作られた外套コートは印度の商人から買い付けたものであり、彼自身が好んで愛用していたものだった。

 しかし今回、それを惜しげもなく手放すつもりでここまで乗り込んで来たのだ。


 昭穣王しょうじょうおうに会う──


 ただそのためだけに。


 官吏はひとつ大きくうなずくと、


「良かろう。宣太后せんたいこう様への取り継ぎを許可しよう」


 そう言って外に控えている兵士を呼び出し、宣太后せんたいこうにそれを伝えるよう命じる。


 そして兵士が戻るまでの間、武霊王ぶれいおう廉頗れんぱの両名は身体検査のために衣服を脱ぎ捨て、一糸まとわぬ姿となる。


「ふむ、何も怪しいものは持ち込んでおらぬようだな。二人とももう服を着て良いぞ」


 筋骨隆々な男と未成熟な娘の裸体を観察していた官吏は、再び大きくうなずいてそう告げる。


 こうして二人は官吏をあざむき、商人として堂々と王族の住まう咸陽宮かんようきゅうへと乗り込むことに成功したのだった。

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