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第13話 それはステキねぇ

 咸陽宮かんようきゅうは、稀代の法家ほうか商鞅しょうおうを登用した英主・孝公こうこうの代に建てられた絢爛豪華な宮殿である。

 高台の上に複数の宮を回廊で繋いで建てられたその壮大な建築物は、大きさこそ臨淄りんしの王城には劣るものの、正にしん栄耀えいようを象徴する豪奢なものであった。


「ほら、見てください。砂利の間に宝石が散りばめられてますよ~ぅ」

「柱にもいっぱい埋め込まれているな。これほどのぜいをこらした宮殿は中華大陸広しと言えどもここくらいなものだろう」


 兵士たちの後に付いて王宮へと踏み込んだ武霊王ぶれいおう廉頗れんぱは、まさに国の隆盛を顕示するかのような建築物を前にして感嘆を禁じ得なかった。


 延々と続く長い回廊。まるで迷路にでも迷い込んだかのような錯覚を感じながら、彼らはその道を突き進む。


 ──微かだが、宝珠が反応している。


 その時、武霊王ぶれいおうは自身の胸に下げている紫紺色のコの字型のぎょく──【八紘はっこうの宝珠】がほんのりと光を発していることに気づく。


 【八紘はっこうの宝珠】──


 それは本来ここにあってはならぬもの。過ぎたる力──時代を超越した知識と情報の結晶である。


 小さな玉ではあるが稀有けうな形状のため、先程の身体検査の時には目をつけられないように髪の中にそっと忍ばせていた。


 ──ここにも宝珠の所有者がいるのか?


 武霊王ぶれいおうは先の戦で中山国ちゅうざんこく楽毅がくきと刃を交えたことがある。

 その時両者は互いに宝珠の力を解放し、死力を尽くして戦った。


 武霊王ぶれいおうは波動を、楽毅がくきほのおを現出させたが、それはまさしく人智を遥かに超えた超常的なものであり、他者から見ればそれはまさに怪力乱神かいりきらんしんの所業であったに違いない。


 ──これは思わぬ奇縁に巡り会えたか?


 男はそう思い、微かに笑った。


 そのような大それた力を持つ者が近くにいるかも知れないという事実は、武霊王ぶれいおうにたしかな昂揚感と小気味良い緊張感をもたらすのだった。


 そうこう考えている内に、いつの間にか彼らの目の前には厳重な扉に閉ざされた大きな部屋があった。

 それはまるで来る者を威嚇するかのような堅牢けんろうな構えをしており、大抵の者は貴人に会う前にここで怯んでしまうことだろう。


宣太后せんたいこう様。商人どもを連れて参りました」


 先導する二人の兵士が背筋をピンと伸ばし、大きな声で扉に向けて告げると、


「入りなさい」


 艶のこもった女性の涼やかな声が中から返ってくる。


「失礼致します」


 そう言って兵士たちはそれぞれ扉を左右から開放する。


 ごうん、という重厚な音を響かせて扉が開かれると、眩いばかりの斜光に彩られ、ゆらりと無数の煙が辺りに漂い、甘い匂いがツンと鼻を刺す。


 ──この香り……麝香じゃこうか?


 武霊王ぶれいおうはすぐにその匂いの正体に気づいた。


 麝香じゃこうは雄のジャコウジカの腹部にある香嚢こうのうから得られる分泌物を乾燥した香料、生薬の一種であり、主に印度いんどや中華大陸で生産されるが、とても貴重なもので、虎の毛皮同様に珍品と呼べるものであった。


 ──なるほど。この部屋の主人も珍品蒐集家コレクターという訳か。


 隣で廉頗れんぱが煙たそうに咳き込んでいる一方で、武霊王ぶれいおうは目を細め、立ち上る煙の先を見やると、無数の光線の先に、大きな御簾があるのが確認できた。


「さあ、近う寄りなさい」


 御簾の中から、先ほどと同じ艶のある声がかけられる。


「失礼仕る」


 武霊王ぶれいおうは呼びかけに応じ、部屋の中へと踏み出す。

 その後を、廉頗れんぱが慌てて追いかける。


 絢爛豪華な赤い絨毯の敷かれた通路を突き進んでゆくと、両脇に多数の腰元たちがげきを携えて泰然と整列しているのが見えた。その娘のすべてが王の夜伽を務める後宮の美女と遜色無いほど見目麗しい者たちであることに気づいた武霊王ぶれいおうは、思わず、ほぅ、と感嘆をもらすのだった。


 部屋の主が待つ御簾みすの前には数段の階段があり、彼らはその手前で立ち止まり、片膝をついて拝礼する。


「珍しい物を取り扱う商人とは、アナタのことかしらぁ?」


 御簾みすの奥から、しなだれかかるような甘ったるい声が問いかける。

 声色から察するに若い女性のようであるが、御簾みす越しからではその輪郭シルエットしか伺うことができない。


「いかにも。|某(それがし)はの行商人で|白擁(はくよう)と申します。後ろにいるのは従者の|廉頗(れんぱ)です」


 |恭(うやうや)しい口調で、|武霊王(ぶれいおう)は自己紹介を述べるが、当然その名と経歴は出鱈目デタラメである。


「虎の毛皮、見せてもらったわぁ。すごく艶があってイキイキして、とてもステキだったわよぉ。ああいう珍しいモノ、他にも取り扱ってるのかしら?」

「はい。それがし共は|印度(いんど)はもとよりその先にある波斯ペルシャ地方とも取引がございます故、異国の名品珍品を多数取り揃えてございます」


 滔々とうとうと答える武霊王ぶれいおうだがこれはすべてが偽りという訳ではなく、実際に彼が治める【ちょう】の国には印度いんど波斯ペルシャからの商人も来訪し、盛んに交易を行なっているのだ。


「ふぅん。それはステキねぇ。でもーー」


 女はフッとため息を漏らすと、側女に御簾みすを上げさせる。


 両者の視界を隔てていたものがゆっくりと取り除かれてゆく。


 武霊王ぶれいおう廉頗れんぱは、その間も頭を下げたままジッと黙している。


「アナタ、とても商人に見えないわねぇ。どちらかと言うと歴戦の猛者、といったところかしらぁ?」


 御簾みすが完全に上がってその姿が露わになるや否や、女はまるですべてを見透かしたような鋭い視線を向けて私見を述べる。


 歳は四十前後であろうか。しかして髪の先端から指の爪先まで瑞々しい艶が満ち満ちており、さらにははだけた着物の胸元からふくよかな肉厚を覗かせている姿からも、妖艶な貴婦人といった印象を抱かせる。


「今の時代、商売をするにも命懸けでございます。商人とて、自らの命は自ら護らねばなりませんので、必然と強く成らざるを得ないのですよ」


 頭を下げた状態のまま、武霊王ぶれいおうは至極冷静な口調で返す。


「んふふ、そうよねぇ。商人の世界だって弱肉強食なんですもの、自分の身くらい自分で守らなくちゃね〜ぇ」


 女の口元がにんまりと弧を描く。しかし、その目元は笑っていなかった。


「いいわぁ。咸陽かんようでの商売を認めましょう」


 疑念が晴れたのかどうかは不明だが、宣太后せんたいこうは甘い猫撫で声を発して認可を下す。


「ご了承いただき、恐悦至極に存じます」


 しかし、認可されようがされまいが、宮殿内に入ってしまえばもう関係ないので、空々しく礼を述べてから武霊王ぶれいおうははじめて顔を上げ、


「つきましては、王陛下にもご拝謁はいえつたまわり直にご挨拶申し上げたい所存にございます」


 本来の目的である【しん】王──昭襄王しょうじょうおうとの対面を申し出る。


「あぁ、嬴稷えいしょくちゃんねぇ……」


 すると、【しん】王の母である宣太后せんたいこうは気だるげなため息をき、


「あのコはあまりこういうコトに興味ないみたいだから、ムリだと思うわぁ。まぁ、それでなくてもいつも部屋に閉じこもって、ヘンな趣味に没頭してるだけなんだけどね」


 実の子に対して諦めとも失望とも取れる冷めた口調で言うのだった。


「……左様でございますか。それでは致し方ありませんな」


 武霊王ぶれいおうは少し落胆気味につぶやき、玉座の間を出ようと立ち上がる。


「コレ、ありがとうね。蒐集品コレクションに加えさせてもらうわぁ」


 一礼し、きびすを返す男たちに、宣太后せんたいこうは満足げにヒラヒラと手を振りながら見送るのだった。




「結局王様に会えませんでしたねぇ」


 再び兵士たちの先導で宮殿を歩いている最中、廉頗れんぱが隣の男にそっと漏らす。


「なぁに、あの女の話では、『部屋に閉じこもっている』と言っていた。この宮中のどこかにいることは間違いない」


 遥々【ちょう】から何日もかけてやって来た苦労が水の泡となったのだから、気落ちしていてもおかしくない状況のはずだ。

 それにも関わらず武霊王ぶれいおうは、まるで悪戯に興じる子供のように嬉々とした笑みを浮かべてそう返すのだった。


「ということは……やるんですね?」


 男の目論見を察した廉頗れんぱも、無邪気な笑みを浮かべる。


「ああ」


 男は短く答え、彼らは前を見据える。

 そこにはちょうどおあつらえ向きにの兵士が先導していた。


 武霊王ぶれいおう廉頗れんぱは顔を見合わせ、コクリとうなずくのだった。


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