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リズロッテの献身



 サロンの張り詰めた空気を感じ取った夫人が、パン、パン! と開手ひらてを打つ。


「あなたたち。そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ? お座りなさい。せっかく殿下がサロンにいらして下さったのですから、楽しいお茶の席にいたしましょう! 殿下も召し上がってくださいませ。こちらの焼き菓子は、殿下の隣におりますロザンヌ王女がこしらえたのです」


 皇太子──ジルベルトがチラと見遣れば、栗色の髪をくるくる巻いて胸元に垂らしたまるで人形のような令嬢が、ぽ、と頬を染めて恥ずかしそうにうつむいた。


「彼女はムスダン国の王女であるにも関わらず、後宮に入ってからは自らが進んで料理人の指導を受けていますのよ。もはや、一流のパティシエール並みの腕前にまで……」


「毒見はさせたのですか?」

 ジルベルトの一言が夫人の言葉を遮る。


「ああ……いえ。ですがこの菓子はこのように皆でいただいておりますゆえ、ご安心くださればよろしいかと」


「得体の知れぬ物は口にできません。ロザンヌ王女、あなたの父ムスダン国王は、亡きセルヴィウスと濃密に手を結んでいた王の一人だ。帝国に謀反を起こすかも知れぬ国の姫がこしらえた物を、俺に食べろと?」


 声を荒立てる訳でもなく。冷たく淡々と言い募るジルベルトの静かなる威圧──。

 巻き毛の令嬢の顔がみるみる青ざめてゆく。


「そんな、我がムスダン王国は、断じて謀反など……っ」


 まるで猛獣に睨まれたように緊張を露わにする令嬢たち。


「殿下がそのような事を平然とおっしゃるから、皆があなたを怖がるのです。『女嫌いの皇太子』など良からぬ噂を払拭するためにも……! いい加減、令嬢たちに心を開いてくださいませ」


 浅く皺の刻まれた夫人の目蓋の奥の、翡翠の瞳が凛とした意志を見せる。そして久しぶりに顔を見せたジルベルトを諭すように言うのだった。


「お心づもりをなさいますように。

 南部諸国併合記念式典の舞踏会では、殿下と踊るお相手を後宮の令嬢たちの中から選んでいただきます。随時入れ替わる後宮の令嬢たちの顔ぶれくらいは、殿下に知っておいていただかねばなりません。

 ちなみに前回、殿下が後宮にいらした時からすでに三名が入れ替わっておりますのよ?」


 ジルベルトが薄青い瞳を僅かに泳がせる。夫人はそれを見逃さない。


「さぁ、皆さん。あまり時間がありませんよ! 立ち上がって殿下に順にご挨拶を。何かお聞きしたい事があるならおっしゃいなさい。今なら、お答えくださるでしょう」


 ──ああ、ウンザリだ。


 肩を棒で突かれるような大公夫人の剣幕には辟易してしまう。今日のこの時間とて、決して足が進むものではなかった。


 頭を抱えたい衝動に駆られる皇太子の気持ちなど他所よそに、気を取り直した令嬢たちが次々と自己紹介を披露し始める。

 以前から後宮にいる者は精一杯の質問を投げたりもした。


「あのう……ジルベルト殿下も、星祭りの『視察』に行かれるのでしょうか?」

「祭りの視察?」

「はい。帝都の星祭りです。皇城の警吏や騎士団、それに使用人まで順に『視察』に行くと聞いたものですから。殿下はどなたかと一緒に、その……お出かけにならないのかしら……と」


 ジルベルトの温度を感じさせぬ声が微笑う。視察と銘打ってはいるが、ただの遊興だろう。

 遊興に足を運ぶのに時間を割くくらいなら、執務書類を一枚でも多く仕上げた方がまだましだ。


「いや、皇太子が祭りの視察など必要ありませんよ。帝都の行事の管理や警備全般の事なら、優秀な帝都警吏らに任せているしね」


 その返答を聞いた大公夫人の面輪がわずかに歪んだ。

 ──鈍感な殿下にはもう少し、女心というものを察して頂かねばなりませんわね。


「次はフォーン王国のリズロッテ王女です。殿下とはすでに面識がありますから、自己紹介は必要ありませんね。代わりに、こうして殿下に時々後宮に足を運んでいただく理由を説明できますか?」


 突然に名前を呼ばれたリズロッテが驚いて目を丸くする。


「はっ、はい。存じております」

「今日から後宮入りをしたフィフィー侯爵令嬢に知っていただくためにも。そしてジルベルト殿下ご自身に再認識していただくためにも、今ここでおっしゃってみて? 殿下もよろしいですわね?」


「……ええ、勿論」


 かく言うジルベルトはひどく罰の悪そうな顔をしている。

 おもむろに立ち上がったリズロッテは胸を張り、姿勢を正した。


「皇太子殿下が後宮に足を運ばれるのには、二つの理由があります。

 一つは後宮の視察。皇城内にいる身分の高い他国の女性たちが、普段どんな様子で何をしていているのか。良からぬ企てをしていないか。ご自身の目で見て確かめていただくためです。もう一つは……その、」


 頬を染めて言い淀むリズロッテ。

 大公夫人が諌める。


「構いませんから、言ってごらんなさい」

「ジルベルト皇太子殿下に……お妃やご側妃の候補者を選んでいただくためです。

 ですから……っ、婚約が決まるなど特別な理由がない限り、後宮に住まう淑女はいつ殿下にお誘いやお声かけいただいても良いよう、皆が心づもりをしております」


 よりによって、ジルベルト殿下に向かってこんな事を言わされるなんて……!

 円卓に座る皆が心根でリズロッテを嘲笑あざわらっているだろう。

 誰よりも皇太子の誘いを待つのはリズロッテだと、皆が知っているはずだから。


 視界がぼやけて、円卓を挟んでリズロッテの正面に堂々と腕を組んで座る皇太子が、とても遠いところにいるように見える。



 ────シッ! お慎みなさい、リズロッテ様に聞こえてしまうわ。


 リズロッテの耳元に、朝食の席で耳にした友人たちの言葉が、まるで惨めな自分に追い討ちをかけるように反芻した。

 リズロッテは萎縮してしまう……これは幻聴か何かだろうか。


 ────なんとしても殿下のお目にとまりたくて、中小国との縁談は全てお断りになっているそうよ。そこまでするなんて、ちょっとあさましいですわよね!


 ────だから十八歳の成人を目前にしても、相変わらずのいかずごけで後宮に残っていらっしゃるのですね?!



「リズロッテ王女、どうかしましたか?」


 大公夫人の言葉で、は、と我に帰る。


「お優しい皇太子殿下に……畏れながらお願いがあります。わたくしと……星祭りをご一緒くださいませんか……?」


 だと、言ってもよかった。

 誰に何を言われようと、どんな陰口を叩かれようと構うものかと思った。


 フォーン王国でリズロッテの報告を待つ父と母の、不安に満ちた顔が目に浮かぶ──帝国皇太子と結婚して支援を受けることが、唯一、王国の財政難を救う手立てだなのだと。


 リズロッテにとって、皇太子に近づける最後のチャンスかも知れなかった。

 リズロッテの、最後の希望になるかも知れなかった。


 けれど──。

 皇太子は一瞬、虚を突かれたような顔をしたが、すぐに真顔に戻ってしまう。そして冷徹に言い放った。


「すまないが。いくら治安の良さに定評のある帝都とはいえ、祭りの喧騒の中に一国の王女をお連れする事はできません。帝国が預かる王女の身に何かあっては、フォーン国王に申し開きが立たないのだから」


 ぐ、と奥歯を噛み締めたリズロッテの唇に、薄らと血が滲む。


「リズロッテ王女……お座りなさい」


 大公夫人の言葉が頭の奥のほうにくぐもって聞こえる。

 暗い海の底に沈むようだとリズロッテは思う。自分だけがただひとり、深海に身を放り込まれたように──。


 ヒソヒソと心ない言葉が囁かれている。

 深い落胆に落ちるなか、リズロッテは静かに席に着いた。




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