「単刀直入に聞く。マリアとやら。あなたはジルベルト様のご寵愛を受けている。その自覚はあるな?」
「……ご寵、愛……?」
当然、そんな自覚などはない。
そもそも何がどうなれば『寵愛』なのかも、マリアにはよくわからない。
「いいえ、寵愛だなんて、とんでもない事です……!」
マリアはふるふる、かぶりを振る。
──毎夜、殿下の寵愛を受けているのだろう?! 下女だった分際で帝国の皇太子を
フェルナンドがそう思うのも仕方がなかった。これまでジルベルトに近づこうとする女は、みんな
事情を知らぬマリアは返答に困ってしまう。
──私はただ、添い寝をしているだけだもの。
「憚りながら、フェルナンド子爵様。『寵愛』とは……大切にして愛するということ。ジルベルト様は私に優しくしてくださいますが、その理由は愛情などではありません」
「ほう。なぜ、そう言い切れる?」
「ジルベルト様は……ただ正しく眠るために、私をそばに置いてくださっているだけだからでございます。私がそばにいると、良く眠れると……。ただ、それだけでございます」
アメジストの瞳に影を差す長いまつ毛が静かに伏せられる。これはマリアの本音だ。
フェルナンドは片方の眉を、く、と上げる。
ジルベルトが一人のお茶役に一か月も執着するなど考えられなかったことだ。
マリアを見つければ目で追うし、すれ違いざまには必ず声をかける。彼の主君が女性にあんなふうに微笑むのを、フェルナンドはこれまで一度も見た事が無い。
──それが本心だと言うのなら。この娘、
フェルナンドは嘆息する。
考えてみれば、ジルベルトが女嫌いだと噂されるほど女性に関心を持たなかったなど、この娘は知らぬのだから無理もない。
「良いだろう。いずれにせよ、思い上がるな。下賎な者が、高貴なお方と今以上の関係性を求めるなど断じて許されぬ。あなたへの寵愛はジルベルト様の一時の
険しい表情のまますっと席を立つ。
黒髪の美丈夫は振り向きもせず、宮殿の廊下の奥へと消えてしまった。仔猫が「しゃーっ!」と背中の毛を逆立てて威嚇をする。
「……フェルナンド子爵様、わかっています」
──初めからわかっている。
この幸せが、長くは続かないことくらい。
「ジルベルトの、一時の気まぐれ……」
──不眠が解消されたというのも、「病は気から」と言うように偶然が重なっただけかも知れない。いいえ、その可能性の方が大きいわ。
子爵の言葉がずしりとのしかかり、マリアの心を沈ませていく。
マリアを抱きしめて眠ることも、ジルベルトの気まぐれが過ぎれば消え去ってしまうまぼろしのようなもの——。
ジルベルトの従者で、誰よりもジルベルトを良く知るフェルナンド子爵の言う事だ。
──きっと、正しいに違いない。
「……ジル、帰りましょう」
画集を閉じて、両手に抱える。
肩を落として立ち上がり、歩き出したマリアを、後を追って歩く仔猫が何度も心配そうに見上げていた。
*
「……それで。君たちの調査の結果とは?」
執務机の書類にペンを走らせながら、ジルベルトが気怠げに言う。
既に日は落ちかけ、皇太子の執務室じゅうに橙色の長い影を落としていた。
本宮内にある皇太子の執務室には、マリアと顔馴染みのある数名が呼ばれていた。執務机の前に並んで立つ二人は神妙な顔つきをしている。
「調査の結果……って、言われてもなぁ。マリアちゃんは可愛いし、素直だし? 殿下の命を狙うどっかの国の
「マリアの立ち居振る舞いを見ただろう。某国の貴族か上級国民の没落令嬢ではないかと俺は踏んでいる」
「殿下の想像通りだとして。没落令嬢なんて帝国中に何千、何百といますよ? 帝国の属国は十本の指じゃ足りないし、属国外まで言えばキリがない。マリアちゃんが没落令嬢だとしても、素性まで調べ上げるのは不可能に近いでしょうね。ってか! 僕らに集合をかけた張本人がここにいないのはどう言うことです?! 彼は見かけによらずいい加減だからなー。時間にもルーズだし!」
このタイミングでフェルナンド子爵が入室する。開け放たれていた執務室の重厚な扉が侍従らによって閉められた。
「フェリクス公。誰がいい加減と? 聞き捨てなりませんね、ろくに調査の成果も上げられずにいるあなたから、その
「いやいや、僕らは結構頑張ったんだよ?! けど出てきたのはそれだけ。そう、フェルナンド。君が手にしている
机上の書類から目を離したジルベルトがちらと見遣る。
フェルナンドの拳には、ある者の身辺調査結果にしてはやたら薄っぺらい紙の束が握られていた。
執務机の上に広げられた数枚のそれに、ジルベルトがざっと目を通す。
「ウェインで働く前は隣国で農家の手伝いをしていたのだな。それ以前の情報は無しか……。だが生きる場所を転々とするのは、身寄りのない者にはよくある事。フェルナンド、これで気が済んだろう? マリアはウェインで下働きをしていただけの娘だ」
「皇太子殿下。マリア様について、わたくしの方からも報告がございます」
ジルベルトを真剣に見遣る、怜悧な濃紫色の瞳。
マリアの専属メイド、ラムダだ。
「このひと月、わたくしはマリア様をすぐそばで見て参りました。それで気が付いたのですが……どう考えても、腑に落ちない点がございます」
ジルベルトは執務机の上にペンを置き、ラムダを注視する。
「腑に落ちない点とは? その話。詳しく聞かせてもらおうか」