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まさかの無自覚同士


「腑に落ちない事情をお話しする前に。マリア様に関して、このひと月でわたくしが感じたことを申し上げます。


 マリア様は貴族、もしくはそれに準じる家系の生まれではないかと。この点に関して、わたくしも殿下と同じ意見でございます。

 先ほど、マレという画家の画集をマリア様にお持ちしたのです。

 マレは著名な画家ではありませんが、マリア様はマレをご存じでした。そればかりか、絵に添えられた注釈を目で追って読んでいらっしゃるご様子でした。


 いつどのようにして得たものかは分かりかねますが、マリア様の知識量には目を見張るものがあります。識学の経験が無いと仰っていたにも関わらず文字が読め、豊富な知識を得ていらしゃる。平民、下民の出だとはとても思えません」


 フェリクスが真面目な顔をする。軽率そうに見えて、命じられれば迅速に行動する男だ。


「ウェイン近郊の没落貴族あたりから調べてみますか?」


「いや、良い。これ以上は尽力の無駄になるだけだ」

 フェルナンドは既にマリアを眼中に置いていないようだった。


 ──いづれにせよ卑しい身分、殿下の側妃にもなれぬ娘だ。殿下に危害を及ぼす者でないとわかればそれで良い。


 フェルナンドがホッとしたのも束の間。機嫌を良くしたジルベルトはいとも簡単にフェルナンドの安堵を覆すような事を言う。


「マリアが貴族の没落令嬢ならば、親の爵位を継承する権利が留保されているかも知れない。父親は他界したと言っていたが、詳しい事情をマリア自身にも尋ねてみよう」


 ──殿下の熱には困ったものだ。

 王女リュシエンヌの捜索に一人で危険な場所にまで赴かれる事が減ったのは良いが、近頃は手を抜かれているように見える。

 皇位継承権を持つ最後の皇族が、いつまでもあの下女に現を抜かしている場合ではないのだ……!


 壁にもたれ、胸の前に組んだ両腕を組み直し、フェルナンドは黒髪の奥の翡翠の瞳を所在なく泳がせるのだった。


「わたくしが腑に落ちない事についてでございますが……」


 三人の鋭いが一斉にラムダを注視する。


「その前に、皇太子殿下。まずはお人払いを」

「え? ちょ! なんで? も聞きたいんだけど!」


 人払いなどと言い出したラムダを、フェルナンドも納得がいかんと言わんばかりにぎろりと見遣る。


「皇太子殿下と二人だけでお話がしたいのです」

「良いだろう。フェリクス、フェルナンド。……頼む」


 フェリクスは渋々、「わかりましたよ……」

 ラムダへの鋭い視線はそのままに、フェルナンドもフェリクスに続いて執務室の扉へと向かう。


 すれ違いざまに、ラムダがフェルナンドにそっと囁く——


「子爵が疑いを抱いた、マリア様がリュシエンヌ王女だという証拠。残念ながら見つかりませんでしたわね」


 ──人知れず、二人は互いにちらと視線を交わした。



「畏れながら」


 余人の退室を見届けると。

 ラムダはジルベルトに向き治り、覚悟を決めたように姿勢を正す。


「はっきりと申し上げます。皇太子殿下とマリア様を見ていて、わたくしはどうしても……腑に落ちないのです」


「ラムダ。君は何が言いたい?」


 人払いをせねば伝えられぬ事なのか。

 怪訝な表情を見せた皇太子はふうと息を吐き、執務机に頬杖をつく。


「ため息をきたいのは此方こちらのほうでございます、ジルベルト殿下。ひと月ものあいだ毎夜寝台を共にされていると言うのに。殿下のご愛情が、マリア様にちっとも伝わっておりません」


「ン……?」

 てっきりマリアの秘密にでも触れるのかと思っていたジルベルトは拍子抜けしてしまう。


「はっ。それは……予想外の報告だな! 驚いたよ、なぜそう思うんだ?」

「マリア様がいまだに無自覚すぎるからです」


「無自覚、とは。何に対して?」

「ジルベルト様からご寵愛を受けていらしゃる事です」


 ラムダから視線を逸らせて、ジルベルトが何のことだと言いたげに首を傾げている。顎に手をかけて思案気な顔をしながら、


「俺の、寵愛……」


 ──まさか。

 ジルベルト様まで無自覚っ?!


「はい。皇太子殿下は、マリア様を寵愛なさっていますよね?」

「ラムダ、君がそう感じる理由が知りたい。マリアが君に何か話したのか?」


 この二人ときたら……!

 いったいどこまで世話が焼けるのだろうと呆れ果て、ラムダは嘆息するしかない。


「皇太子殿下にお尋ねします。恋する心は甘くて柔らかい。その人のことを思うだけで胸が高鳴り、顔がほころびます。殿下はマリア様を見ると頬が緩みませんか? 毎夜会いたいと思うから、お茶役を続けさせるのでしょう?」


「……そうだな、君の言う通りだ。そう思うよ」


「マリア様を可愛いと思うでしょう?」

「うむ、愛らしいと思う」


「その可愛いは、動物が可愛いとか、子供が可愛いとか、そういうのと同じ種類ですか?」


 国務書類などそっちのけで真剣に悩む様子を見せたあと、ジルベルトはようやく口を開いた。


「……いや、違うな」

「はい。それは『愛情』です! 弱い者への『慈愛』ではなく、男女の『愛』、殿下の恋心です!」


「恋……なんだろうか。よくわからんのだが、マリアにふれると妙な気持ちになるんだ。なんと言うか、ぞわりと身体が痺れるような……。何かの病かもしれんと宮廷医師長に打ち明けたが、医師長はヘラヘラと笑って薬は必要ないと」


 ──だからそれは恋の病ですって!!


 ラムダはほとほと驚かされる。数多あまたの女性に恋心を抱かせておきながら、この男はいったい何を言うのか。


「お言葉ですが、ジルベルト殿下。殿下がそんなだからマリア様にも伝わらないのです。

 恋は花のように咲き、心の中でじんわりと広がっていく暖かい香りがあります。甘い香りに心が踊り、相手の喜ぶ顔が見たい、無条件にただ喜ばせたいと思うでしょう。

 ちょうど今月の三日、星祭りの日がお誕生日なのです……マリア様の!

 殿下の愛情をお示しになる絶好のチャンスです。マリア様を喜ばせたいと思うなら、大切にしたいと思うなら、この機会に何か特別な贈り物をしてあげてください!」


「特別な贈り物? ……例えば?」

「そのくらいご自分で考えてください」


「愛情、を……示せと言われても。俺は、何をどうすれば……」


 皇太子の二人の兄殺しの事を、ラムダも知っている。

 若くして皇位を継ぐという責任感がそうさせているのだろうが、常に威圧と威厳を漂わせる皇太子が今はどこかそわそわと落ち着かない。

 他を寄せ付けぬように睥睨する瞳が甘く揺らぐのを見て、ラムダは頬を緩ませた。


「殿下のなのでしょう?」


 ジルベルトは拳を口元にあてて、目をぱちくりさせる。


「は……初……?!」


「まずは言葉と態度でしっかりとお示しになるべきですわ。想っているだけでは気持ちは伝わりません。マリア様にも、ちゃんと口に出して言わなければ伝わらないのです!」



 ──ただでさえマリア様は、超絶鈍感なのですから。



 もはやジルベルトは、目を丸くしたまま両手のひらで口元を覆っている。頬が赤く見えるのはラムダの気のせいではないらしい。


 ──殿下ったら、照れちゃって可愛い!

 やばい、冷酷イケメン皇太子が照れてるの、キュンとくるーっ!



 心の内側とは裏腹に、ラムダは至って真顔で言う。


「今宵はちゃんと伝えてあげてくださいね。明日の朝マリア様に確認いたしますから、どうぞご覚悟のほど! あら、少々お喋りが過ぎましたわ。ではこれにて」


「…………ああ。いや、ラムダ、ちょっと待ってくれ。マリアは……どんなものを好むんだ? 前に一度探ろうとしたのだが」


 一番大切なものを持ってくるようにと。

 それを見れば、マリアの好むものがわかるのではと——。


「結局、何もわからぬままだ」

「さぁ。好きな人からの贈り物なら、マリア様は何でも喜ばれるのでは?」


「す、好きな……人、とは……?!」

 ラムダの一言一句に、ジルベルトはいちいち驚いている。


「お誕生日ですから、わたくしならちょっとした特別感が欲しいですけれど?」


 ──まぁしばらく照れ続けてください。

 照れている殿下はとても可愛いので。


「では、わたくしはこれで」


 扉を開ける侍従を横目に振り返ると。

 執務椅子にきちんと座ったまま固まった皇太子が、虚空をじっと睨みつけていた。


 ──あぁっ……今日の殿下のこと、マリア様に告げ口したーい!

(しませんけど)。



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