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帝都へ


 * * *




 次の日の朝。

 快晴の空に太陽は輝き、絶好の祭り日和だった。

 足元に絡みつく仔猫を抱き上げ、マリアはふぅ、と小さく息を吐く。


「ねぇ、ジル。ラムダさんが時間に遅れるなんて心配だわ。何かあったのかしら……」

「にゃー?」


 約束の時間はとうに過ぎているというのに、ラムダがまだマリアの部屋に現れないのだった。

 心配になったマリアは自室の扉を半分開けて、部屋の外の廊下を覗き込んだ。吹き抜けのホールに続く大理石張りの空間はしんとしていて、物音の一つも聞こえやしない。


「お祭りに出かける使用人もいて、今朝は人が少ないのかも知れないわね?」


 外出の用意はとうに出来ている。

 帝都に出かけると決めてからは何だかとてもそわそわして、夜もあまり眠れなかったものだから……早朝に目が覚めてしまい、早めの朝食を摂って着替えも済ませた。


 何を着て良いものかわからず、昨夜のうちにラムダにアドバイスをもらった。

 襟ぐりとスカートの裾にフリルのついた清楚な白いワンピースに、たっぷりと長い髪は耳の上から後頭部に向かって半分を結わえ、残りの髪はおろしたままにする。

 小さくまとめて頭のてっぺんでお団子にするとラムダに提案すれば、「働きに行くのではありませんわ!」きつく止められてしまった。


 ぱたん、と扉を閉め、一人がけの椅子に腰をかける。

 手持ち無沙汰なので、最近になってラムダに教わり始めた刺繍の続きを縫いながら待つことにした。

 針と糸で細かな柄をひと針ずつ縫い綴っていく刺繍は、まるで小さな額縁キャンバスに絵を描くよう。

 夢中で縫い続けることができ、糸と糸とが重なり合って、蝶や花の愛らしい柄が少しずつ仕上がっていくのが嬉しかった。


 ──綺麗に縫えたら、ジルベルトにも見てもらいたかった。


 なかなか上手いじゃないか? なんて額縁キャンバスを眺めて、きっと褒めてくれただろう……ふとそんな事を思ってしまい、まぼろしのような妄想を慌ててかき消す。


「お待たせいたしました…… !」


 ラムダが転がり込んで来たのは、なんと約束の十一時を小一時間も過ぎた昼前だった。


「ラムダさん、平気ですか……?! 何か、他にご用事ができたのではと案じていたところです」

「いいえ。身支度に少し時間がかかりすぎただけなのです。本当に御免なさい……っ」


 身支度に手間取ったと言う割に、ラムダはシンプルな細身のワンピースに髪をざっと結えただけの装いだ。


「気にしないでください。今日のような人手が足りない日に、私を連れ出そうとして下さったからですよね。こちらこそ御免なさい……」


 遅れたのはラムダの方なのに自分から頭を下げるマリア。どれほど謙虚なお嬢さんかしらと、ラムダは驚いてしまう。


 ──この様子では、後宮の女たちとの熾烈な戦いに苦戦しそうですわね……?


 なんて、今は余計な心配をしている場合ではない。


「人出が増えすぎる前に帝都に急ぎましょう。外に馬車を待たせてあります」


 獅子宮殿正面にある馬車受けのロータリーには、一頭だての控え目な箱型の馬車が停まっていた。


 ラムダにうながされ、マリアが馬車に乗り込もうとしたとき。


 イイ──ン! ブルルル……


 背後から馬のいななきが聞こえて振り返れば、立派な黒馬に跨った男が薔薇園の合間を縫って馬車に向かって来るのが見えた。

 すらりと背高い男の体躯が、頭からすっぽり被ったローブ越しにでもよくわかる。男が腰元に携えた長剣の鞘が太陽の光にきらりと輝いた。


「ラムダさん……あれは?」


「えっ?! ああ、は……わたくしたちの『護衛』ですわっ」

「わざわざ護衛を手配くださったのですか? そうだわ……ラムダさんは良家のご令嬢ですから、護衛が必要なのですね!」


 マリアはすっかり納得して、微笑みながら馬車に乗り込む。


 ──マリア様。

 あなたはいったい、どこまで謙虚で無自覚なのですか。


 ラムダの嘆息は今日も止まりそうにない。




 *




 馬車のドアが御者の手で開かれたとき。

 マリアは瞳を輝かせ、何度もまばたきを繰り返しながら周囲を見渡した。


「素晴らしいわ……!」


 十数カ国もの属国を持ち、国民の数は数百万人にも及ぶ大帝国、アスガルドの帝都。その壮大さ、壮麗さはマリアの想像を遥かに超えていた。


 見たこともない近代的な街並みが目の前に広がっている。

 青い空に向かって聳えるように立ち並ぶ、白壁の建造物の数々。それらはアイアン造りの立派な看板を掲げていて、繊細なそのデザインを眺めて回るだけでも半日はかかりそうだ。

 建物の一つ一つがまるで美術品のようで、それぞれ特徴のある装飾や個性のあるモールディング細工が施されている。


 建物の合間を縫うようにあちらこちらに張り廻らされるのは、星の形を模したガーランド……夜にもなれば点灯し、ロマンティックに街中を彩るのだろう。


 鼻唄を歌い、店先の花壇に水をやる女性。色とりどりの風船を持って走る子供たちが、マリアたちの馬車の脇を笑いながら通り過ぎて行く。

 街道沿いは背高い街灯が等間隔に並び、その下に規則正しく置かれたベンチに腰掛けるおしゃれな老夫婦はお喋りに夢中だ。


 ──皆んな笑顔で、とっても楽しそう。


 帝都と言えどもその領域はとても広く、『星祭り』を謳って祭りの様相を見せるのは帝都のほんの一部だと聞いていたものの。


「お祭りのお店が、ずっと遠くまで続いているわ……!」

「賑わいはまだまだこれからですよ。帝国の方々《ほうぼう》からやって来る者たちが加わって、夜通しこれが続くのですから」


 広々とした幅を持つ舗装された街道に沿って、左右に大小様々な出店がどこまでもずらりと並んでいる。

 昼時ひるどきの街には何やら良い匂いが漂う——出店のほとんどが、歩きながら食べられる軽食を売る店だ。


「さて、マリア様。どこで何を食べましょう?」


 ラムダがマリアの腕を取り、歩き出そうとすると。


 イイイ──ン!!


 馬車の後ろにいた黒馬が、けたたましくいななく。

 マリアには、ローブを被った護衛が馬の手綱をわざと引いて、何かを訴えかけているように見えた。


「ラムダさん、あのう……護衛の方が、何か言いたそうな……」


「あら、そうかしら? 護衛のことなどマリア様が気にされる事ではありませんわ。さぁ行きましょう」


 ふん、とあしらうように。

 ラムダは護衛の男にそっぽを向き、マリアと腕を組んで露店に向かって歩き出すのだった。





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