「あの夜のことではないのです。あなたは、悪くありません。悪いのは、私なのです」
ジルベルトから視線を逸らせ、マリアは居ずまいを正す。
「ラムダさんの怪我がひどくなかった事、とても嬉しかったのです。嬉しくて、ラムダさんにも言葉をかけたかった。ちゃんと嬉しいって、伝えたかった。それなのに私は……。あなたがラムダさんを抱える姿を見て、女としてとても厭な感情を抱いてしまったのです」
「厭な感情……?」
「そんな自分が嫌で、情けなくて。言葉が、出なくなって……。せっかく、あなたが私から顔を逸らさずに、いつもと変わらない態度を見せてくださったのに」
マリアの瞳にみるみる涙が溢れ、頬を伝ってこぼれ落ちた。
「あなたがここに来てくださった事も、とても嬉しかったのに……。肩を抱いてくださった事も、嬉しかったのに。私は、ひどく卑しい……。大好きな友人に、あんな気持ちを抱くなんて……っ」
ジルベルトは目を見張る。
マリアはいったい、何をそれほどまでに悔やむのか。
「マリア、君が泣く理由が知りたい。何故そんなに自分を責める……? 厭な感情とは、何だ?」
ジルベルトの親指がマリアの頬を滑り、光る涙の粒を拭う。
マリアはびくんと、ふれられた頬に緊張を走らせた。
「あろうことか、私は……嫉妬したのです。あなたと話すラムダさんが、羨ましいと……っ」
嫉妬。
それは後宮においても頻繁に聞かれるもので、ジルベルトが嫌う言葉だ。
なのにマリアが発すれば、むしろそれを愛おしいと感じてしまう。
——マリアと出会うまでは知らなかった。
女嫌いだと自分でも認めていたこの俺の中に、『愛おしい』なんていう感情があったなんて。
その愛おしいものの喜ぶ顔が見たいと、これほど強く望むなんて。
ラムダを抱える自分を見て、マリアはラムダに嫉妬したと言っているのだ。
「あなたが、今、想像なさった通りでございます。第三皇子殿下……私のような者がこんな想いを抱く事など、許されないとわかっています。それでも、私はあなたが……好きなのです。大好きなのです……。許されない感情を抱えたままでいるくらいなら、遠ざけてもらえて良かった。私は……皇城を出て行こうと思います」
刹那、ジルベルトは背筋が甘く痺れるような感覚を覚えた。
顔面がかあっと熱くなる。考えるよりも早く身体が動いて、目の前の愛おしいものを腕の中に閉じ込めていた。
驚いたマリアが身体をこわばらせたが、ジルベルトは構わずに抱きしめる腕の力をぐ、と強めた。
「羨ましいと思ったのなら、これからは幾らでも抱きしめてやる。他の女への嫉妬など、微塵も感じさせはしない……約束する。だからもう、そんなふうに泣かないでくれ」
ジルベルトは両腕の力を緩め、マリアの身体を解放すると。
まだ涙を滲ませたマリアの瞳を食い入るように見つめた。
「俺の顔を見て欲しい。マリアを見ていると、こんなふうに火照ってしまう。あの夜もそうだった……醜態を、晒したくなかった。ただそれだけの理由で、遠ざけた。マリアが傷ついている事など考えもしなかったのだ。こんな気持ちになるのは初めてなんだ……だからどうしたものかと、見知らぬ感情をどう処理して良いのか、わからぬのだ。この愚かな男の振る舞いを、どうか許してくれないか?」
甘美な夢でも見ているのではなかろうか。
マリアを見つめる碧色の瞳が、見たことのないほど心許なく揺れている。
──ジル、ベルト……?
熱のこもった言葉の数々が、頭の中をいっぱいにする。
嫉妬心など、朝霧が陽の光の中に溶けるように消えていた。