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東雲シンクロニシティⅠ

 暗いスタッフルームの中、みれいは寒さに耐えながら扉にもたれていた。


 もしも、みれいの仮説が正しく東側の部屋に割り振られた人物が殺されているとすると、”客室E”にいるるねっとを殺害しに犯人がこの通路を通るかもしれない。その瞬間を逃さないためにも、みれいは静かに廊下で物音がしないか耳を傾けている。


 仮にるねっとが犯人だった場合も、殺害を犯すためにこの通路を通ることになるだろう。どちらにしろ、第三の殺人が起きるかもしれないという前提だが、犯人を突き止める決定的な証拠を得られるかもしれない。だが、夜中に犯行が行われるかどうかも不明であり、何か起こって手掛かりが欲しいという気持ちと、被害者がこれ以上出ないためにも何も起こらないで欲しい、という二つの感情が睨めっこしていた。


 みれいは張り込みをしている刑事のような高揚感を僅かに感じながら座り込んでいたが、その高揚感は蝋燭の火が吹き消されるようにあっさりとどこかへいってしまった。


 気付くと、冷えた体を誰かに揺さぶられていた。


 脳みそがぐらぐらと揺れて、一瞬地震かとあたふたしながらみれいは顔を上げる。同時に、手で持っていたスマートフォンが床に落ちて鈍い音がした。


「有栖川君……普段からそんな寝相なの?」


「あれ……」みれいは声の主をじっと見つめる。揺り起こしてきたのは冴木だった。「冴木先輩……?」


「ちゃんとベッドで寝ないと風邪をひくよ、いや君なら平気か」


「……それ、馬鹿は風邪ひかないって言いたいんですの?」


 みれいは急速に思考力を取り戻して反論する。冴木は少し驚いたような表情をしてから二ミリほど口角を上げた。僅か数ミリでも、みれいにとっては冴木の表情の大きな変化であり、その差異は計り知れない。


「馬鹿は体調管理ができないから逆に風邪をひくよ。それより、もう六時だけれど……起きる?」


「えっ!」


 みれいは慌てて落ちたスマートフォンを手に取り、ホームボタンを押した。ロック画面の壁紙である実家の伊三郎が映し出され、その上にでかでかと時刻が表示されている。冴木の言った通り、もう朝の六時だった。日付は十二月二十五日、クリスマスである。


「私、いつの間にか眠ってしまいましたわ」


「そんなところで寝ていたの? それより、雪が止んでいるよ」


 冴木が鉄格子の嵌められた窓から外を見ていた。みれいはそれを聞いてすぐに服を着替えようと立ち上がる。


「冴木先輩、誰もこの館から出さないで下さいね」


「あのね、仮に出て行っても、午前中のバスはまだ来ないし、逆に怪しまれるだけだよ」


「なら、一応行動を見ていて欲しいですわ。あ、でもまだ誰も起きていないかしら……」


「多分、起きていないだろうね。それで、そんなに服を着込んで一体どうするの?」


「私、別荘へ行ってきますわ。あそこには連絡手段がありますし、仮に無理でもメイドがいますわ。すぐに警察を呼ぶように命令して、それから……」


「朝からよくそんなに動いて考えられるね……」


 冴木が欠伸をしながらベッドに座った。こんな朝早くから冴木を見たのは初めてだったが、低血圧というのは本当のようだった。冴木はいつも以上に生気のない顔をしている。


「とにかく、お願いしますわ。冴木先輩」


「君は、一人で行けるの?」


「荷物は置いていきますから、大丈夫ですわ」


「分かった。警察が来るまで、誰も外に出さないでおくよ」


 冴木の返事にみれいはにっこり微笑んで、最後に自慢のチェスターコートを羽織ると部屋を出た。

 そのまま黒騎士の像がある場所を抜けて一階の玄関ホールに降り、大きな玄関扉に向かう。

 玄関の鍵は掛かったままだった。恐らく、誰も出ていないのだろう。みれいは鍵を開けて冷蔵庫のように冷たい外に出る。案の定、雪に足跡はなく、誰も外に出ていないと分かった。逆に、来客もない。


「あっ、鍵……」


 外に出たら鍵が掛けられないことに気付き、みれいは一瞬だけ逡巡した。しかし、冴木ならその事に気付いて鍵をしてくれるだろうと思い、すぐに別荘に向かう道まで引き返しそうと転ばないよう注意しながら走った。


 まだ誰も吸っていない澄んだ朝の空気を存分に肺に取り込み、清々しい気持ちでみれいは走る。しかし小径は思っていたよりも雪が積もっており、上手く進めない。埋もれる自分の足を見て、昨夜の雪の凄惨さを痛感した。純白の雪の絨毯は神秘的だったが、こんな所に長くは居られない。


 みれいが白くコーティングされた針葉樹の合間を抜けて黙々と進んでいくと、別れ道に出た。片仮名のト、のような道である。ここを真っ直ぐに突き進めばバス停に行くことが出来る。だが今は右側にある有栖川家の別荘が目的地だ。


 雪はすっかり止んでいるが、また今にも降り出しそうな雲行きだった。太陽はまだ僅かに出ているだけなのか周囲は薄暗く、何とも不気味な雰囲気と寒さがみれいを襲った。

 似たような景色のせいでどれぐらい進んだのか分からなくなった頃、ようやく目の前に懐かしさを感じるノスタルジーな建物が姿を現す。


「ふぅ、やっと着きましたわ」


 みれいの親が所有しているこの別荘は、人気のない自然に囲まれた場所で寛いでみたいという亡き祖母のわがままで建てられたらしい。だが、結局ここに来るまでの道を重機が通れるように伐採しているわけであるし、建築はかなり難航しただろう。これでは本当の自然とはかけ離れているのではと疑問に思っていた。本物の自然を満喫したければ、極力何もしないというのが自然だが、人間がいるだけでその環境はいとも容易く壊れてしまうものである。


 顔を覗かせた朝の陽射しで、黒騎士館とは別の印象を与える洋風の白い建物は、雪に覆われて幻想的な印象を与えた。一瞬、この光景を冴木にも見せたいと思ったが、本来の目的を思い出して小走りで玄関に向かった。

 みれいは玄関扉の横に付けられているインターフォンを鳴らす。一刻も早く建物の中で暖まりたかった。


「そういえば、結構歩きましたけど何時なのかしら」


 みれいはスマートフォンを取り出して時刻を確認する。もう七時を過ぎていた。


 しばらくして玄関から顔を出したのは、若いメイドだった。それは今現在、みれいの妹に専属で仕えている恵美めぐみという女性である。


「あれ、みれいお嬢様!」


 恵美は目をぱちくりさせてから、慌てて頭を下げた。肩まで降りている黒髪が、メイド服とよくマッチしている。一見すると黒と白しかないように見える相貌だが、リボンや靴の装飾に申し訳程度に赤があり、可愛らしい印象を与えた。


「ご苦労さま、恵美さん。ちょっとお話がありますので、こちらに」


 みれいは毅然きぜんとして室内に入り、すぐ右手にあるダイニングルームに行った。ここには昨晩からミス研のみんなが来ている。情報を共有しておいたほうがいいだろう。


 ダイニングルームには案の定、ミステリー研究会会長の萩原大樹がいた。手にビール缶を持ったままテーブルに頬をついている。その向かいに、欠伸をして涙目になっているみれいの実の妹、有栖川あおいがいた。


「誰が来たかと思ったら、お姉ちゃんだったのね。恵美さん、お姉ちゃんの分もコーヒーを淹れて下さい」


「かしこまりました。少々お待ちください」


 恵美はおぼつかない足取りでキッチンへ消えていく。それが彼女の普段の足取りだった。


 萩原は髪を茶髪に染めており、耳には小さなピアスが付いていた。普段は精悍せいかんな顔つきをしているのだが、寝顔はだらしなかった。今もよだれが垂れかかっている。

 そんなだらしない萩原の向かい側に座っているあおいは、みれいと同じレッドピンクの髪をしており、容姿は昔のみれいにそっくりだった。だがまだ十五歳という事もあり、どこかあどけなさがある。


 あおいは「起きなよー」と微笑して向かいのテーブルに突っ伏している萩原の足を容赦なく蹴った。だが会長はむにゃむにゃと口を動かすだけだった。


「まぁ、止めなさいあおい、はしたない」


「言っておくけどね、お姉ちゃん。お姉ちゃんが来ないせいで、わたしがミステリー研究会とやらの相手をしなくちゃいけなくて大変だったんだからね」


「もう……」みれいは椅子に腰掛けて小さく息を吐く。「それが、昨日の夕方ごろには来たんですけど、雪があまりに強くて断念したんですわ」


「もう、お姉ちゃんは相変わらず馬鹿だな。毎年この時期はこの地方、雪が凄いんだから。ちょうどお母さんたちが仕事でいなかったから手配してあげたけど、もう勘弁だからね」


「毎年必ず降るんですの?」


「そうだよ。わたし、それ説明したはずなんだけど……まぁいいや」あおいが足を組んだ。「それで、あの冴えない感じの人は一緒じゃないの?」


「誰ですの?」


「ほら、あの死にそうな顔してた人」


「死にそうな顔って……」あおいはそんな人物の顔を見たことがあるのかと、みれいは問いたくなった。「冴木先輩のことですの?」


「そうそう、それ。一緒じゃないの?」


「それが……」


 みれいは、昨夜遭遇した殺人事件のことを簡単に説明した。途中で恵美がコーヒーを三つ置いて話に加わり、話を聞き終えるとすぐさま警察に電話をしにいった。萩原の分まできちんとコーヒーを用意するところが彼女らしい気配りだ、とみれいは内心で賞賛した。



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