月音は目をぱちぱちと瞬き、目の前に広がるもふもふの動物たちの群れを見つめていた。
「これ、夢じゃないの……?」
ぬいぐるみのように愛らしい動物たち。草食動物も肉食動物も、雑多なもふもふたちがひとまとめになっている。まずそれ自体がおかしい。異世界なのに、動物園でおなじみの動物がこんなにもいるなんて。それに、なんでこんなにいろんな種類がまとまっているんだ。
そして、さらにその光景には何か異様な静けさがあった。
目だ。動物たちの目に、何か違和感がある。
動物たちはまるで月音を見つめているかのように、じっとこちらを注視している。
愛らしいはずなのに、その視線は不気味で、どこか背筋をぞくりとさせるものがあった。
「ここ、アニモラにはね、君の世界にいたいろんな種類の動物が、たくさんいるんだ。どうだ、可愛いだろう」
糸目男は胡散臭い笑みを浮かべたままだ。
どう返事をしていいかわからず固まったままでいるが、糸目男は気にせずに一人で話し出す。
「彼らのことを説明する前に、まずは自己紹介をしよう。僕はエルスト。この世界、アニモラを守る者のひとりだ。もっとも、君にとっては導き手みたいな存在だと思ってくれればいいよ。」
「導き手?」
糸目男――エルストは動物たちの群れのほうへ向かってゆっくりと歩き出した。そして、ついてこいと手招きをする。
「天野月音。君には、この世界で果たすべき役割がある」
「役割……?」
異世界に呼ばれた、となればそう来るだろう。
――でも、私に何か特別な力などあるのだろうか。
ただの社畜OLとして終電まで働き続けた日々、28年間彼氏もの一人もできず、学生時代の友人はあけおめLINEがくる程度。職場では同僚とも先輩とも仕事上だけの付き合いで、唯一の楽しみといえばYoutubeで大食い動画と動物動画を見ること。
自分で考えて悲しくなってきてしまった。
エルストの後をついて動物たちの群れへと近づいていく。
動物たちはおとなしく、エルストと月音が近づいて行っても逃げることなく大人しくしたままだった。
可愛い。
触りたい。
もふもふしたい。
近づけば近づくほど、動物たちの愛らしさにうずうずとしてしまう。
エルストは月音の様子など気にもせずに、勝手に話を続けていく。
「この動物たちはね、罪人なんだ」
「……へ?」
予想していなかった言葉に、月音から間抜けな声が上がる。
ザイニン。罪に、人と書く、あの罪人だろうか。
このもふもふたちが……? 罪でもないし、人でもない、ようにしか見えない。
「アニモラでは、罪を犯した人間は動物になるんだよ。動物になった罪人は、家族に飼育されたり、労働用に使役されたり様々だ。しかし、みんながみんな引き取られるとはいかない。
ここユレアトレの草原には、どこにも引き取り手のなかった野良罪人が野生動物として生活しているんだ。あの森やこの草原には食料も豊富で、天敵もいないからね、過ごしやすいんだ」
エルストが立ち止まる。
一番近くにいる、大きなもふもふの白い犬――サモエドだろうか――までの距離は、もう3mもない。かわいい。撫でたい――しかし。
「あのもふもふたちが、みんな罪人なの?」
月音は動物たちに覚えた違和感を思い出す。あの目。動物たちがこちらを見つめている目は、確かに人間が人間を見つめている時のような目、だ。
「ああ。と言いたいが、どうも最近おかしいんだ。
動物化している人間が多すぎる。
君の役割は、この動物化した罪人たちの謎を解き明かすことだよ、月音」
エルストがわたしのほうを向き直り、その細い瞳を開く。ちらりと見える瞳の色は、ぞっとするほど深い、闇のような紫色だった。
ぞくり、と体が震える。
動物化する罪人。
もしかすると。
月音は自分の頭に手を伸ばした。そこにあるのは、もふもふの猫耳。
「あの、エルスト――さん。もしかして、この猫耳が生えているってことは、私も罪人っていうこと、ですか?」
エルストはすぐに元の胡散臭い表情に戻ると、くつくつと笑いだす。
「いや、この世界にそんな中途半端な存在はいないよ。アニモラには、完全な人間か完全な動物しかいない。月音、君のようは半獣は存在しない」
「えっ……?」
――じゃあ、この猫耳は一体……? もしかして、私を呼び出したエルストの趣味か何かだろうか。
月音は猫耳を撫でながら困惑した視線を向ける。猫耳はもふもふで、撫でていると自動的に癒されてしまう。
エルストはぱちん、と指を鳴らす。
「君には特別な能力を与えておいた」
「能力……ですか」
近くにいたサモエドらしき大型犬の隣に行くと、その背中を撫でだす。サモエド犬はっはと舌を出しているが、は大人しく撫でられている。
サモエド犬の耳元に顔を寄せると、なにか――よくわからない呪文のようなものを唱えだす。
「……何してるんですか?」
月音はおそるおそる尋ねたが、彼は応えず、低く響く声で謎の言葉を呟き続ける。その様子はどこか儀式めいていて、不気味ですらあった。
すると――。
サモエドの体から、紫色の靄のようなものがゆらゆらと立ち昇り始めた。
「わっ! えっ、なにこれ!? ちょっと待って!」
月音は思わず一歩後ずさる。靄は軽々と空中に浮かび、やがて徐々に色を変えていく。紫から青、そして緑――どんどん鮮やかになり、奇妙に幻想的だった。
「月音。君は罪食みの少女。獣になった罪人の罪を食らうことが出来るんだ――」
エルストのその言葉が終わると、白い薄い靄の中に、何か影のようなものが出現する。
靄が薄れて、その影がはっきりと姿を現しだす。
それは、円形の何か、いやこれは――器。
ラーメンどんぶりだ。
赤いラーメン丼から湯気が立っている。
これは、大盛りのチャーシューラーメンだ。
「さあ月音。この罪人の罪を食べるんだ」
月音は宙に浮かぶ大盛りチャーシューラーメンをぽかんと見つめていた。