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03

 宙に浮かぶ大盛りチャーシュー麺をぽかんと見つめていると、エルストが一歩前に出る。手を伸ばし、何か呪術的な手の動きをすると、チャーシュー麺がゆっくりと月音の前に降りてきた。

 目の前のチャーシュー麺からは、食欲をそそる醤油の香ばしい匂いがむんむんと立ち上っている。


「これがこの獣化した罪人の持つ罪。君がそれを食らうことで、この罪人は人間に戻ることが――って、なんだ、そんな、変なものを見る顔をして」


 真剣そうな顔で滔々と語っていたエルストが、苦笑を浮かべて眉をしかめる。


「いや、だって……これ、チャーシュー麺、じゃん。しかも大盛りの」


 今度はエルストがぽかんとした表情になる。


「チャーシュー麺……? なんだ、それは。ふむ、そうか。


 月音は大きく頭を振る。


「いやいやいや! これはどう見てもチャーシュー麺なの! 罪とかそういう話じゃない! ただの食べ物だよ!」


 エルストは腕を組み、チャーシュー麺――いや、罪――をしげしげと眺めたあと、軽く肩をすくめた。


「君の言葉が正しいのならば、アニモラの『罪』は君の目にはこういう形で映るらしい。食べやすくていいじゃないか。それが君の力、罪食みの特異性なのかもしれないな」


 彼は静かに頷くと、月音に向かって指をさす。


「さあ、食べるんだ」


「いやいや、待ってよ!」


 月音は全力で手を振り、後ずさる。


「私、この状況に追いついてないんだけど!? これ食べろって……普通に無理でしょ! これ……罪とかなんとか言ってたよね? 呪いとか毒とか入ってるんじゃないの!?」


「君には食べ物に見えるだろう? ならば、それを食べることは自然なことだろう。それが君の使命だ」


 さらりと言い放つエルストだが、その論理がまったく自然に思えないのは月音だけだろうか。


「いやいやいや! 理解できない!」


 必死で拒否する月音を前に、やれやれとでも言いたげにエルストは軽くため息をついた。


「これが君の役目だ、天野月音。罪を食らい、その力を受け入れる。それによって、この獣化した者を救い、人としての姿を取り戻させる。さあ、食べろ」


 突然、月音の目の前のどんぶりがすうっと彼女の手の中に納まり、不思議な力で彼女の手に吸い付くように張り付いてしまう。


「……えっ、なにこれ!? 外れないんだけど!」


 エルストは満足そうに微笑みながら、静かに立ち上がる。


「さあ罪食みの少女、その使命を果たすんだ」


 絶望的な気分でどんぶりを見つめる月音。


「食べろって言っても、箸もなければ……」


 と言いかければ、ふわふわと浮かぶ箸とレンゲが彼女を見つめ返すように揺れている。


「……私、帰りたい……」


 諦めたように箸を手に取ろうとした瞬間――。

 遠くから地響きのような音が近づいてきた。


「……?」


 月音が振り向くと、一本の道を猛ダッシュでこちらに向かって駆けて来る一頭の生き物の姿があった。手足が長く、顔は丸い。そしてなんだか惚けたその顔の持ち主は――


「ナマケモノ……?」


 ナマケモノは月音の目の前まで来ると、その腕をばしっと振り下ろし、どんぶりを地面に叩き落とした。


「ああっ!!」


 つるつるのちぢれ面が、香ばしい醤油スープが、分厚いチャーシューが、地面に落ちた瞬間にふっと消えてしまう。最後まで残っていたラーメン丼も、ゆっくりと解けるように消えて行ってしまう。


 残されたナマケモノは、ゴロンと月音の前に横たわるのだった。


「この罪人は、いったい……」


 エルストはナマケモノの前にしゃがみ込み、その額に触れようとする。しかし、ナマケモノがその手を叩き拒否をする。


「……っつ……!」


「エルスト、さん! 大丈夫?」


 ナマケモノの意外と鋭い爪で傷ついた手を自分の口元に運び、エルストは眉をしかめる。

 月音はただどうしていいかわからずに、エルストとナマケモノを交互に見ていた。


 少し離れたところで、自らの罪――チャーシュー麺を食らわれるはずだったサモエド犬は、変わらずはっはと舌を出しながら大人しく座っていた。

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