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06

 街へたどり着いたのは、夕日が沈み切る頃だった。


 ――やっぱり、異世界なんだなあ。


 小さな城壁に囲まれた街。レンガ造りの建物や、待ちゆく人々の質素な服装は、現代日本とはかけ離れている。絵本の中の街のような景色に、月音とハルキは落ち着かずにきょろきょろとあたりを見回していた。


「落ち着け。そんなに挙動不審になると怪しまれるぞ」


 エルストの言葉に、月音たちは居住まいをただす。

 石畳を行き交う人々の姿からは、確かにこの世界の生の営みを感じ取れた。


「ここが『ウィスト』という街だ。小さい街だが、宿屋も食堂も揃っている」


 エルストが軽い調子で言いながら、迷うことなく街の中心部へと歩みを進める。月音とハルキも、その背中を追いかけるしかなかった。


 ほどなくして一行は宿屋に到着した。看板には「海蛇亭」と書かれている。重たい木製の扉をくぐると、アットホームな雰囲気が広がっていた。

 カウンターの奥から、太った女主人がにこやかに迎えてくれる。


「ようこそいらっしゃい! 三人様と……あら、可愛いモフモフちゃんね?」


「部屋を頼む。2部屋だ」


「はいよ、ちょうど空いているよ。2階の奥の2部屋を使っておくれ」


 エルストはすぐに料金を払い、部屋を取った。エルストの差し出している銀貨をまじまじと見つめてしまう。正円形ではない、どこかいびつな分厚い銀貨が鈍く光っている。


「月音は手前の部屋だ。僕とハルキとサモエドは奥の部屋――」


 と指示を飛ばそうとすると、サモエドはエルストから離れ月音の足元に濡れた鼻を押し付け始めた。


「お前は私と一緒の部屋がいいの?」


 月音が尋ねると、サモエド犬は「ばうっ!」と嬉しそうに鳴き声を上げた。


「そうか。僕は構わない。では荷物を置いたら食堂に集合しよう」


 エルストからサモエドのリードを受け取ると、指示された部屋へと向かった。


 ***


 食堂は暖かい明かりで照らされていた。テーブルにはシンプルなランタンが置かれ、周囲の客たちは談笑しながら食事を楽しんでいる。


 月音は、少しだけ安心した気持ちで椅子に腰を下ろした。異世界での生活がまだ掴めない中、こうしにぎやかな雰囲気、すこしほっとできる。


 だが――。


 運ばれてきた料理を目にした瞬間、月音は固まった。


「これ……何?」


 目の前に置かれたのは、灰色がかった粘土のような塊。付け合わせとして並べられているスープは、ヘドロのような緑色で、表面に浮いた油が光っている。

 ひきつった笑みを浮かべていると、隣のハルキが「うわ、アニメの中の食事みたいだ!」と楽しげにナイフとフォークを手に取る。そして粘土の塊を切り分けると、薄い切れ端を口に運び、目を輝かせた。


「うわあ、おいしい!」


 エルストも、「この宿の料理は安いがボリュームも味も申し分ない」と言いながら淡々と食べ始めた。

 サモエド用にもなんだか奇妙なドロドロした物体が床に置かれ、「ばうっ!」と吠えると勢いよく鼻をさらに突っ込んだ。


 だが、月音はフォークを持つ手が動かない。おそるおそる粘土のような塊にフォークを刺し、少しだけ口に運ぶ。


 ――噛んだ瞬間、顔が歪んだ。


「うっ……」


 何とも形容しがたい味だった。酸っぱいような、苦いような、それでいてひどく生臭い。


「どうした」


 エルストが冷静な声で問いかける。


「え、いや……その……」


 正直に「まずい」と言うわけにはいかず、月音は言葉を濁す。


「もしかして、口に合わない?」


 ハルキが心配そうに尋ねてくる。


「ちょっとだけ……ね……」


 エルストは月音の様子に違和感を覚えたようで、細い瞳を開き彼女の様子を見つめる。


「月音。もしかして、お前にはこれが食べ物に見えていないのではないか?」


「えっ?」


 ハルキがきょとんと眼を丸くする。いつの間にか自分の皿を平らげ、ジョッキに注がれた液体を飲んでいる。アルコール、だろうか。月音の前にもジョッキが置かれているが、なんだかガソリンのようなにおいのドロドロした液体にしか見えない。


「これ……食べ物なの?」


 月音がフォークの先で灰色の粘土をつんつんとつつく。


「食べ物なのって……ローストポークみたいな、焼いた肉だよ……?」


 困惑した表情でハルキがその灰色の粘土にフォークを指し、口に運ぶ。当たり前のようにおいしそうに咀嚼し、嚥下する。その喉の動きを見ていると、うっと吐き気が込み上げてくる。


「ふむ。罪食みの使命を持った月音は、この世界の食事をとることが出来ないのかもしれない」


「え、えええ……!?」


 月音は驚きのあまり声をあげる。


「お前は罪を食べるためにこの世界に存在している。他のもので胃を膨らませるわけにはいかないのだろう」


「そんな……」


 と、驚いてみたはいいものの――どうなのだろう、この世界の食事がとれないというのは。困るの、だろうか。

 先ほど食べたオムライスと、サモエドのチャーシュー麵を思い出す限り、ああしたものが食べられるのであれば、特に困ることはないような気がする。

 今は、ハルキの罪のオムライスでお腹もいっぱいだし。


「まあ、問題はないだろう。非常食もあるしな」


 そう言うとエルストはサモエドの頭を撫で始めた。

 サモエドは何を言われているのかわかっているのかわからないのか、皿をべろべろと舐め続けている。



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