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08

 三人は、黒い影が飛び去った方角を追いかけていた。影は空気のように軽やかに動き、追跡は容易ではなかったが、エルストがその奇妙な足跡を頼りに進んでいく。


「この影、どこに向かってるの? エルスト、わかる?」


 月音が息を切らしながら問いかける。


「おそらく……彼らのアジトだろう」


 エルストが短く答えるが、その声は緊張感を含んでいた。

 アジト、とあっさり答えた彼に、月音は違和感を覚える。


「もしかして、エルストはさっきの陰の正体を知っているの?」


 月音がさらに追及するが、エルストは一瞬躊躇した後、「説明は後だ。まずはサモエドを助けるのが先だろう」と話をはぐらかした。

 月音はさらに文句を言おうと口を開くが、これ以上言葉を重ねてもどうせエルストは何も答えまい、と口を閉じる。

 ハルキが苦笑しながら、月音の隣を走りつつ言葉を投げた。

「まあ、なんにせよあのモフモフ犬を助けないと。あの犬、気に入ってるんでしょ?」


「そ、それは……もふもふだし」


 月音は反論しようとするが、的確に本音を突かれ、黙り込んでしまった。


 やがて三人は、森の中に佇む古びた石造りの建物にたどり着いた。そこからは異様な気配が漂っている。建物の周囲には黒い霧が立ち込めており、まるで侵入者を拒むかのようだ。


「ここだな……。ふむ、厄介だな」


 エルストが低く呟いた。

 ハルキが建物を見上げながら口を開く。


「なんか、いかにも悪のアジトって感じだな。中にはどんなヤツがいるんだ?」


 エルストはため息をつきながら答えた。


「……僕が罪人達を掬うのを邪魔しようとしている連中さ。罪の力を使って世界を支配しようとでも企んでいるんだろう」


「罪の力?」


 月音が聞き返すが、エルストは首を横に振る。


「詳しい話は後だ。今はサモエドを助けるのが最優先だ」


 そう言って建物の中へ踏み込むエルスト。月音とハルキもその後に続いた。

 中は不気味なほど静かで、冷たい空気が漂っていた。一歩進むたびに誇りが舞い、長い間この家が使われていないことを示していた。

 ゆっくりと、奥へ進むと、ひときわ大きな広間にたどり着いた。


「やはり来たわね」


 低くも柔らかい声が響いた。声の主は、奥の部屋に佇む長身の女性だった。

 鋭い目と銀色に輝く髪が印象的で、その全身からただならぬ威圧感が漂っている。彼女の足元には、先ほどの黒い影が蠢いていた。


「……エルスト。こんなところまで追いかけてくるなんて、相変わらずしつこいのね」


 女性は冷笑を浮かべながら言った。


「オルテリア……」


 エルストがその名を低く呟いた。


「オルテリア?」

 月音が小声でハルキに尋ねると、ハルキも肩をすくめながら首を傾げる。


「犬はどにやった?」


 エルストが問いかけると、女性は肩をすくめて答えた。


「安心しなさい。あなたたちの小さな友達なら無事よ……今のところはね。」


 女性は指を鳴らし、部屋の隅からサモエドが鎖に繋がれたまま引きずり出される。サモエドは自分がどうなっているのかわかっているのかいないのか、相変わらず舌を出してはっはと鳴らしながら、純粋な、少しとぼけた視線で月音たちの方を見つめた。


「もふもふ!」

「もふもふを返せ!」


 ハルキが拳を握り締め、前へ出ようとするのをエルストが手で制する。


「待て。奴らの狙いは僕たちが手出しすることだ」


 女性は冷ややかに笑う。


「さすがね、エルスト。察しがいいわ。私が欲しいのはこんな馬鹿みたいな犬ではなくて、罪食みの少女、あなたよ」


「――私?」


 突然議論の檀上に乗せられ、月音はきょとんと眼を丸くする。

 いや、そういうこともあるだろう。異世界に転生し、特別な力を与えられたのだ。いろんな勢力から狙われることも――そりゃあ、あるだろう。

 そう思いなおすし、オルテリアと呼ばれた女をにらみつける。


「あら、怖い顔をしないで。あなたは異世界からそのエルストと名乗っている男に呼び出されているのでしょう。罪を具現化し、食べることで人間の罪を浄化する――。ねえ?」


 女性の視線がねっとりと月音に絡みつく。


「……それが、なに……」


 月音が戸惑いの声を上げる。


「エルストにどういわれたか知らないけれど、罪人たちの罪は――」


「この女の話を聞くな、月音!」


 エルストは即座に立ち上がり、身構えると口の中で小さく呪文のようなものを唱え、オルテリアに向かって何か衝撃波のようなものを放つ。


「あらエルスト、ずいぶん短気になったものね。影、来なさい」


 女性が指を鳴らすと、黒い影が再び蠢き始めた。


「お前たちに僕は止められないよ」


「エルスト……!」


 月音が後ろで不安げに声を上げる。二人の話している内容のことはわからない――けれど、不穏なことが話されているのは、わかる。


「罪食みの少女、お前はお前が食べた罪がなんだったのか、わかっているの?」


 オルテリアは影をあやつり、エルストに攻撃をぶつける。


「私が、食べた罪――」


 ハルキの罪について、エルストは「怠惰な殺人鬼」だと、そう言っていた。


「月音、聞くな!」


 エルストが呪文を唱えると、部屋を空気の弾が飛び交う。室内の家具にぶつかり、大きな音を立てて家具や小物が破壊されていく。


「この犬の罪を知っているのかしら?」


「黙れオルテリア……!」


 エルストが放った衝撃波が影に直撃し――影が消え去る。

 その時には、いつの間にかオルテリアの姿も、そしてサモエドの姿も消えてしまっていた。





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