ウィストの街は朝の喧騒が落ち着き、昼の穏やかな活気に包まれていた。エルストが「用がある」と言ってどこかに出かけてしまい、残された月音とハルキは2人で街を見て回ることになった。
「なあ月音、ここら辺歩いてると、異世界って感じがするよなあ」
ハルキは目を輝かせながら、石畳の通りや鮮やかな看板が並ぶ店々を見渡していた。街の中心を流れる細い運河には木製の小舟が行き交い、市場には見たことのあるようなないような果実や魚、肉が並んでいる。
――食材のうちは、普通に食べられそうに見えるんだけどな……。
月音は市場をチラチラ見ながら、そんなことを考える。
「そうだね。でも、私たちが元いた世界と比べたら、ここってすごく……のどかに見える」
月音は自分の耳を隠すようにフードを被りながら、慎重に周囲を見回していた。猫耳が目立たないようにするためだ。
「確かに平和そうに見えるけど……ていうか、俺は元の世界もよく覚えてないしな。
月音はそんなに元の世界が大変だったのか?」
「ん~~……」
元の世界。1日しかこの世界にいないのに、会社で終電まで残業していたのが、なんだか遠い昔のことのように思える。
「まあ、もう戻れない世界のことを考えても仕方ないよ。……でも俺らみたいに急に猫とかになる人もいるんだよな。なんかヘンな世界だよ」
ハルキは首を傾げながら、小舟から声をかけられた魚屋の店主に手を振る。
月音はその姿を眺めながら、ふと思い出したように口を開いた。
「……フィオナさん、本当に自分の罪が何か知らなかったのかな?」
「ん?……知らないって言ってたけど、どうなんだろうな」
ハルキの口調は、あまり真剣にそのことについて考えていないように聞こえた。
罪。
エルストは「罪を喰らう」と簡単に言うけれど、その罪が具体的に何なのか、話して呉れてはいない。
「罪って、そんな簡単にわかるもんなのかな?」
と思うと、一転しハルキ急に真剣な顔になった。
「え? どういうこと?」
「俺もさ、月音に初めて罪を食べてもらったとき、自分がどんな罪を背負ってたか……全然ピンとこなかったんだよな」
「そう言ってたよね」
月音は足を止めて、ハルキをじっと見つめた。
「ナマケモノでいたときって、どんな感じだったの?」
ハルキは眉を寄せて困ったような表情を浮かべた。
「どんなって……。なんていうか、普通だよ。普通にナマケモノとして生きてた。それで少しずつ人間の時のことを忘れていった、ような気がする。最初は変な生き物になっちゃった!どうしよう! って焦っていたような気がするけど、次第にそれも忘れていった」
「……それで?」
「頭の隅っこにはあるんだよ。このままじゃいけないって気持ちが。でもそれよりナマケモノの本能が次第に増していったんだ。で……そんなときに月音とエルストを見かけて、ああ、この人たちがどうにかしてくれるに違いないって、そう思ったんだ」
「え? ハルキはわたしが罪食みの少女だっていうことを、知っていたの?」
「……あれ? そういうことになるのか?」
月音とハルキは少しの間見つめあい、そしてどちらからともなく目を離した。
「ハルキ、元の世界のこと……少しでも思い出したら、教えてよね」
「ああ」
月音はその言葉を聞きながら、自分の胸の内を整理するように続けた。
「フィオナさんのことに戻るけど、彼女は数日前に猫になったって言ってたよね」
「ああ」
「ハルキはどれくらいの期間ナマケモノだったの?」
月音の問いに、ハルキは顎に手を当て考え込む。
「うーん、正確にはわからないけど。1か月よりは長くて、半年……とかかなあ。1年は経ってないと思うけど」
「想像より長い間ナマケモノだったんだね!?」
「え? そう?」
あまりにあっけらかんという彼に、月音は目を丸くしてしまう。
ハルキは、なんというか、普通の優しいお兄さん、みたいな人だと思っていたが、そうでもないのかもしれない。
「動物でいる期間によって、人間でいたころのことや、罪について覚えているかどうかが変わるのかもね」
「まあ、それはあるかもな」
ふたりはいつの間にか市場を歩き終わり、街の外れに立っていた。
この塀を潜って少し歩けば、ハルキと出会った、あの動物たちの群れがいたところだ。
ハルキの罪について、本当は聞かなければいけない――
「怠惰な人殺し」と、エルストはハルキについてそう言っていた。
でも、それが本当に恐ろしい罪だったら、どうしよう。
そう思うと、このままハルキの罪については聞かないまま、なんとなく過ごしてしまいたい。そう思っていた。
――まあ、記憶もまだ戻ってないみたいだし、聞いてもわからないだろうけど。
「ん? どうかしたか?」
「ううん、なんでもない。そろそろ宿に帰ろっか」
太陽は少しずつ傾き、街は夕焼けに染まりつつあった。