月音とハルキは、教会の門の影に息を潜めながら、フィオナとエルストの会話を盗み聞いていた。エルストの穏やかな声の奥に感じる冷たさが、月音の心をざわつかせる。
「怖がらなくていい、フィオナ。君は一人じゃない――そうだろう?」
エルストが優しく語りかけるその瞬間、月音の足元で乾いた枝がパキリと音を立てた。
「……誰だ?」
エルストの声が低く響き、フィオナも振り返る。月音はハッと息を飲み、ハルキの腕を引っ張った。
彼女は意を決して、陰から姿を現した。
「……エルスト」
エルストは驚いた様子を微塵も見せず、にっこりと微笑む。
「やあ、月音。それに、ハルキも。一体こんなところでどうしたんだい?」
「それはこっちのセリフだよ」月音は視線を鋭くしながら言葉を紡いだ。「――エルスト、私たちに嘘をついてたりしない?」
エルストは少しだけ目を細めると、柔らかい声で答えた。
「嘘? とんでもない。僕が君たち――いや、罪食みの少女、君を呼んだんだ。君の力を借りるためにね。嘘をつく必要があると思う会?
……でも、君が何か疑念を抱いているなら、気になることを直接聞いてくれて構わないよ」
月音は一瞬ためらったが、思い切って問いかけた。
「フィオナとここで密会していたのはどういうこと? それに、彼女の罪についても知っているみたいだけど……一体何をしようとしているの?」
エルストは少しの間沈黙した。だが、次の瞬間には再びあの穏やかな笑みを浮かべていた。
「月音、君はとても賢いね。でも、僕たちにはそれぞれ役割があるんだ。君の役目は罪を喰らうこと。難しいことを考える必要はない」
「でも……!」
月音が続けようとするのを遮るように、エルストは軽く手を上げた。
「月音。君は僕無しでこのアニモラで生きていけると思うのかい?
僕に導かれて罪を喰らい、この世界で楽しく生活していこうじゃないか」
その言葉には、どこか嘘臭さが漂っているように感じられた。月音は食い下がろうとするが、エルストの落ち着いた態度にどうしても核心に迫ることができない。
ハルキが月音の肩を軽く叩き、小声で囁いた。
「あいつ、あんなムカつくやつだっけ? ……いいよ、オレたちだけでなんとかしようぜ」
「え?」
「逃げよう!」
月音の手を取ると、ハルキは一気に駆け出した。
二人は門の影から飛び出し、街の出口へと向かい走っていく。背後からエルストの声が追いかけてくる。
「待ちなさい、君たち!」
その声に明確な怒りはなかったが、なぜか胸の奥に響くような威圧感を感じた。月音は振り返ることもせず、ただひたすら前を見て走る。
「こっちだ!」
ハルキがとっさに草むらの中へと道を選び、二人は細い獣道を駆け抜ける。夕陽が木々の間から差し込み、視界がちらつく中、背後の足音が遠ざかっていくのを感じた。
***
ふたりは夢中で走り続けた。街を抜けても息が続く限り走り続け、しばらくして最初にハルキと出会った――動物たちが集まる草原に戻ってきた。柔らかな風が吹き、穏やかな雰囲気が漂っている。
「ここなら大丈夫かな……?」
月音が周囲を見渡すと、草むらの中から小さな白いウサギが顔を覗かせた。それを見た月音の表情がわずかに緩む。
「なんだかホッとするね」
人懐っこく寄ってくる白ウサギの背を撫でながらつぶやく。そしてすぐに、もしかするとこのウサギも罪人なのではないか、ということに思い当たり、ぎょっとして手を引っ込める。
「それにしても、思わず逃げてきちゃったけど……大丈夫かな」
「逃げてきて正解だったんだよ」
ハルキが息を整えながら、草の上に腰を下ろした。彼の手のひらには、いつの間にか拾ってきた細長い枝が握られている。
「だって、あのエルスト、完全に何か隠してる感じだったじゃん。あいつ、あんな喋り方してたっけ? すっげえ胡散臭いっていうか……」
月音は頷きながら、そっと目を閉じた。エルストの言葉が耳に蘇る。
――君は僕なしで生きていけると思うのかい?
その問いには明確な威圧が込められていた。だが、それ以上に、月音の胸に刺さったのは、エルストの態度のどこかにある「見下し」のような感覚だった。
「エルスト……一体何を考えてるんだろう」
月音が呟くと、近くにいた白ウサギが小さく鼻をひくつかせた。
ハルキはウサギをじっと見つめ、ふと呟いた。
「なあ月音、あいつ罪、持ってるんじゃね?」
「……そう、かもね」
月音は気づかないうちに胸の中で罪を感じ取る自分の力が目覚めているのか、ウサギを見つめるたびに妙な違和感を覚える。それが罪の持つ気配であることは、もう確信していた。
――でも。
罪の正体について、月音は恐ろしく感じてしまっていた。
フィオナの罪、ハルキの罪。ならばこの目の前の愛らしいウサギも、なにか残酷な罪を背負っているのかもしれない。
そんなことを考えていると、突然、ぐうう~~~……と月音のお腹が鳴った。
ハルキは月音の方を見て、薬と小さく笑うと、
「やってみるか、罪の具現化」
そう言い、口の中で朝に教わった呪文を唱えだした。