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一〇話 打たぬ鐘は鳴らぬ 其之五

 前衛が二人となり、ヒイラギはモミジが前に出たがるようであれば諫めなければと考えていたのだが、どちらかといえば障壁の展開を主としてクリサの防衛を行い、待ちの抜刀剣術で相手を屠る姿に胸を撫で下ろした。

(普段は刀を鞘に納め、必要な時にだけ抜き斬る風変わりな剣術。誰を師と仰いだのか)

(居合道…、そういえばこの陽前というより天龍島てんりゅうじまは、剣術の種類が少ないんだけど、居合とか抜刀主体となる流派なんてあったっけ?)

 先史文明が滅びて八〇〇年。大崩壊以前であれば数多の流派が存在した剣術も、失われし一〇〇年を経て古神流派と男爵流派の二大流派が主流となり、他は殆どが途絶えてしまった。

 余計な事に気を取られていれば、飛びかかってきた猫噛にクリサが小さく驚き、モミジが簡単に処理を行う。

「強くない相手とは言え、如何物は如何物、集中しろ」

「了解」

 モミジからの一喝を受けたクリサは、意識を集中し猫噛の群れへといくつもの光の帯をばらんに放って焼き切った。光線の魔法『光参きんこ』、海鼠が臓物を吐き出すかのように光の帯を放つことから、海鼠の一種の名を冠しているのだとか。

 無詠唱で敵の群れへ淡々と放っている姿にい苦労の色はなく、若くして六格級の冒険者だという証左と言う可きであろう。

「角に何か見えた、人型っぽくもあったから警戒を」

「はい!」

 両手構えのヒイラギは切っ先を僅かに下げて構えを正し、モミジは鞘へと刀を納め、クリサは詠唱の準備を行った。

 深層へ向かって早二日。そろそろ深みへと到達するころだとクリサは言ったのだが、他の冒険者と会うには些か早すぎる。ともなれば人型の如何物ということなのだが、そういう深層に近い場所で現れるそれらは厄介極まりないというのが相場、三人は最大限の警戒を露わにした。

 のっさりのっさり、跛行するかのような動きだがやや違和感のあるそれは、頭部が欠け身体の節々に蜘蛛が取り付いた死体であった。欠けた頭の、脳味噌が鎮座して然る可き場所には、一際大きな蜘蛛が沢山の眼を爛々輝かせており、不気味や悍ましさが際立って三人は顔を引き攣らせた。

「『脳座蛛のうざちゅう』、アレは魔法を使うから障壁の準備は確実にね、コウヨウ君」

「おう」

「ヒイラギさんは必要以上に近づかないように、特に蜘蛛が飛びかかってきたら最優先で払ってください」

「承知しました」

 べちゃねちゃと死体の口を動かした脳座蛛は、宙に鉄の鏃を浮かべて打ち出す。

 それらはモミジの張った障壁に防がれ、誰一人に傷をつけることが出来ないのだが、後ろから更に三個の龍人死体を繰る群体、そして一〇個の猫噛の死体を操る群体が姿を見せて、魔法の雨霰で弾幕を形成し始めた。

「『隔てたる世の、障泥破風あおりはふ』。正面に障壁を展開している、魔法で攻撃するなら左右からやってくれ」

 聖園のような囲う魔法障壁ではなく、正面に一枚半透明の壁を作り出したモミジは、強度の確認を行いながら次に貼り直す準備を行う。

「問題ありません。『波は束ねられ、粒子を繰る、光参きんこ』」

 鷹揚な動きで杖を振ったクリサは無数の光の帯を自在に操り、障壁から身体を出すことなく、頭部に陣取っている脳座蛛へと命中させた。

「頭部のは潰しましたが、各部位の蜘蛛は残っており襲い来るはずです。対処を!」

「あいよ」

「お任せを。『風は刃也、風は鎚也、風塵ふうじん』」

 詠唱を行いながら足を動かし、障壁の後ろから飛び出したヒイラギは、風魔法の連撃で蜘蛛を散らし、攻撃を逃れた相手に止めを刺しながら敵陣を突き進む。

亡名流むめいりゅう抜刀剣術ばっとうけんじゅつのあらため玉石ぎょくせき同裁どうさい』」

 それに一歩遅れ障壁を解除したモミジは、玉石同裁で刃を伸ばして着実に生き残りの処理を行っていた。

 少しして、蜘蛛の生き残りが居ないことを確認した三人は、魔晶を拾い集めつつそそくさと現場を離れていく。脳座蛛は一匹に寄生されれば、先の死体と同じ待遇になりかねない。長居は無用、ということだ。


―――


「テンサイ様、御身体の調子は如何ですか…?」

「サクラ殿下…、私は大事ありませんが殿下に伝染しては、人に合わせる顔がなくなってしまいます。あまり近づかぬよう、お願いしますね」

「はい」

 モミジが行方不明になって二日、勉強事が手につかなくなってしまったサクラは、一縷の望みに賭けてテンサイの許へとやってきていたが、王弟の姿はなく僅かに表情を翳らせる。

「モミジ殿下が真っ先に帰る場所は、ヒノキ陛下の許ですよ」

「そんな!」

 「ことはないです」と言い切れないサクラは寂しそうに唇を噛んだ。

 モミジとテンサイの関係はサクラもよく知っており、もしも彼が城にいたとしても五年風邪を罹患した彼女の許へ見舞いに来ることもなく、見舞品と一言二言書かれた手紙が贈られる程度。

 そして、この宮を小翼竜の姿になって遠目に眺めるモミジの姿が想像できて、彼女は胸が苦しくなる。亀裂ではなく断裂、修復の出来ない、力の及ばない親子関係にサクラは臍を噛む思いであった。

「…、少し前までモミジに魔法を教わってまして―――」

 一度はつっかえた言葉、だが少しでもテンサイの心が晴れるようにとサクラはモミジとの話しを言い聞かせ、行方不明の彼と会えない寂寥感に心を支配される。

 今までなら何処かへと出かけて姿を見せない日はあったが、どうやっても会えない日はなかった。気軽に顔を合わせられる、特別な親戚で家族同然の男の子、ぽっかりと空いた穴の大きさに、サクラは大なり小なりの感情を自覚していく。

「モミジ殿下、…モミジと仲良くしてくれているのですね。私は彼に寂しい思いと辛い思いをさせてしまった、母には成れなかった女です…。きっと傷をつけてしまったでしょう、それを埋めることが出来るのは、もしかしたらサクラ殿下なのかもしれませんね。…我が子なのに、他人事のようで申し訳ありませんが、モミジが帰って来たら暖かく迎えていただけませんか?」

「テンサイ様は!」

「…。」

 テンサイは首を左右に振って拒絶した。

 先の、サクラの楽し気な話しも、『子供らしくない』『人並み外れた部分』が受け付けられず、根本から合わない相手なのだと改めて実感させられてしまったのだ。

 彼女の心は強くなく、モミジという重荷を受け入れられるほどの基礎を持っていないということ。近付けば近付くほどにお互いが傷つくことは容易に想像出来、次は取り返しのつかないことのなるのだと予見出来てしまう。それが嫌だった。

「ごめんなさい、モミジ…」

 漏れ出た呟きと零れ落ちた涙に、サクラの心は更に重くなり、余計な事をしてしまったのだという自責の念、そしてモミジとテンサイの関係をどうする事も出来ない無力感を抱いて離宮へと帰っていく。

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