目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第16話 在りし日の少年

 克宇の夢は、国一番の武者となり、寝物語に聞く竜といつかあいまみえることだった。


 関克宇という少年は、武門の一族である関家の次男坊。

 関家には先祖代々伝わる家宝として、白灯竜が落としたという鱗を装飾にした宝剣とともに、その先祖が白灯竜をも退けた軍に同伴していたという武勇伝が伝わっていた。


 父の部屋に飾られている宝剣を、克宇は幼い頃からずっと見てきた。いつかは自分もその宝剣を手にできると信じて疑わなかった。


 けれど年頃になれば家を継ぐのは長子である兄であることを理解する。次男である克宇がその宝剣を手にすることはないと気づいた時にはひどく落胆した。


 とはいえ、竜の宝剣への憧れだけは人一倍。

 自分に継がれないのであれば、いっそのこと自分で作ればいい。鱗一枚で宝剣になるのなら、竜を退治し、骨を削って剣や槍にでもすれば、伝説にも残る名剣や名槍になるに違いないと考えたのだ。


 そんな彼が軍人である祖父や父の厳しい修行を耐え抜いて、若くして天峯国屈指の武人として名を連ねることまでできたのは、必然だったのかもしれない。過酷な修行をこなす克宇少年の背を後押しするように、紫雲竜と呼ばれる竜が一匹、たびたび天峯国の空を飛んでいたのだから。


 実際に克宇も、修行のために籠った山中から一度だけ、空高く飛んでいく大きな生き物を見たことがあった。澄み渡る蒼き晴天の中、雷轟とともに紫の亀裂を走らせるその姿。


 それが竜だと教えられた克宇が、鍛練に精を出すのは自明の真理だったのかもしれない。


 そういうわけで克宇はめきめきと腕を上げ、禁軍の一人として実力を奮える立場を得た。


 克宇が武官として国に仕えるようになり、その名声を高め始めた頃、それまでに比べて竜の目撃があちらこちらで噂されるようになっていた。


 いよいよ竜が何かをしようとしている。

 人里に降りてきて何を成そうとしているのか。


 もしかしたら竜と一戦交えるかもと、まことしやかにささやかれ始め、克宇はさらに心を踊らせた。


 何百年に一度あるかどうかの竜との邂逅が叶うのならば、喜んで前線に立つつもりだった。


 ゆえに、いざ紫雲竜が天峯国の安寧を乱すその時を迎えれば、同僚が死地をも覚悟しているなかで、内からにじみ出る歓喜を押し隠せなかったのは仕方のないことだった。たとえ始終笑顔で進軍を心待ちにしているのを同僚にたしなめられても、克宇は竜と相対できることが楽しみでしかなかった。


 それがまさか、竜が少女に変化して、自分がその護衛として抜擢されるなんて。


 最初はどういうことかと戸惑った。

 皇帝のもとに降り立った少女が、竜だとは信じがたかった。


 だが裸のままではと女官に囲まれた少女が癇癪を起こして竜へと変生したと聞き、これでは女官が危ないと、目付役を兼ねて護衛として侍れば、すぐにそれが真実だと理解した。


 そしてこのまま後宮に置けば要らぬ詮索を受けると危惧した皇帝により、一時的に離宮へと送り込まれる。


 後宮の女官はすっかり竜の姫君におびえて使い物にならない。一人でこのお転婆の過ぎる姫君を世話しなければならないのかと案じたのも束の間、その離宮には国で一番二番を競えるほどの、動植物に精通した才女が用意されていた。


 梔家の七才媛に名を連ねる、梔慧芽という少女。

 十八と聞く年の割には少し大人びていて、熟練の女官のような雰囲気を醸し出す少女は、生真面目で、それでいて所々、普通の少女とは思えないほどの行動力を持つ時があって、見ていて頼もしかった。


 とりわけ竜の姫君にあれだけ手をこまねいていた後宮の女官たちと違って、慧芽が竜の姫君を子供かそれ以下の扱いをするのが微笑ましくさえあった。


 まるで姉妹のようにも思えた竜の姫君と梔家の才媛を見ている内に、克宇は、竜は一方的に退治するものではなく、共に生きることもできる存在なのだと思いはじめた。


 いつか竜の鱗や骨で己だけの名武器を作ろうと思ってたことが、残酷なことだと思えてしまうくらいには。


 武器を作るよりも歩み寄りたい。

 むしろ人語を解せるのならば、歩み寄れるはず。


 軒炎皇帝もそれを望み、竜の姫君を受け入れるべく、教育指導者として慧芽を送り込んだ。そう思うようになった。


 くるくると表情の変わる姫君は、人の常識はからきしだったけれど、そこらの子供と遜色ない。竜として敬われ、人として愛されるべき存在だと感じた。


 きっと軒炎皇帝の治世は竜と共に繁栄し、歴史の中でも大きな分岐を生むに違いない。そう考えられるほどに、離宮での日々はとても明るい未来を示していた。


 ――だがそれも、一時の気の迷いだったのだろうか。


 忘れていたわけではなかったはずだ。

 離宮に来る前は、たった数日とはいえ、嫌というほど女官に恐れられていた竜の姫君の姿を見ていたというのに。


 騒がしくはあるものの、あんまりにもほのぼのとしていて、まるで姉妹喧嘩のようにすら見える姫君と慧芽のやり取りに慣れてしまったのが悪かったのか。


 彼は、竜の姫君が雷を操ることを忘れていた。

 後宮では一度、女官が軒炎皇帝を世話する時に、竜の姫君が怒り、雷を放った。


 その時は大事に至らず、軒炎が竜の姫君をたしなめて、二度とこのような野蛮なことはしないことを約束させた。


 だが万が一ということもある。

 その万が一のための護衛として、克宇が呼ばれたというのに。


「――慧芽殿!」


 その手は届かなかった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?