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第17話 後悔は先に立たず

「――慧芽殿!」


 紫電がほとばしり、慧芽に突き刺さる。

 慧芽の黒曜石のような瞳が見開かれ、虚空を向いたのを見た瞬間、克宇の身体は弾かれたように動いた。


 ふっと意識を失った慧芽が床にくずおれる前に滑り込んで、彼女の身体を抱き止める。細く華奢な身体に見合う軽い重みが、克宇の腕にかかる。


 呼吸と心臓の鼓動を確認した。

 心音を確認する一秒でさえ、もどかしかった。

 雨の如く。風の如く。流星の如く。石火の如く。

 目で見えても防ぐことはできない紫の閃光に、克宇は血の気が引いた。


 自分がここに置かれた意味を思いだし、その無力感にうちひしがれそうになる。だが、ヴェラの雷をまっすぐに受けた慧芽を、このままにしておくわけにはいかない。


 人が雷に打たれて無事でいられるわけがない。

 一刻も早く、動かねば。


 ひと呼吸置いて、微弱ながらも慧芽が呼吸をしていることを確認した克宇はほっとひと息ついた。運がいいことに即死は免れたようだが、医師の判断を仰いだほうがいい。


 克宇は慧芽を抱き上げる。

 そして、呆然と目を見開いて立ち尽くすヴェラを一瞥した。


 ヴェラは紫の髪をふわふわと浮かせ、金色の瞳を限界まで開いて慧芽を見ていた。自分が何をしたのか理解できていないというような表情に、克宇は苦々しく思う。


 今のヴェラがどう動くのか、どう思っているのか、克宇は分からない。だけどひと言だけ、これだけは言い置いておかねばならない。


「……姫君。慧芽殿が教えていたことの意味を、よくよくお考えください」

「こくう……」


 のろのろと緩慢な動作で、ヴェラの視線が克宇へと向けられる。克宇はその視線の先に慧芽の姿がよく見えるよう、少しだけ身体の向きをずらす。


「話している暇はありません。ここは離宮ですから、医師を呼びつけるにも時間がかかります。俺はこのまま医師のもとに駆け込みます。決してこの離宮から出ませんように。言いつけを守られなければその時こそ、我らが皇帝陛下は、あなたを」


 言わなくても伝わる。

 ヴェラの表情がくしゃりと歪む。

 目にいっぱいの後悔をにじませて、ヴェラは克宇と慧芽から目をそらした。


 克宇はそんなヴェラにひとまずの危険はないと判断し、急いで爪先を部屋の外へと向けた。


「……影、任せた」


 天井からカタリと音がする。

 有事のためにつけられている、皇帝直属の隠密だ。克宇も顔は知らないけれど、存在していることは知っている。自分が慧芽を医師のもとへ運ぶ間、ヴェラのことはこの隠密が見張るはずだ。


 克宇は腕の中の少女を思う。

 心の臓が鼓動を叩いているとはいえ、あれが真の雷であれば、人は死ぬこともある。くったりと意識を失っている少女は、いつもの気丈な姿とはかけはなれていて、ひどく頼りない。護られるべき者であることを克宇に訴えてくる。――そして護れなかった者でもあることを、克宇に突きつける。


 何が国屈指の武官か。

 この状況は己の傲りが招いたことだと、克宇は認める。


 竜に憧れ、腕を磨き、ここにいたのは何のためか。

 自らの胸へと問いかけると、慧芽を抱く腕に力を込め、克宇は離宮を出た。



   ◇   ◇   ◇



 久々にぐっすりと眠れたような気がする。

 まぶしい朝日が瞼の隙間からそうっと差しこむ。小鳥の陽気な鳴き声が聞こえてきて、慧芽はぐっと身体を伸ばしながら目覚めた。


 上体を起こせば、壁にはられた様々の動植物の絵図がある。見慣れたそれを寝起きの頭で熟読しようとして、おや? と部屋を見渡した。


「私の部屋……?」


 ここしばらくご無沙汰だった自室で目が覚めたことに気がついて、首をひねる。着ている夜着を見下ろせば、離宮に持って行ったものではなくて、実家に置いてきたもので間違いない。


 いつの間に実家へと帰ってきたのだろうか。

 眠る前のことを思いだそうとするけれど、つきつきとこめかみの奥が痛んで、簡単には思いだせない。


 首をひねっていれば、慧芽のお腹がきゅうと鳴った。窓の外を見れば陽が高く昇っていて、朝餉を食べ損ねていることに気がつく。


「……今日は遊々ゆゆいるのかしら。いれば、厨に何かしら食べ物があるだろうけど」


 遊々は通いで来てくれているこの家の家礼で、慧芽と父の二人暮らしを支えてくれている大事な女性だ。慧芽の母親代わりを努め、衣食住に頓着しない父に代わって、家をきりもりしてくれている。


 遊々にも慧芽と同い年の息子がおり、家庭があるけれど、今は亡き慧芽の母への厚い恩があるということで、今なお、慧芽と父の暮らしを支えてくれていた。


 その彼女がいれば、しばらく慧芽が実家から離れていたところで、ちょっとやそっとじゃ父の暮らしが崩壊することもないという信頼があった。慧芽の父は放っておくと四六時中、裏の動物小屋に引きこもってしまうので、二、三日おきにやってくる遊々だけが頼みの綱だった。


 そんなことを思いながら、慧芽は寝台から降りる。

 へそと背中がくっついてしまいそうなほどに、身体は空腹を訴えていた。


 着替えるのも億劫で、どうせ鄙びた邸にくる客人もいるまいと、夜着のまま自室を出る。実家だからか、離宮で過ごしていた時に張っていた気がゆるみきってしまっているのはご愛嬌。


 寝癖でぼさぼさの髪を手ぐしですきながら、てろてろと廊下を歩いていると、ちょうど曲がり角で、腕にたぬきを抱えていた父と出くわした。


「父様」

「慧芽っ!」


 抱えていたたぬきを放り投げる勢いで慧芽の父・文仲ぶんちゅうが、慧芽の肩をがっしり掴む。文仲に抱かれていたたぬきはあわあわと手足を動かして、なんとか文仲の襟もとにかじりつくと、襟巻きのようにそのふかふかの尻尾で文仲の首へ巻きついた。


 慧芽がそんな文仲とたぬきを見比べていると、文仲が突如、決壊したかのようにだばーっと涙の洪水をたれ流し始める。


 ぎょっとした慧芽は思わずのけぞった。


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