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第22話 賽の目の世

 慧芽は釈然としない気持ちのままだけど、それはそれ。今はそれを追求するよりも、これだけは重ねて伝えておくべきだと言葉を続ける。


「いずれにせよ、私は生きています。だからこそ、今が良い機会なんです。姫様と話をして、人と竜の違いを今一度理解してもらいます。それが私のお役目ですから」


 念押しとばかりに竜の姫君と会うことを伝えれば、克宇は観念したように首を縦に振った。その上で、不思議そうに口を開く。


「慧芽殿の答えはいつも明朗としていますね。どうしてそんなにも簡単に切り分けられるんですか? 普通ならもっと葛藤とか、そういうものがあるのでは?」


 至極真っ当な克宇の主張。

 慧芽は苦笑した。


「これは私の持論なのですが。世の中とは賽の目のようなものだと思っております」

「賽の目、ですか?」

「はい」


 聞き返した克宇へ、慧芽はこくりとうなずく。


「賽の目とはその時の運にもよりましょう。ですが出た目の数は変えられません。それとも克宇さまは遊戯で出た賽の目を身勝手にも変えることをするのですか?」

「とんでもない。そんなずるはしません」


 ぶんぶんと首を振って否定する克宇に、慧芽はそれでいいと言わんばかりに微笑んだ。


「因果応報といいます。将来の可能性を変えるために反省することが大切なのです。後悔したところで何も変わりはしないのですから。ですから私は、将来の可能性を変えるためにも、自ら姫様に会わねばならないと考えるのですよ」


 慧芽の揺らぐことのない信念。

 それに触れた克宇はほぅと感嘆の息をつく。


「慧芽殿は私よりも若いのに、すごいですね」

「そんなことはありません。偉そうなことを言っていますが、自分に理由づけをしないと生きるのが難しいだけの人間ですから」


 慧芽が謙遜して肩をすくめれば、克宇がゆるりと頬をゆるめる。それから慧芽の言葉尻を拾い上げて、揶揄するように言葉を返した。


「それはつまり、そうやって高尚な理由をつけないと、本当は姫君に会うのも怖い、という意味でしょうか」

「克宇様はたまに意地が悪くなりますね」

「いつかの蛇のお返しと思っていただければ」


 くすりと笑う克宇を、慧芽はあきれた表情で見やる。克宇はくつくつと笑いながら卓に置かれていた茶器へと手を伸ばす。慧芽も茶器を手に取り、喉を潤した。


「……先ほどの言葉、否定はしません。姫様が人をも簡単に殺せるほどの暴力をお持ちなのは変わりありませんから。けれど、姫様が正しき心をお持ちなら不要の心配です。私は、姫君が心のあるお方だと信じておりますから」


 たとえまだ十日ほどしか一緒に過ごしていなくとも、十日も寝食を共にすれば気づくことも知ることも多い。そうした中で慧芽は、竜の姫君の為人は人を裏切らない優しい性質であると感じ取っていた。


 それは克宇もきっと同じ。彼は朗らかに笑うと、慧芽の言葉にしかとうなずく。


「そうですね。それを聞いて安心しました。恐れを理解した上でお会いになると決められたのなら、俺が言うことはもう何もありません」


 然り然りとうなずく克宇に、慧芽は肩をすくめて。


「いったい私の何をはかろうとしたのやら」

「武人の性、とでも言いましょうか。たとえば熊に腕を食われた兵士は熊を恐れて、再び熊と対峙するようになるまで、何年もかかると聞きませんか?」


 克宇の喩え話に、慧芽も納得した。あえて言いはしないけれども、克宇の蛇こそがそれに当たるのだろう。


 克宇なりの心配だったのだと気づいて、胸の奥まったところがほんのりと温かくなるような気がした。じんわりとしたその温かさに、慧芽は淡く微笑む。


「ご心配をありがとうございます。正直私がどのような心持ちをしていても、胸の奥にあるものは私自身でも知覚はできません。もしかしたら、姫様とお会いしたその場で、そういうようなことになる可能性はなきにしもあらずです。ですが」


 慧芽はそこでひと言区切ると、その意志の強い瞳で克宇を見据えた。


「そうはならないと思っています。どうしてでしょうね。雷に撃たれてもなお、姫様のことを怖いとは思わないんです」


 穏やかな顔つきで言いきった慧芽に、ようやく克宇は安堵の表情を見せた。それならば、と克宇は慧芽へと笑いかける。


「善は急げと言いますし。さっそく、離宮へと参りましょうか」


 慧芽はほんの少しだけ目を瞠った。

 話があまりにも早すぎる。離宮に行くにしても、休養が明けてからと思っていたのに。


「もしかして、そのために朝から参られたのですか?」

「まぁ、あわよくばと思ったのは確かです」


 あきれたように慧芽が尋ねてみれば、克宇は悪戯がばれてしまった少年のように肩をすくめたのだった。


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