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第26話 おいしい酒饅頭

 皇帝のお膝もとである城下がにぎわっているのは、良き治世の写し鏡だ。活気づく人々をさらに活気づけるかのように、地方や異国からの人々が集まるのも、自然の摂理。


 民族がら黒髪の多い天峯国でも、こと城下のようににぎわった場所までくれば、西方の金の髪や南部の赤い髪、さらには黒い肌を持つ人まで見られるようになる。ヴェラの紫の髪もまた、物珍しさゆえに人目を惹いてしまうものの、排他的な態度を取られることがないのはありがたかった。


「すごいっ! 人いっぱい!」

「ヴェラ様、あまり離れすぎてはいけません」


 馬車から降りた三人は、一番手近にあった皇帝御用達の看板を背負う老舗に馬車を預け、散策へと繰り出す。


 ヴェラは行き交う人々をぐるぐる見渡すので、ふらふらと足もとがおぼつかない。慧芽も克宇も十二分に周囲へと気を配りながら、ヴェラが人とぶつからないように足並みをそろえた。


「けーめー、あれは?」

「酒饅頭ですね。もともと肉を包む料理なのですが、最近は豆の餡を入れた菓子のものが流行っています」

「いーにおい」


 くんくんと鼻をひくつかせるヴェラに、慧芽は微笑んだ。


「一つ、味見をしてみましょう。ではヴェラ様、私をよく見ていてくださいませね。人はこうやって物を手に入れるのです」


 そう告げて、慧芽は酒饅頭の店へと近づく。

 露天のように表に店を構えているものの、奥をのぞけばお茶処としての空間が広がっている。どうやら店先で饅頭を買ったあと、持ち帰るか、その場で食べてしまうかは、自由にできるようだった。


 慧芽はさっそく饅頭を買う。

 ヴェラを隣にまで呼び、彼女の前で饅頭を一つ注文し、銭を払い、饅頭を受け取った。そのまま店内へと進み、手頃な腰掛けへと腰を下ろす。


 ヴェラが隣に座り、克宇が従者らしくそばに控えるのを見てから、慧芽はほかほかと湯気の立つ、できたての酒饅頭を包みから取り出した。


「さてヴェラ様。今、私は金銭を払うことでこの酒饅頭を手に入れました。これが売買、商いというものです。人はこうして、自分では手に入れることが難しいものを等価交換で手に入れます」

「とーかこーかん?」

「はい。同じ価値のものを交換するのです」

「なんで交換するの? もらえばいいじゃない」


 不思議そうなヴェラに、慧芽はゆっくりと首を横にふる。


「たとえばのお話です。ヴェラ様がお腹をすかせて、一つしかない林檎を食べようとします。その林檎をくださいと言って、お情けをかけてくださりますか?」

「うーん……ダンナサマならあげちゃうよ?」


 それはつまり、特別な人以外にはあげないという意味だ。

 慧芽はそのことをしっかりと理解して、ヴェラに説く。


「では、その人は蛇を持っているとしましょう。ですがその蛇は毒蛇で、その人は食べられません。ですがそれは、ヴェラ様のお好きなおいしい蛇です。その蛇と林檎を交換しましょうと言われたら、どうしますか」

「むむむ。りんごも食べたいけどヘビも食べたいなあ」

「どちらかです。ではヴェラ様はその時、林檎ではなく、蛇が食べたい気分だとしましょうか」

「ヘビとこーかんしてもらう!」


 はいっ! と大きく返事をして答えたヴェラに、慧芽は満足気にうなずいた。


「人の営みはそれの繰り返しです。過剰に得たものは売り、不足するものは買う。こうして人は発展し、ものがあふれ、国が生まれるのです」

「すごいねぇ」


 感心したような様子のヴェラに、慧芽は小銭をいくらか差しだした。


「では姫様。先ほどの私の真似をして、酒饅頭を買ってみましょう。この銭で、酒饅頭が一つ買えます」

「これも食べられるの?」


 それまで微動だにしなかった克宇が、慧芽の背後で噴き出した気配がした。慧芽も虚をつかれたけれど、つとめて冷静な表情を取り繕う。


「ぜ、銭は食べられません。銭とは国が価値を保証しているもので、目に見えないものとも交換することができます」

「う?」


 よく分かっていなさそうなヴェラに、慧芽はかみ砕いて説明を試みる。


「たとえば私は、主上よりヴェラ様のために食事を作ったり、お世話をしたり、お勉強を教えたりするよう申しつけられています。ですがそうしていると、私は自分が欲しい食べ物や服を買うために交換するものが手に入りません。それでは私も生活ができませんので、主上は私の時間を買うことで、私はこの銭を与えられています。すると私は、服と交換するための林檎がなくとも、この銭で服が買えるのです」

「じゃあこの丸いのって、時間のカタチなんだね!」


 ヴェラの無邪気な言葉に、慧芽は瞠目する。

 無から金銭を得るには労働、ひいては時間を売ることが一番だ。労働を金銭で売って得るものと考えれば、確かに時間が形になったものと捉えることができる。


 慧芽はヴェラの発想の柔軟さに舌を巻いた。

 三百年も生きているのに幼子のように物を知らないヴェラは、時折こうして柔軟な発想をすることがある。これがもっと洗練されていけば、宮妃として他と一線を画すのは間違いない。慧芽はそういうところに、ヴェラの可能性を見いだしていた。


 良いところは伸ばすべきだ。慧芽はヴェラを城下に連れてきた甲斐があったと喜びながら、ヴェラを饅頭売りのもとへと送りだす。


 ヴェラが紫の髪をふわふわと風に遊ばせながら、銭を握りしめて饅頭売りのもとへ行く。売り子に愛嬌のある笑顔で饅頭を一つ頼むと、売り子もつられて笑顔になった。


 慧芽と克宇がその様子を優しいまなざしで見守っていれば、ヴェラは手にしたものを大切そうに抱えながら戻ってくる。


「けーめー、こくう! 買えたよ!」

「はい、よくできました」


 慧芽が褒めると、ヴェラの表情が嬉しげに崩れた。

 それからそわそわと、饅頭と慧芽を見比べる。

 その様子に慧芽が首をかしげていると、ヴェラはもじもじとしながら饅頭を慧芽に差しだした。


「けーめー、こーかんしよ」

「交換、ですか?」

「ヴェラ、けーめーが買ったやつ食べたい。けーめーにヴェラがはじめて買ったもの、あげたいの」


 もじもじするヴェラは、まるで初めておつかいに行った子供がご褒美をねだるのと同じだ。慧芽はさすがにこうなるとは予想していなかったから、思わずといった体で克宇を見上げた。


 慧芽の視線に気がついた克宇は一瞬きょとんと目をまばたかせたけれど、すぐに何か得心がいったようににっこりと笑った。


「俺も饅頭を買ってきます。三人で食べましょう」

「えっ」


 克宇の予想外な言葉にさらに動揺している間に、彼は颯爽と饅頭売りのほうへと歩いて行ってしまう。


 慧芽がそろりとヴェラに視線を戻すと、期待に満ちた目でヴェラは慧芽を見ていて、慧芽はとうとう手に持っていた饅頭をヴェラのと取り替えてやった。


 饅頭を買ってきた克宇が戻ってきて、三人で仲良く並んで饅頭を食べる。


 ヴェラが初めて慧芽に分け与えた心のこもった饅頭は、とても甘くておいしかった。


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