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第27話 手鏡の贈り物

 小休憩をとって饅頭屋を出た三人は、そのあとも通りの店々を冷やかしながらまわった。


 お小遣いを手に入れたヴェラはあれこれと食べ物を買って、買ったものは必ず慧芽か克宇と分けあって食べる。ヴェラの興味は食欲に振り切っていようで、年頃の少女が色めいて立ち寄るような反物屋や細工物のお店は素通りだ。


(いつかは姫様も、装飾品のようなものに興味を持ってくださるかしら。そうして着飾る楽しさを知っていただけると嬉しい)


 慧芽は淡い期待を持って、ヴェラの買い物の様子を見守った。


 ヴェラがにこにこと愛嬌のある笑顔で慧芽に「あれ見て、これ見て」とするたび、落ちつきのない紫の髪がふわふわと遊ぶように揺れる。慧芽がヴェラへと頬を寄せてそっと耳を傾ければ、品のいい暗紫色の髪がさらりと風になびいた。


 そんな二人の仲睦まじい様子を後ろから見ていた克宇が、ふとある店の前で足を止める。慧芽はすぐに気がついて、背後を振り返った。


「克宇様? どうなさいましたか?」

「慧芽殿。少しこちらへ」


 克宇がにこにこと笑みを浮かべて、慧芽を手招きした。慧芽は首をかしげながらヴェラを連れて、克宇が足を止めた店まで戻る。


 克宇が熱心に見ていたのは細工物を扱う店だった。店先には丁寧に彫金された綺羅々しい金銀細工や、艶々とした滑らかな質感の鼈甲細工などが並べられている。その中でも克宇は、まるで烏の濡羽のように艷麗な漆塗りの手鏡に手を差しのべた。


「慧芽殿。こちらの手鏡はいかがです」

「あら……素敵な意匠ですね」


 慧芽も克宇の示した手鏡に視線を向けて、ほぅと息をつく。


 鏡面は大家の宝物にも匹敵するほど美しく磨かれていて、裏面の漆が塗られた部分には上品な螺鈿の細工が施してあった。螺鈿が描くのは夜空を舞う竜で、螺鈿の複雑な光沢が時折、ヴェラの艷やかな紫の鱗を彷彿とさせる色を見せてくれる。


 ひと目見て、慧芽はこの手鏡を気に入った。

 ちょうど昨日、ヴェラに愛用していた手鏡を譲ったばかりだ。近い内に代わりの鏡を買わないと、と思っていた。


 けれど慧芽は、この手鏡を買うつもりはない。

 この細工が二束三文で買えるような値ではないことを理解しているし、何よりも譲り先であるヴェラの前で新しい手鏡を買うというのが、何よりも居心地が悪かった。


 慧芽がひととおり手鏡や他の細工を褒めて、当たり障りなく店から離れようとする間際、克宇が店主に声をかける。


 この細工物のお店は女性向けの装飾品が多い。克宇が欲しがるような物があるとは思っていなかった慧芽が店主とのやりとりを見ていると、彼が買ったのは漆の空を飛ぶ、螺鈿の竜の手鏡だった。


 克宇は慧芽たちのもとへと戻ってくると、屈託のない笑顔でその手鏡の収まった小箱を差し出した。


「慧芽殿。どうぞ」

「えっ?」


 克宇の意図が読めない行動に、慧芽は目を丸くする。そんな慧芽へ、克宇はてらいなく笑いかけた。


「日頃、頑張っている慧芽殿へのご褒美です。それと、ヴェラ様を見捨てず戻ってきていただけたことへの、感謝と勇気の証に」


 唐突な贈り物。

 思ってもみなかったことに、慧芽は慌ててしまう。


「そ、そんな。私は私のすべきことをしているだけです。こんな高価なものいただけません!」

「もらってくださいよ。貴女以上にこの手鏡が似合う女性はいないですよ。ね、店主」


 にこやかに笑った克宇は、店主にも声をかけた。

 手鏡を売った店主も、微笑ましそうに笑ってうなずいている。


「お兄さんも粋なことをするねぇ。確かにお嬢様がその手鏡を見つめながら物思いに耽っている様は、良い絵になりそうだ。思い浮かべるのはもちろん、この男前なお兄さんだろう?」


 気を利かせてくれた店主がつけ足したひと言を理解するのに、慧芽は一拍の間を要した。


(私が手鏡を見ながら、克宇様のことを思い浮かべる?)


 言葉の意味と意図を飲みこんだ慧芽は絶句する。

 店主が暗に、慧芽と克宇の間に男女の関係があることを邪推していることに気がついた。それを否定するよりも先に羞恥で喉が震えてしまって。


 克宇とはそんな関係ではないし、何よりそんなことを思ったこともない。もっと言えば、慧芽がこれまで知り合ってきた男という生き物は、慧芽のことを学ばかりある鼻持ちならない女とばかり評していた。当然、克宇だって慧芽をそんな対象に見ているはずもなく――


「けーめー、こくう、どーしたの?」


 なかなか動こうとしない慧芽たちに、じれたらしいヴェラがひょっこりと慧芽の背中から顔をのぞかせて声をかけてくる。


 その声で慧芽は我に返った。空まわりしかけた思考を引き戻して咳払いする。上辺ばかりを取り繕って、店主に差しつかのない程度に言葉を返した。


「褒めてくださってありがとう。けれど彼とは、そういう関係ではありませんから」

「そういうことにしておこうかね」


 そういうことにしておいてほしい。

 突き返すわけにもいかないので、慧芽は手鏡の入った小箱を克宇から受け取った。ほてる頬を冷ましつつ、ヴェラに声をかけて歩きだす。


 小箱を大事に抱え、ヴェラと並び歩いた。なんだか落ち着かなくて、そっと背後の様子をうかがってみる。


 克宇と目があった。

 慧芽はとっさに視線を引き戻す。


 一瞬だけ見えた克宇は、目尻がほんのりと赤く染まっていた。


 自分ばかり恥ずかしい思いをしたわけではなかったと気づいた慧芽は、少しだけ溜飲がさがった気がした。


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