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第31話 学者の忠言

 窓の向こうに見える庭では慧芽とヴェラが手を取り合って、まるで姉妹のように顔を寄せながら、動物たちと戯れている。


 離宮では厳しい声を響かせることが多く、あれこれとヴェラに世話を焼いて常に気を張っている慧芽。普段の姿からは想像がつかないほど柔らかな表情が見えて、克宇の視線は自然とその表情を追っていた。


「仲直りできたようで安心しましたねぇ」

「はい」

「娘はあれでいて、ひどく愛情深い質です。厳しい言葉も愛情の裏返し。なんとも不器用ではありますが、一度懐へ入れた以上、決して竜の姫君を裏切ることはありませんよ」


 文仲もまた庭先で戯れる二人を見て、穏やかな表情をしていた。克宇は文仲の、愛情の裏返しと言う言葉を口の中で転がす。


「確かに、慧芽殿は頭ごなしに怒鳴るだけというのはしませんね。姫君がやんちゃなので声を張ることは多いですが、姫君の言い分もきちんと聞こうとされます。慧芽殿の優しさは、ちゃんと気づいていますよ」


 自分よりも年下の少女が、同じような見た目年齢の少女をしつけていくのは、並大抵の意識では難しい。城の女官で慧芽と同じ年頃の少女たちは、ヴェラの人目を惹く容姿と皇帝からの寵愛を妬み、ヴェラへのあたりが強かったくらいだ。


 それでいて、ヴェラの教育は物知らぬ赤子に言葉を教えるよりも厄介だった。年嵩の熟練の女官でさえも、さじを投げだしたいと愚痴っていたほど。そんな状態でも、慧芽は真摯にヴェラへと向き合い、ゆっくりと着実に姫君を人間らしく仕立てていっている。


 この半月の離宮での生活を思い返し、感慨深くなった克宇は、薄茶の瞳を細めて庭先の光景を見つめた。


「克宇殿は竜の姫君をどう思いますか?」

「姫君、ですか」


 てっきりこのまま慧芽の話をされるのかと思っていた克宇は、一瞬だけ文仲のほうへと視線を向けた。突然変わった話題の趣旨はどういった意図か。


 どう思うか、という漠然とした問いへの答えは、案外難しいものだ。克宇は庭先で何かを指さしているヴェラを見やりながら、自分の中にある言葉たちを拾っていく。


「無邪気で、無垢で、素直なお人だと思いますよ」


 ヴェラをひと言であらわすのなら、天真爛漫に尽きる。明るく素直で、その笑顔を向けられればつられて笑顔になってしまう、不思議な魅力がある。多少癇癪が多いけれど、そもそも竜と人。種族が違うのだから、その違いに苦しむことが多々あるのかもしれない。少なくとも慧芽はそう解釈して、ヴェラが少しでも馴染めるようにと心を砕いている。


 頬をゆるめながら克宇がそう語ると、文仲は卓の上でだらけていたたぬきの腹をよしよしとなでつつ、おっとりと笑んだ。


「それには子供のように、とつくのでしょうかねぇ」

「それは否めません。姫様はそこらの幼児と変わらない行動を、たびたびされますから」


 今も。


「けーめー! いいな、いいな! ヴェラも空、飛んできていい!?」

「えっ、姫様っ!?」


 庭の空を自由に飛び交い、チチチと鳴いている鳥たちに感化されたのか、竜化しようとするヴェラを慧芽がたしなめている。慧芽は竜化したヴェラの身体の大きさと庭の狭さを説いて、なんとかヴェラに竜化を諦めてもらっていた。


 ヴェラは若干不満そうにしている。それでもきちんと慧芽の言葉を理解して納得したのか、羨ましそうに小鳥たちを見上げるだけに落ちついた。


「可愛らしいですねぇ」

「あの素直さは、姫様の長所だと思いますよ」


 朗らかに笑って告げた克宇に、文仲もうんうんとうなずいた。卓の上をころりんと転がって文仲のそばにまで寄ったたぬきのしっぽが、くてんと卓からこぼれ落ちる。そのふさふさの尻尾を文仲はなでた。


「では克宇殿は竜をどう思いますか。竜の姫君を見て、竜はこの国に何をもたらすと思います?」

「それは、共存が可能かどうか、ということですか?」

「それももちろん。それ以上に、皇帝陛下がかの姫君をどう利用しようとしているのかも含めて」


 穏やかでありながらも核心を突く文仲の言葉に、克宇は口もとを引き結ぶ。


 やはり、慧芽の父というところだろうか。

 くさっても学問の一族の一人。竜をただ恐れるべき御伽噺の生き物ではなく、『皇帝の番い』という事実に注視している。


「利用なんて、人聞きの悪いことを言うものではありませんよ。ましてや主上に対して」

「あはは、すまないねぇ。でも、大事なことだから」


 砕けたように話す文仲に、ようやく克宇は窓から視線をはずして文仲を見やった。そして文仲が危惧しただろうことを払拭するように、克宇は真摯に答える。


「大丈夫ですよ。主上は竜の姫君を、非道に用いることはしないでしょう。今代の主上は皇帝の鑑のような方。俺は軒炎様以上に、国を想う人はいないと思っています。きっと竜の姫君のことも、悪いようにはしませんよ」

「うん、そうだね」


 克宇のまっすぐな言葉に文仲はうなずく。

 うなずくけれど、でも、と続けた。


「歴史を見れば、賢君が暴君になるなんてこと、よくある話だろう。今の竜の姫君なら、まず間違いなく、皇帝の言葉を何でも鵜呑みにしてしまう。そんな都合のいい存在が現れて自身を律するのは、なかなか難しいことだと思わないかな」


 文仲の穏やかな声にそぐわない厳しい言葉に、克宇は表情をこわばらせた。


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