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第33話 待望の下男

 離宮でのわずかな日常が戻ってきた。

 皇帝軒炎が告げたヴェラのお披露目まではもうすぐだ。慧芽は休んでしまった分を取り戻すべく、ヴェラへ淑女のいろはを教えていく。


 挨拶から始まり、礼儀作法。

 渋々とではあるけれど、ヴェラはご褒美があれば重々しい妃の衣装も着てくれるようになった。とはいえ礼儀作法の時間くらいだけで、終わったあとはすぐさま服を脱ぎ散らかす。それでも慧芽がきつく言い聞かせる前に薄い衣くらいは着てくれるようになったので、最初の頃と比べたらずいぶんの進歩だった。


 そんなヴェラの成長を嬉しく思いながら、慧芽はその傍らで離宮を切り盛りする。相変わらず人手は足りていない。ヴェラが朝寝を堪能している間、慧芽は食事や掃除、洗濯などといった雑用を手際よくこなしていた。


「女官殿、薪ができましたよ」

「ありがとうございます、馬典様」


 慧芽が洗濯した敷布や掛布を裏庭で干していると、下男として皇帝から送り込まれてきた元牢番の飛馬典が顔を見せた。それまで薪を割るのに使っていたらしい斧を片手に持っている。


 慧芽は洗濯物の入っていた籠を抱え、馬典がこさえた薪を確認しに行く。目減りしていたはずの薪小屋は十分なくらいの薪が積まれていて、慧芽は頬をゆるめて馬典をねぎらった。


「ありがとうございます。克宇様にお願いしても、すぐ姫様のことで呼び戻してしまうので、なかなか捗らなかったものですから」

「仕方ありません。それが克宇様のお役目でしょう。下っ端武官の自分としては、羨ましいものです」


 馬典の赤い髪が風に吹かれて揺れた。ざっくばらんとした髪を無造作に束ねている馬典は体格が良い。元牢番、現下男ではあるものの、その身分は克宇と同じ武官だ。とはいえ皇帝の覚えがめでたい克宇とは違い、実力そこそこの雑兵でしかないと本人は呑気に笑っている。


 彼はかねてから慧芽と克宇が希望していた人員増加のために遣わされた一人だ。とはいえ、竜の姫君のことはいまだ機密事項のため、事情を知らない者を多くは入れられない。故に雷の件で牢番としてよこされた馬典が引き抜かれた次第だった。


「武官の馬典様に、下男のようなことをさせて申し訳ありません」

「あの克宇様もされていたんでしょう? それに帯剣を許可されているので、別に武官の身分を剥奪されたわけでもありません。それに牢番も雑用も、下っ端のやることはたいして変わりないですから」


 飄々とした馬典の態度は本心のようで、慧芽は安心した。女官とは名ばかりの自分が武官をこき使うなんて恐れ多いと思っていたけれど、馬典は話しやすい人柄だった。ついつい慧芽も、一人では手の届かないあれこれをお願いしてしまう。


 二人で薪小屋から出る。ついでに馬典には、薪を厨にまで運んでもらった。


「女官殿、今日の昼餉は何にしますかね」

「馬典様のご希望はございますか」

「そうだなぁ」


 厨に向かう道すがら、慧芽が馬典に昼餉の希望を聞くと、彼は遠慮なくいくつか食べたいものを挙げた。厨にある材料を思い浮かべて、何なら作れるのかを話し、夕餉のことも考えながら献立を考えていく。


 そうして馬典と共に話しながら厨に足を踏み入れた慧芽は、絶句した。


 あまりにも信じたくはない光景が目の前に広がっている。


「……姫様? 克宇様?」

「あ、けーめー」

「け、慧芽殿……っ」


 情けなく眉を下げた克宇が壁を背にし、慧芽へと助けを求める。全裸のヴェラへと手を突っぱねるように何かを持っていて、必死にそれから視線をそらしているようだ。


 対するヴェラは全裸のまま大根らしきものを握りキョトンとしている。ヴェラは克宇から視線をそらして慧芽を見ると、顔をぱぁっと輝かせた。


 端から見れば、ヴェラが克宇に迫っているようにも見える光景だ。慧芽はまるで頭痛がするとでも言わんばかりに眉間に手を当てた。それからハッとして後ろにいた馬典を振り向く。


「馬典様、目をつむってくださいませ!」

「は?」

「早く!」


 慧芽の剣幕に押されて、馬典はまばたきながら厨の中の光景をのぞき込もうとし――たのを、慧芽は両袖で阻止する。そして眦を吊り上げ、その剣幕でたじたじになってる克宇へも声を張り上げた。


「克宇様も目をおつむりください!」

「は、はいっ!」

「姫様はこちらへ!」

「えー?」


 あいにくとヴェラにかけられるような衣は手近にない……と、思ったら、慧芽の視界の端で克宇がさっと何かを持っていた腕をつきだした。


 どうやら夜着のようだ。これまでの慧芽のしつけの賜物か、部屋を抜け出したヴェラに気づいて、とっさに持ってきてくれていたらしい。慧芽はそれを奪い取るようにして受け取ると、手早くヴェラへと着つけていく。


「姫様、なぜこのようなお姿で厨まで来られたのです」

「お腹すいちゃったから」

「呼んでくだされば用意しますから。それにお衣装を着ないままお部屋を出てはなりませんと、お教えしましたでしょう」

「だってー」


 むくれるヴェラに、慧芽は問答無用で衣を着つけた。もう慣れたのか、ヴェラも夜着くらいの軽いものなら大人しくされるがまま。


 夜着の帯を締めた慧芽はようやくひと息つくと、目をつむったままの男性二人に声をかける。二人は律儀に慧芽の言いつけを守って、しっかりと目をつむっていた。


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