克宇いわく、ヴェラの食事について軒炎皇帝も動いてくれているそう。慧芽は根をつめすぎないようにしようと自分を戒めた。
「では、おやすみなさいませ、克宇様」
「おやすみなさい、慧芽殿」
慧芽は改めて夜の挨拶を克宇とかわすと、そっと部屋の内へと戻る。
書き物机に近づくと、広げっぱなしの書物や、自分で書き綴ったヴェラの観察記録を片づけた。よくもまあこんなに散らかしているものだと自分でもあきれてしまう。書を閉じ、巻子を巻いていると、ふと書物の下敷きになっていた紙が目についた。
それは先ほど克宇とも話していた、ヴェラの披露目に関する打ち合わせ用にしたためていたものだった。慧芽が後宮の女官に向けて伝えておくべきことを箇条書きにしたもの。これをしたためていた途中、やはりどうしてもヴェラの食事についての項目で今の現状が気にかかり、調べ物に没頭し始めてしまった。
「後宮……」
そういえば、と思い返す。
離宮に来た頃のヴェラもまた、宝石や鉱物の類いを舐めていた。しばらくしてそれは落ちついていたからこそ、今また目立つようになったわけで。
今の離宮だけの生活では、何が悪かったのか分からない。
後宮にいたのは数日ほどとは聞いているけれど、後宮での食事の様子を詳しく聞いてみる価値はある気がする。
そう思った慧芽は筆を執ると、後宮の女官や調理人に聞くべきことを紙に連ねた。
それでも書き留めるのは最低限だけ。
克宇との約束を破らないうちに、早々に眠りについたのだった。
◇ ◇ ◇
ヴェラの異常行動についてあまり成果のない中、披露目の打ち合わせのために後宮から官吏と女官が遣わされてきた。
慧芽は後宮から訪ねてきた筆頭女官の
その際に、白梅と望月に重ねてお願いしたのは、人並みはずれた竜であるヴェラの食事への理解のことだった。
披露目当日だけではなく、後宮で過ごす今後のことも含めて、慧芽はこのひと月で理解した竜の食事の特殊さについて、二人に共有をした。
「姫様のお食事は、三日に一度、こちらに記しました食材を使用してください。披露目の当日の食材は普通のもので構いませんが、姫様は体調が悪くなられると、偏食がすすみます。そうならないよう、あらかじめ献立に含めておいたほうが良いでしょう」
「安全性には問題はないのですか? これらはわたくしたちにとって、毒となる生き物や草木が含まれておりますが」
慧芽がこれまで書き溜めてきたものをまとめた薄い草子を白梅に渡すと、彼女は綺麗に描かれた眉をひそめ、怪訝な顔になる。
望月も白梅と同じようで、仮にも宮妃になる者に、こんなものを食べさせるつもりかと正気を疑うような様子だ。
慧芽は二人の視線を一身に受け、躊躇など少しもなく、堂々とうなずく。
「もちろんです。それがこのひと月過ごしてきて判断した姫様の特効薬ですから。これらを三日……保って五日食さなかったら、翌日の朝にでも蛇や蜥蜴が姫様の部屋に野放しにされることになります」
実体験からくる慧芽の説得に、白梅は何か心当たりがあるのか苦い表情となる。
「そういえば、姫様が後宮に参られてすぐに、女官が毒蛇に噛まれたことがありましたね。あの時はどこぞの宮妃の仕業かと疑いましたが……そう、ヴェラ妃様が」
初手からかなりの大事があったらしい。
白梅のぼやきに望月もその事件を知っていたのか「ああ」とうなずいた。
「ヴェラ妃様にはよくよくご注意しなければなりませんね。二度とあのようなことはさせないよう、きつく申し上げなければ」
「その件は私のほうより、姫様にお伝えさせていただいております」
望月のヴェラを責めるような話しぶりに、慧芽はやんわりと話を遮った。ヴェラに注意したところで、彼女の生命に関わることだから、それを規制するのはさせたくない。
「これは竜の習性とも呼ぶべきものでしょう。白梅様と望月様には、姫様がそういった行動を取らないよう、事前に防ぐように手配していただきたいのです」
「分かりました。慧芽様がそう仰るのなら、わたくしどもはそれに従いましょう」
「白梅殿、正気ですか。食事に毒物を仕込むのを頼まれているのですよ」
「
白梅は慧芽の言葉に応じる素振りを見せると、望月は絶句した。どうやら彼の良心と道徳が、一歩間違えれば殺人になりかねない慧芽の危ない手引書に抵抗感を与えているようで、あまりいい顔にはならない。
それでも、慧芽が毒物の徹底管理の方法まで参考程度に告げれば、渋々とうなずいてくれた。
「では当日はこのような流れで参ります。卯の刻には迎えの馬車が参りますので、ヴェラ妃様のご支度をしておくようにお願いします」
「かしこまりました」
「それと、これを」
白梅から衣装一式とは別に、一升ほどの瓶を手渡される。慧芽が何かと首を捻っていると、白梅は淡々と告げた。
「もし当日、ヴェラ妃様が言うことを聞かないようであれば、こちらを飲ませて差し上げてください」