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第39話 才媛は聡明すぎた

 白梅と望月を見送ると、もうすでに夕餉の時刻に迫っていた。慧芽が小走りで厨房へと向かうと、気を利かせてくれた馬典が夕餉の支度をしてくれていた。


「申し訳ありません、馬典様。城の方々とのやりとりが長引いてしまいました」

「いえ、大丈夫ですよ。どうせ手持ち無沙汰だったので」


 護衛として基本ヴェラとともにいる克宇と違い、馬典は武官とは名ばかりの下男扱いだ。先ほどの望月の話ぶりから、まるで栄転ではと言わんばかりだった馬典の現状に、慧芽はなんだか申し訳なさが勝ってくる。


 慧芽は手早く襷をかけると、馬典に夕餉の品を聞き出して、さっそく煮炊きの準備を始めた。


 今日は水餃子と刀削麺、それから水菜のひたしにするようだ。馬典が麺を打つのを横目に、慧芽は水餃子の餡に入れる材料を、食材の入っている木箱をのぞきながら思案した。


「そういえば馬典様のお話をお聞きしました。不勉強で申し訳ないのですが、龍仙酔という酒は有名なのでしょうか」

「ああ、聞かれたんですか」


 馬典から素っ気ない返事が返ってくる。慧芽が玉菜を手に取り、作業台へと戻ってくると、彼は麺を成形しながら笑っていた。


「呑兵衛の中では有名ですかね。大陸一の酒精度数と言われているんですよ。人がそのまま飲むと喉を焼くんで、飲むよりも医者が消毒代わりに用いるくらいなのですが」

「そうだったのですか」


 それが何か、とでも言いたげな馬典に慧芽はついでとばかりに尋ねてみた。


「知っていればでいいのですが、龍仙酔の原料を教えていただきたいのです。単に酒精の問題なのか、原料の問題なのか、姫様に影響を及ぼすものが何かを知りたいものですから」

「そうでしたか。ですが残念です、そういったことは酒屋のほうが詳しいでしょう」


 馬典の言うとおりだ。酒を知っているとはいえ、それの原料まで知るとは限らない。慧芽はあとで、克宇にそれらを調べてもらおうと頭の隅に置いておくことにした。


「それにしても急にまた、どうして酒のことを調べようと?」

「なんとなく、そこに今回の姫様の異常行動の鍵があるのではないかと思ったのです」


 慧芽は気づいたことを馬典に話す。酒を進言した馬典を責めるつもりではないけれど、当人が知らないよりは知っておくべきかと思ったからだ。


「離宮に来られた頃、姫様はよく宝飾品の類いを口に含められていました。中でもとりわけ口にしたがったのは紫水晶の簪です。小粒の紫水晶が藤の花を模して造られていたものだったのですが、その装飾を千切って食べてしまわれたことがあって」


 あの衝撃的な瞬間は忘れられない。散らかされた宝飾品を片づけていた際、欠けた簪を見つけた。ヴェラに聞いたら「たべちゃった!」と返ってきた時にはひっくり返りそうになった。皇帝から贈られた財宝なものだから、すぐさま修理を依頼した記憶がある。


「姫様が再び宝飾品の類いを口にされるようになって、真っ先に犠牲になったのは同じく紫水晶の首飾りでした。千切って飲み込むような真似はしなかったのですが、気がつくと飴のように口にされてしまうのです」


 他にも犠牲になる宝飾品はあったけれど、とりわけ頻度が多いのは紫水晶を使用した物だ。首飾り以外にも、耳環や帯飾りなどが犠牲になっている。


 もともと、ヴェラの髪色に合わせて紫水晶の宝飾が多い故の偶然と考えていた。けれど今再びその異常行動が再発したのを深く考えていくうちに、紅玉や碧玉、珊瑚や真珠の類いの犠牲が、極端に少なくもある気がしてきた。


 人が薬を飲む時は、症状に合わせた薬を飲む。

 もしヴェラが薬代わりにそれらを口にしていたとしたら。離宮に来た頃と、今また同じ行動を取り出したその原因は、近しいところにあるはずだと考えられる。


「専門ではないので、私の憶測でしかないのですけれど」


 思わず苦笑いをこぼしてしまう。

 慧芽ができることには限りがあるし、これを究明するのは慧芽の仕事ではない。克宇にはつい先日もお小言を言われてしまったばかりだ。けれど気になったらとことん究明しようとしてしまうのは慧芽の性分によるものだから、なかなかすぐには直りそうにもない。


「女官殿は聡明ですね。酒のことからそこにまで考えが及びつくとは」

「何事にも因果関係は生まれるものです。私こそ、馬典様の発想の持ち方には驚かされましたよ」


 馬典が「ははは」と笑う。

 ふと、その麺を打つ手が止まり、馬典の顔が上がった。


「さて、女官殿。もう生地も寝かせるだけですし、玉菜を刻むのは私がやりますよ」

「まあ、いいのですか」

「かまいません。力仕事はお任せあれ」


 馬典の言葉に、慧芽は彼に玉菜を任せることにした。正直、玉菜を一玉刻むのは、慧芽にとってもなかなか体力仕事なので大変助かる。


 手の空いた慧芽は、自分が次にする仕事を探して作業台を見渡す。玉菜を刻んだら、次は肉を刻むだろう。


 慧芽は肉を取りに行くため、厨の地下にある食糧庫へと向かった。食材の入っている木箱のそばには食糧庫へ繋がる扉があり、その先は階段が続いている。その階段を進む先は冷暗所となっており、肉類や保存食、すぐには使用しない食材や調味料などは、ここに置いていた。


 慧芽がそこから肉を探していると、不意に見覚えのある壺を見つける。


「これは、磨き粉……?」


 馬典が使用したあと、ヴェラの異常行動が始まったので、処分してもらっていたはずのもの。


 それが何故ここに。

 慧芽がその意図を馬典に尋ねるため、磨き粉を手にとった瞬間。


「聡明すぎるというのも、考えものですね」


 背後からかかった声。振り向こうとした慧芽の視界が闇に覆われる。声を上げるより早く、その口もとには独特な匂いの布が充てがわれて。


 吸い込んではいけないと判断する間もなく、慧芽の意識は闇へと落ちた。


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