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第42話 武官の意地

「大人しく縄につきませんか。同じ武官同士、貴方に敬意を払いたい」

「ずいぶんと余裕があるもんですね。さすが、皇帝陛下の覚えがめでたい奴はひと味違う」


 皮肉めいた様子で馬典が足を止める。克宇の間合いのぎりぎり外側で、馬典もまた抜剣する。


「さっきあんたは竜に立ち向かうと言ったな。そんな自殺行為、よくまぁやろうと思えたもんです」

「竜は憧れでしたからね。幼い頃はその爪や牙で、俺だけの剣を作りたいと思っていましたよ」


 馬典の皮肉は留まるところを知らない。克宇は律儀に馬典へと言葉を返す。今の馬典にとってはそれこそ皮肉にしか聞こえないだろうけれど。


「立派な志だな。それならどうだろうか、取引なんてものをしてみるのは?」

「取引?」


 追いつめられた者の最後のあがきだろうか。

 克宇が訝しげに眉をひそめて聞き返すと、馬典は抜剣した剣を肩へと担ぐ。


「私の目的は竜の絶滅。それが一族の悲願であり、故郷への餞だ」

「一族……? 故郷、とは」

「三百年前、お前たち天峯国と白灯竜に、故郷の里を焼かれた一族だよ」


 予想だにしなかった馬典の言葉に、克宇は目を瞠る。馬典は皮肉めいて嗤った。


「有名な話だろう? 白灯竜が草原を焼いた話は。だがそこに住んでいた者たちの話など、この国の誰もが忘れている!」


 馬典の瞳が、暗闇の中でも爛々と輝く。

 怒りだけではない、憎悪のようなものが、その瞳の奥に燃え上がる。


「故郷を追われた我らの一族は、いつか竜に復讐を遂げる日を待ち望んでいた。子々孫々と竜の恐ろしさ、凶暴さ、憎らしさを聞かされ続けてきた。それはもう、呪いのように。そしてあの日が訪れた。再び竜が我らの故郷を襲った日が!」


 馬典が克宇をにらみつける。

 克宇は静かに馬典の慟哭へと耳を傾ける。


「空に竜が現れた十五年前のあの日。青天の霹靂とはよく言ったものだよな。あの日、あの竜は、私たちの里を埋めたんだ! 雲一つない空から、何が気に食わないのか、幾筋もの雷を山へと落とし、その土砂で我らの里を……!」


 ギリ、と馬典が強く奥歯を噛みしめる。

 克宇は思いだした。十五年前といえば、修行のために山籠りをしていた時、克宇が初めて竜を見たあの日だ。


 あの竜が今ではヴェラだったのだと克宇は知っている。だからこそ、突然ヴェラが晴天の中雷を落とすなど。


(……いや、以前の姫君ならやりかねないな…………)


 ちょっと情状酌量の余地がありすぎて、克宇は馬典に同情の視線を向けた。


 当時、何がどうしてヴェラが雷を人里に落としたのかは知らないけれど、これは個人的に恨まれても仕方ないとは思ってしまう。だが、これとそれとは話が別で。


「貴方の竜への恨みは分かりました。ですが、どうして慧芽殿を狙ったのです。彼女に何の関係が」

「大有りですよ。あの女官は邪魔だ。せっかくあの紫雲竜に近づくことができたのに、竜殺しの秘薬をあの女官は片端から対処していっちまう。磨き粉にも酒にも気づきやがって、なんなんだあの女は! 女は綺麗に着飾って男に媚びてりゃ、いいものを……!」


 ぎらぎらとした怒りが馬典から伝わってくる。

 克宇はようやく、どうして慧芽が襲われたのかが分かった。


 慧芽は近づきすぎた。その聡明さで馬典の目的をことごとく邪魔をし、あまつさえ、彼に繋がる何かを掴んでいたのだとしたら。


「……慧芽殿の聡明さは、本当に我々の想像を越えていきますね」


 克宇はそっとつぶやいた。

 凛とした姿はまばゆいほどまっすぐで、何事にもひたむきで、真実から目をそらさず、すべての因果を解き明かそうとする、聡明な少女。


 その彼女の努力を克宇は知っている。

 慧芽が日々ヴェラへと与える情の深さを克宇は知っている。


 それが、とても尊いものであることも。


「馬典殿。姫君が犯した罪を、姫に代わり、お詫びいたします」

「お詫びというのなら、ともにあの竜を討伐してくれるのですかね?」

「いいえ。罪を償うということは、姫君にも必要でしょう。ですが同じように、貴方も慧芽殿を危険にさらした罪、皇帝の妃になられる方を弑そうとした罪を、お認めになってください」

「無理だな。交渉は決裂だ」


 馬典が剣を構えた。

 克宇も剣を構える。


 馬典の意志は頑なで、その憎悪も深いもの。

 ここまで来たら、もう言葉で止めることも難しい。


 どちらからともなく、一歩を踏み出し、剣を凪いだ。


「馬典殿! 貴方の境遇は悲惨なものです。ですが、今は竜が人と歩み寄ろうとしている大切な時です! 二度と貴方のような悲劇を生まないよう、未来を変えることを考えられませんか!」

「悲劇を生まないようにするのは簡単だ。その元凶をすべて滅ぼしてしまえばいい。そんな単純なことで人が幸せになれるというのは、国の歴史が証明してきているッ!」


 馬典の憎悪は根深い。

 それこそ、三百年の先祖の恨みつらみも抱えてきたのならば。


 二人の剣が交わる甲高い音が周囲へと響く。馬典の重い剣戟を克宇は難なく受け流し、さらには返し手で斬りつけてみせる。すんでのところで避けた馬典が忌々しく舌打ちをした。


「くそっ……! そこを退けっ!」

「退きません。これが俺の役目です!」


 竜の姫君を守る主命。

 慧芽を守ると誓った契り。

 そして何より――自分よりも年下の少女にだけ背負わせてはならないという、己の意地。


 克宇の剣もまた、あきれるほどに実直で。


「飛馬典、お覚悟を!」

「畜生……っ!」


 星明かりの夜闇に、ひと筋の銀がひらめく。

 自分へと刃向かう剣を遠くへ弾き飛ばした克宇の剣は、とうとう剣を失った馬典の喉もとへと突きつけられた。

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