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第49話 新しい門出

 克宇は楽しそうに目もとをゆるませながら、剣の柄をそっとなでる。


「自分こそまだまだ未熟で、こんな大層なものは身分不相応とは思うんですが……慧芽殿が頑張られるなら、俺も頑張りたいなと思いまして」

「どういうことですか。私とは違って克宇様は正式な武官の身分をお持ちでしょう。昇進だと思えば、ありがたいことではございませんか」

「んー……まぁ、そうなんですけど。心の持ちよう、ってやつです」


 頬をかきながらそう告げた克宇に、慧芽はまぁいいでしょうと納得する。傲ることのないこの謙虚さは、彼の真面目な部分の象徴だ。慧芽がとやかく言うようなことではない。


「けーめー、こくうー。行かないの?」

「行きますよ、姫様」

「さ、お足もとに気をつけて」


 ヴェラの呼びかけに、顔を見合わせた二人はそっと一歩を踏み出した。


 これから向かうのは、天峯国皇帝軒炎がおわします紫禁城。その後宮へ、ヴェラが妃として迎えられる。


 離宮の建物を出れば、ヴェラの紫髪の上で花が咲くように金の簪が陽の光を反射する。鈴なりになった紫水晶の琉がしゃらしゃらと音を立て、ヴェラの楚々とした歩みに品を添えた。濃紺の妃衣装はまるでヴェラが竜体化した時の鱗のような色合いで、満月のような金色の瞳が一層際立つ。


 凛と背筋を伸ばして歩くヴェラは、一人の淑女だった。ゆっくりと庭の石畳を歩み、迎えに上がった官吏や女官の前で歩みを止める。


「正八品、龍妃ヴェラ様。お迎えに上がりました」

「ごくろうさまです、どうぞよしなに」


 簡略ではあるものの、儀式の一つとして必ずするようにと教えた挨拶を、ヴェラはこなす。

 挨拶の言葉を述べ、腰を落とし、皇帝が遣わした馬車へと敬意を払う。


 初めてヴェラが城へと連れてこられた時の、あの手のつけられない暴れっぷりを知っている者たちが、息を呑む気配がした。今のヴェラはどこからどう見ても、皇帝陛下が見初めた、美しい姫君にしか見えない。


 その後ろから慧芽と克宇が歩調をそろえて控え、ヴェラと同じように頭を垂れる。慧芽はその後、ゆっくりと歩み、馬車の脇に立つと、ヴェラの手を取り、彼女を馬車へと乗せた。


 克宇が扉を締める。

 少しして、出発の銅鑼が離宮全体へと鳴り響いた。


「ふぁー! きんちょー、したっ!」

「姫様、まだまだですよ。今日はまだ始まったばかりです。これから入城し、後宮の儀があり、歓迎の宴を行うのです。そうしたら夜は、主上との初夜がございますから」

「うんうん! ダンナサマといっしょにいられるんだよねっ! ヴェラがんばるよ!」


 うきうきとした様子で息巻くヴェラに、慧芽は苦笑した。


 頑張るとは言うものの、儀式や宴には軒炎もでる。だがその距離は果てしないほど遠く、ヴェラには何度も伝えているけれど、きちんと納得できているかどうか。それでも夜にはご褒美が待っているので、頑張ってくれると信じているけれど。


 このあとの日程を思いながら、慧芽ふと馬車の外を見る。


 空は蒼く、雲一つない晴天。

 皇帝陛下が竜を娶るのに、またとない晴れの日だ。


 慧芽はそっと腰に帯びた紫瑪瑙の玉珮にふれる。

 いつか、克宇も言っていた。

 きっと歴史に残ると。


 慧芽もそう思う。

 今日という日は必ず歴史に綴られる。

 なんといっても、伝説でしかなかった竜が、皇帝陛下の妃となるのだから。


 そしてこれからの日々もまた、歴史に残るだろう。

 いいや、残してみせると慧芽は強く思う。


 七才媛として歴史に自分の名を連ねるのならば、それはヴェラのそばだ。むしろ慧芽が、紫雲竜ヴェラを歴史に綴ってみせる。


 これはきっと、慧芽の天命だ。

 紫雲竜のそばに侍ること。

 こんな栄誉、他の誰にも譲れない。


「姫様」

「なぁに、けーめー?」


 呼びかけると答えてくれる、慧芽の生涯たった一人の女主人。竜でありながら人と番う不思議な姫君は、慧芽の呼びかけにその満月のような瞳をぱちぱちとまばたかせる。


 慧芽は神妙な面持ちになると、大切なことを伝え忘れていたと告げた。


「本来はここでお暇をいただくはずでしたが……後宮へ参られたあとも、お世話役と教育係として、お仕えさせていただくことになりました。姫様、どうぞ末長く、お仕えさせてくださいね」


 ヴェラは一瞬だけ首を傾けかけ、それからようやく慧芽の言葉を理解したと言わんばかりに顔を輝かせた。


「もちろんだよ! けーめーこそ、ちゃんとヴェラをりっぱなオキサキサマにしてよね!」


 ヴェラが満面の笑みで応えてくれる。

 慧芽もまたヴェラに応えるように微笑を浮かべる。


 慧芽とヴェラの、二人の妃教育の日々は、まだ始まったばかり。


 馬車の外で二人のやり取りにそっと耳を傾けていた克宇も、これからの日々に思いを馳せ、楽しそうに目もとをゆるませた。

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