イオナは体を半身にさせ、竹刀を構える。
全身から放つ殺気がダダ漏れだ。
そんな彼女がここで初めて攻撃に転じた。
真正面から堂々と放ってきた水平斬りに、俺はなんとか身を屈めてギリギリ避ける。
だがイオナの視線は俺を一切逃がさず追尾させ、屈んだ瞬間を見て、左足で蹴り込んできた。
くそ、型も何もあったもんじゃない。
咄嗟に左手でガードしたが、思った以上の高威力に体が吹き飛ばされてしまった。
が、なんとか受け身をとって転けずに済んだ。
「痛ってぇ……っ!」
ガードに使った手、折れるかと思ったわ。
いや、これ氣を纏ってなきゃポッキリいってたぞ。
「……休む暇ないよっ!」
言葉のとおり、イオナの攻めは止まらない。
彼女が次に放つのも水平斬り。
しかし今度は俺が屈めぬようにと、低い位置で打ち込んでくる。
「こりゃ……飛ぶしかないっ!」
俺は避けるために軽く跳ねてみせる。
その高さ、ちょうど彼女と目線が同じになるほど。
だが、その判断がイオナに攻めのチャンスを与えてしまった。
彼女はそのまま空いた拳で俺に突きを放ってきたのだ。
「……っ!」
見事イオナの一撃は俺の腹部へめり込む。
勢いのまま吹き飛ばされ、俺は遠距離攻撃用の的にぶち当たった。
あれは本気の殴り。
マジであの人、俺を殺す気だ。
しかもあの婆さん、やっぱりただの武器商人じゃないな。
前世にいた歴代剣聖ほどじゃないが、次代剣聖最有力候補の『準剣聖』レベルには充分達している。
そんなやつの攻撃を何度も食らえば、さすがに氣を纏っていたとしてもただじゃ済まない。
「……エリアス、さっきも言っただろ? 倒れている暇なんてないって!」
地面に突っ伏せる俺を見ても、全く攻撃の手を緩める気はなさそうだ。
仕方ない。
そう思い、痛みを堪えながらも俺はなんとか立ち上がるが、竹刀を振りかぶったイオナはもう目前。
「戦う気がないなら、ここで死にな」
そして竹刀が最速で振り下ろされる。
やばい、死――
世界がスローモーションに見える。
これが、フラッシュバック的なやつか。
そして久々に隣り合った死という感情。
そういえば俺が剣聖の頃、いつもこんな感じだったっけな。
あの頃は自分がいつ死んでもおかしくない、仲間が、街がいつ奪われるかも分からない状態で常日頃、命のやり取りを行っていた。
いつの間にか剣聖なんていう大層な称号を得ていたが、それでも死から遠ざかったことなんて一度もない。
前世はそんな世界だったのだ。
……いや、それを思えば今だってあの時と何も変わらない。
知らない土地に主従制度、ゆっくり眠れる場すらなく、いつ誰に殺されるかも分からない劣悪な環境。
俺は平和ボケしていた。
隣にはいつも死が待っているなんて、ついぞ知らずに。
パシッ――
俺は手に持つ竹刀を瞬時に振り上げて、イオナの攻撃を受け止める。
「ほう。今の動きは速かったね。少しは本気になったかい?」
ニタッと口角を上げるイオナ。
どうやら俺の動きにご満悦のようだ。
「ええ、おかげさまで」
「そうかい。そりゃ楽しみだ」
それからお互いの竹刀が交じり合う。
片方が攻めれば、もう片方が守る。
逆も然りで、俺とイオナは激しい攻防を繰り返した。
さすが準剣聖レベル。
だがつけ入る隙はある。
ケリは一瞬でつくだろう。
そう、剣と剣が弾き合う瞬間……勝機はそこに。
お互い竹刀を振りかぶり、同じリズムで攻撃に移ると思われるタイミングで、俺はすでに竹刀をイオナの首元に突き立てていた。
イオナはハッとする。
何が起こったかまるで分からなかったかのように。
そして理解した瞬間、体の力を一気に抜き、振り上げていた手をストンと落とした。
「……負けだよ、エリアス。これなら心配ないね」
イオナは負けを認めたわりに、朗らかな顔をしている。
「心配?」
「エリアス! お前、そんなに強かったなの!? 最後どうやったの、あれ!」
俺がイオナに投げた疑問を掻き消すように、ラニアが目の前まで駆け寄ってきた。
そしてグッと顔を寄せてきてなぜか、くんくん、と匂いを嗅ぎ始める。
女の子に匂いを嗅がれるなんて前世含めても経験がなかったこと。
少し距離を取るように体を仰け反らせながら、俺は彼女の問いに答えた。
「あぁ、あれな。根性だよ」
「根性!? スゴいのっ!! 今度ラニアにも教えるの!」
「お、おう」
彼女のいうあれ、とは俺がイオナに竹刀を突き立てた動きのことだろう。
ラニアにはそう言ったが、本当は違う。
これは氣を使うことによって成せる技。
俺が剣聖時代に得意としていたのは、並外れた氣の緻密なコントロール。
剣と持ち手に氣を宿し、剣を振る速さ……すなわち剣速を自在に操ったのだ。
つまり相手が剣を振りかぶった一瞬の隙に、俺は剣速を最高速度まで到達させ、相手の首元に突き立てた。
ただそれだけのこと。
まぁそのためには何度も剣を交えさせ、今自分の持つ剣速を誤認させる必要がある。
例えるなら野球の投手でいうスローカーブからのストレート、ストレートからのクイック投法のようなもの。
要するに一定速度から、剣速を最高速度に引き上げた緩急の差で相手の体感速度を狂わせたのだ。
今回の相手イオナ。
彼女の実力はかなり高く、ただ剣速を上げるだけでは反応されてしまう。
そう思った故、今回は緩急という錯覚を利用して先手を打ったのだ。
まぁ相手がイオナじゃなく普通の相手だったならば剣速を上げた一撃に反応もできずノックダウンだったけど。
……なんてラニアに長々と説明したところで聞いてもらえないだろう。
だから根性で済ませた。
「エリアス、僕もびっくりだ。君がそんな強かったなんて!」
続いていつの間にか傍に居たアーゼルから、感嘆の声が届く。
「いや、きっとイオナも戦闘続きで疲れてただけだ」
「何を言ってるんだ。いくら疲れているとはいえ、ヴォルグリア国直属の血狼騎士団元副団長から1本取ったのは事実。まさかイオナさんが負けを認めるところを見れるなんて思いもしなかったよ」
アーゼルの物言い、やはりイオナはこの国きっての実力者だったらしい。
その騎士団自体どのくらい強いのか分からないが、彼女の力で副団長。
だったら団長の力はバケモン級だな。
「アーゼル、昔の話を引っ張ってくるのはやめなっ! 今はただのおいぼれ、体力だってずいぶん落ちたしね」
そう言ってアーゼルの言葉を否定したイオナは、その後まるで話を逸させるかのように話題を変えてきた。
「そうだ、それよりも飯にしよう! お前ら腹減っただろ?」
「やった! 食べたいのっ!」
まず反応したのはラニア。
その場でぴょんぴょん飛び跳ねている。
「イオナさん、いつもありがとうございます」
……まぁたしかにお腹減ったな。
朝から何も食べてないし。
俺もアーゼルに続けてお礼を伝えた。
「ふん、なら私が食事の準備をしている間、裏庭の片付けをしといてもらおうか?」
「片付け……っ!?」
イオナの言葉に疑問を浮かべながら周りを見渡すと、一瞬でその意味を理解した。
倒れた巻き藁に壊れた的、2人分の手合わせで演習場がグチャグチャだったのだ。
「……分かりました」
「……分かった、の」
この惨状を見たアーゼルとラニアも肩を落としながらも了承していたが、まぁたしかにこれは先が思いやられる。
とはいえ手合わせを申し込んだのも俺達……いや正確にはラニアだが。
まぁここで片付けないわけにもいかないので、俺達は協力して、片付けに入ったのだった。
◇
エリアス達が片付け中、武器商店では――
ここは売り場の奥にある居住スペース。
イオナは壁に寄りかかり、肩を上下に揺らしている。
「はぁ……はぁ……。まさかこの私がガキに遅れを取るとはね。それにこの程度の運動で息が切れるなんて老いとは怖いものだよ」
負けた経験は久しぶり。
いつもそういう時は悔しさや無力さが先に立つイオナだったが、今回は違う。
自然と頬が緩まってくるのだ。
そして同時に安堵感を感じている。
「エリアス……あの子の今の剣術レベルは全盛期の私には劣るもののポテンシャルは私以上か、いやもしかすると団長よりも……ウッ!」
イオナは体を酷使したことで痛めた腕をグッと押さえる。
「……これで私がいなくなった後も、エリアスがいれば、あの子達は大丈夫だ」
イオナはよし、とひと息ついてから可愛いワンちゃんの絵が描いてあるエプロンを身につける。
「さーて、何作ってやろうかなっ!」
そう言って調理を始めたのだった。