モーリスはその場に倒れ込み、今は無き右腕から溢れる多量の血を左手で必死に押さえようとしていた。
「助けて……助けて、くれぇ……痛ぇよ……っ!」
眼前でつくばっているモーリスは、俺を見上げ、命を乞うている。
このまま斬り殺してもいい。
しかしコイツがヴォルガンにとってどこまで大事な存在かも分からん状態では見殺しにしにくいのも事実。
「助けてやる。だが交換条件だ。この惨状に関して、俺は全く関与していない。傷だらけの部下にお前の無くなった腕、俺のせいにならぬようヴォルガンに上手く説明しておいてくれ」
ま、この辺がコイツの活用どころか。
モーリスは必死に何度も頷いている。
さて本当に仕事をしてくれるかどうかは置いておいて、早く止血してやらないとな。
俺はモーリスの切断された腕に手を置く。
そしてゆっくりと氣を送った。
実はこの氣、コントロールの仕方によっては本人の自然治癒能力を高める効果がある。
まぁ術者側の力量にはよるが、俺ならモーリスほどの大きな傷口も塞ぐことが可能だ。
……さすがに腕を生やすのは無理だが。
「傷が……治っていくっ!? お前、マジで何者なんだ?」
「だからただのエリアスだってば」
なんて言いつつ俺はモーリスに加えて、残り2人の部下を治療した。
その後、再び帰路を進むわけだが肝心の荷台が壊れてしまっている。
直接竜にも乗れるらしいので最後まで送らせてくださいと部下には言われたが、彼女としてもヤツらのことは信用出来ないとのことで、結局街まで歩いて帰ることにした。
ヤツらとの別れ際、生かした交換条件について再三にわたって刷り込ませてやったのは言うまでもない。
ということで無事街に戻ることができた。
どれくらいかかるか少し不安ではあったが、意外と徒歩30分くらいで帰ってこれたのでよかった。
あとは家に帰るだけだ。
「あの……この後アタシはどうすればいいでしょう?」
俺が集会所へ足を運ぼうとしたところ、女の子から声がかかった。
「どう、って家に帰ったらいいんじゃない?」
そう当たり前の返答をすると、なぜか彼女はキョトンとした表情になる。
「え……っとでもアタシ、あなたの所有物になったんですよね?」
所有物……あ、もしかしてあの時の勝利条件か?
そう、一騎討ちで決めたあれである。
えっとたしか、『俺が勝ったらあの女の子を自由にする権利をくれ』だったか。
今の今まで完全に忘れていた。
「そうだったな。でも大丈夫、自由にしてもらえたら。あの条件は、元々君を解放するための口実だったし」
これでいい。
実はというと彼女の実力を見た時、ぜひ仲間になんて思ったりもしたが、この子にはこの子の人生がある。
別に仲間だっているだろうし、それを俺の勝手で縛ることなんてできない。
「それは……こ、困りますっ!」
「え、なんで……?」
予想外の返事、俺は呆気に取られた。
そりゃ良かれと思ってしたことをいきなり拒否されたのだから。
「だって、アタシはあの一振りを見て決めたんです! あなたに一生ついていくと!」
赤毛の彼女は突然その場で片膝を付いた。
こういった光景、前世では幾度となく目にしたことがある。
かつて剣聖だったアルベールに忠誠を誓った部下達と全く同じ格好だ。
「……はい?」
ダメだ、理解が追いつかない。
まぁ俺は仮にも元剣聖だ。
剣技に惚れたなんてことはよくある話。
しかし一生ついていくとまでは剣聖時代にも言われたことがない。
しかも歳の近い女の子に。
そんな戸惑う俺を見て彼女は唐突に跪き、両手を地面について頭を下げてきた。
「お願いしますっ! アタシはあなたから……いや、お
地から俺を見上げる彼女の眼差し。
そこからは熱い憤りの感情、そして本気の覚悟、そういった強い意志が伝わってくる。
そういえば彼女、ヴォルガンへ向かって「殺し合いまでさせやがって」そう言っていた。
つまりはそれの仇、ってわけか。
さてどうするべき……なんて考える必要もないな。
俺は彼女に手を差し出した。
「分かった。俺の教えられる範囲で良ければ、できる限り伝授するよ」
「お、お頭ぁ……」
そう言うと、彼女は心底安心したのかその大きな瞳を潤ませている。
そして俺の手を取り立ち上がった。
「ま、とりあえずその頭、ってのやめてくんない?」
「え……かっこいい呼び方なのに」
よほど気に入っていたのか呼称を否定された途端、頬をむくれさせる。
しかしすぐ新たな呼び名を提案してきた。
「では……
「そうだな、じゃあエリアスで頼むわ」
2度目の否定に彼女は肩を落とし、嘆息を漏らす。
「……分かりました、エリアス様。アタシのことはマオ、とお呼びください。もちろん姓はありません。両親、いないので」
親がいない――
これはこの陰の街に来てからよく聞く言葉。
それもそのはず、この街の子供達は皆揃って孤児、親に捨てられて身寄りがない子ばかりなのだから。
前世では児童養護施設や孤児院など、身寄りのない子供達でも生活できる環境が整っていた。
しかしこのヴォルグリア国にはどうもそういった施設が上手く機能していないらしい。
もちろん集会所のラニアやリン、このマオも例外ではない。
それに彼女にはみたところ主従紋らしきものが見当たらない。
ということは俺達が従者になることで得た生活上最低限の安全……『陰の牙』のような大きな組織の後ろ盾が存在しないことになる。
そんな過酷な環境の中訪れた仲間の死。
そしてその元凶が『陰の牙』と分かっていれば仇を討つ以外の選択肢がないわけだ。
「……エリアス様、どうしました?」
俺がよほど難しい顔をしていたのか、マオは俺の顔を屈んで覗いてくる。
「あ、いや、なんでもない」
まぁとにかく、俺自身本来の目的であるリーヴェン村への帰還のためには、遅かれ早かれ『陰の牙』はどうにかしないといけなかった。
つまりマオという強力な仲間ができることは、俺にとっても充分理があることなのだ。
「エリアス様、改めてよろしくお願いします!」
マオはボサボサの赤髪を垂らしながら頭を深く下げ、再び手を伸ばしてきた。
「うん、こちらこそ……ってそれよりマオ、その様ってやつもやめてもらっていい?」
「いいえっ! これ以上はもう譲れませんっ!」
彼女はお辞儀のまま顔だけを上げ、いたずらっぽくニンマリとした笑みを向けてくる。
今日出会ってからマオは常に尖った口調、そして険しい表情ばかりを浮かべていたため、初めて穏やかな雰囲気の彼女を見た。
もしかするとこれが本来あるべきマオの姿なのかもしれないな。
うん、笑った顔のがずっと良い。
……と、子供ながらに整った顔を持つマオに少し見惚れてしまったのはここだけの話。
なんて内心思いつつ、俺は彼女に手を伸ばす。
「はいはい、様付けはもう諦めるよ。とにかく、修行となったら俺は厳しいからなっ!」
「はいっ! のぞむところですっ!」
俺とマオは再び手を交わした。
そう、これがのちに『ブレイズフォール家』という集団として名を轟かせる当主エリアスと『赤き閃光』の異名を持つ無敵の側近、マオ・ブレイズフォール、2人の出会いの瞬間だったのだ。
◇
そして3年後――
ここから俺達の復讐が始まっていく。