「しかし、女神様は私を見放されはしなかった。命が尽きるその時、生命の炎が最期にほんの一瞬だけ燃え上がったその瞬間、私はそこに――『賢者の石』へと至ることができたのです」
ここから始まってしまう。
ノーアさんの……『賢者の石』の孤独な歩みが……。
もう一度あの話を聞くのは……すごくつらいよ……。
誰もノーアさんと一緒に、永遠の時を歩んではくれなかった。
人であることを捨てて不老不死の存在となり、みんなの願望を叶え続ける『賢者の石』と一緒に歩むことを選んでくれなかった。
兄のカイランド国王も、一緒に魔術を探求した仲間たちも、育て上げたたくさんの弟子たちも。
そして、愛する奥さんのサーシャさんでさえも……。
「勘違いしてはいけません。私が人でなくなった時に、サーシャとの契約は終わりを告げたのです。彼女が私を裏切ったのではない。私が彼女を裏切ったのですよ」
そう言って、ノーアさんは静かに微笑んだ。
悲しみでも憎しみでもない、ただの微笑み――。
違うでしょ。裏切りとかそういうことじゃないでしょ。
サーシャさんだってノーアさんのことを愛していたから、死の間際までずっと支えてくれたんだし。そんな悲しいこと、言わないでくださいよ……。
「私は『賢者の石』となり、死という概念から解放された。それと同時に、私の肉体は人のそれではなくなり、みるみる若返っていったのです。おそらく私のイメージ、私が理想とする年齢のそれに向かって」
一緒に連れ添ったノーアさんが違うモノになっていく姿を見続ける。
その時のサーシャさんの気持ちはどんなものだったのだろう。
「サーシャは、私の変化にさして驚いた様子は見せませんでした。これまでと変わらないように接してくれた。年老いて震えが止まらないその細い手で、いつものように私の頬をやさしく撫でてくれました」
そんなの……変わらないわけないじゃない……。
ノーアさん、あなた人の心なんて簡単に読めるでしょう? でも、サーシャさんの心の内に秘めた想いを暴かなかった。サーシャさんがホントはどう思っているのか。自分に恐怖しているんじゃないか、その場から逃げ出したいのをグッとこらえていたんじゃないか。それを知ろうとはしなかった。
でも、わたしはそれで良かったんだと思います。
きっとね、サーシャさんは怖がってなんていなかったと思う。ずっと一緒にいたノーアさんの魔術の探究に寄り添っていたんだもん。こうなることはわかっていたんだと思う。わかっていてずっと一緒にいた。だから変わらないように見えたんだ。その時どうしたら良いかわかっていたから。
「私はサーシャに問いかけ続けました。『これからもずっとそばにいてくれないか?』と。しかし、サーシャは微笑むだけで決して頷くことはなかった」
ノーアさんが天井を仰ぎ見る。
そう、ずっと一緒にいたから、いざその時に自分がどうしたら良いのかもきっと決まっていたんですよね。
「サーシャはいつものように微笑みながら震えるその細い手で、私の頬をやさしく撫でるだけでした。最期のその時まで――」
サーシャさん……。
あなたは、ずっとしあわせでしたか?
「これが私の恋バナです。先にも後にも一度きりの恋でした。ご静聴ありがとうございました」
ノーアさんが頭を下げる。
しかし会場は拍手もなく、ただ静まり返っていた。
横を見れば、ナタヌもスレッドリーも声を殺して泣いていた。
わたしは、ノーアさんにかけられる言葉を持っていない。
きっとこの中にそんな人は誰もいないだろう。
でも受け止めました。
ノーアさんの人としての人生。恋の話を。
沈黙を破るように、スーちゃんが口を開いた。
『サーシャの魂は……安らかに眠っているよ』
スーちゃん……。
「スークル様、ありがとうございます」
ノーアさんが深く深く頭を下げた。
スーちゃん。
女神様たちはご存じなんだ。
ずっとノーアさんとともにいた女神様たちには、何もかもわかっている。これまでのことも、そしてきっとこれからのことも。
『サーシャはどこにもいかない。ずっとお前のそばにいるよ』
ゆっくりと顔を上げたノーアさんは、笑顔だった。
その頬には一筋の涙が伝って――やがて消えた。
ずっとそばにいる。
サーシャさんは裏切ったりしない。
これが2人の愛の形。