「好みの衣装を着て貰えるサービスがあると聞いたんだけど、本当かな?」
いつものように緋茶を丁寧に饗した後、少し恥ずかしそうにゼアリリューゼに問われ、ヨシュアは何のこったいと首を傾げた。
「いや、あの毒龍……失礼、ネグローニカ伯から聞いてね」
苦々しげに政敵の名を口にした吸血鬼は、思い出すだけで牙が伸びる思いであった。
毎度の如く帝城ですれ違ったのだが、その時に鬱陶しかろうに大名行列の如く配下をぞろぞろ引き連れたロウファは、小声でゼアリリューゼに自慢したのだ。
自分は故郷の服を着たヨシュアきゅんに故郷のお茶を出して貰ったけどお前は? と。
腸が煮えくり返る思いを抱いて店にやって来た彼女は、居ても立ってもいられなくなって、そのようなサービスが存在するのかと問うたのである。
「いえ、アレは何と言いますか、衣替えをしていた時に昔の服がでてきたから、何となく着てみただけでして」
「つ、つまりネグローニカ伯のためだけのサービスだと?」
声が震えそうになるのを抑えながら吸血鬼は、キョトンとしているヨシュアに聞いてみる。
返ってきた答えはある意味で是であった。
もしも貴種としてのプライドがなければ、ゼアリリューゼは絶望のあまり卓に顔面を叩き付けていたであろう。自分の方が来店歴は長いのに、何だってそんな特別なサービスをしたのだと。
「あの、その、申し訳ございませんゼアリリューゼ様。私、帝都風の服装は
されど、その程度の仮面は通い慣れた客のことを熟知している店主の前では、あってなきような物。あっさりと見抜いた彼は手をパタパタしてフォローに入る。
お客様、それも特に贔屓にしてくださっている方に、他の客へ特別なサービスをしてしまったというのは体面が悪い。それもとてつもなく悪い。
なので彼は必死に否定して見せたが、ずーんと沈んだゼアリリューゼの心が立ち直ることはなかった。
「……そうですね、お耳を少し拝借できますか」
「なにかな……」
このままブルーな気持ちで退店することになっては、一時の憩いを提供するカフェの店主としては名折れもいいところ。ヨシュアは少し頭を捻り、色々と自分の心と折衷したのち、足繁く通ってくれている吸血鬼相手ならば良いかと提案をした。
「服装はサービスではありませんし、今後メニュー表に載せるつもりもございませんが……ゼアリリューゼ様のご要望でしたら、何でもお望みの服で接客いたしますよ」
「何でも!?」
うつむき加減だった伯爵の顔が跳ね上がった。その目は期待にキラキラ輝くと同時に、ネグローニカ泊が〝たまたま〟であったのに対し、自分には特別で〝注文した物〟を着てくれるという贔屓が心に刺さったのだ。
「ええ、公序良俗に反しない範囲でですが」
「それは弁えているよ……よし、分かった、じゃあ服を贈るから、それを日替わりで着て貰えないかな?」
「日替わりで?」
変わった注文であるが、それで客が満足して心を癒やし、自分も金を稼げるなら良いかと店主はリクエストを呑んだ。
その日、吸血鬼はいつものようにサービスである血液を垂らした緋茶をゆっくり愉しむと、至極上機嫌で帰っていったが、後日届いた服装にヨシュアは大きく首を傾げることとなる。
「これは……なんだろう」
「平民の服ですね」
昼間、オッペンハイム伯家からの遣いが運んできた三つの箱には、全て帝都でも貴族御用達で知られる、一見さんお断りの会員制服飾店の金箔紋章が推されていたのだが、1から3のナンバーが振られた最初の箱を開けてヨシュアは意図を読みかねた。
グルゼフォーンの言う通り、それは平民の服であった。やたらと仕立てが良くて針仕事が完璧であるために品質は比べるべくもないのだが、襟元を紐で調節できるボタンのない亜麻のシャツや、腹を紐で括るダボッとした膝丈の脚絆、飾り気のない布を巻き付けて履く木靴は正しく庶民のそれ。
帝都で暮らしていると普通に目にする物を、態々高級テーラーの仕立てで寄越す意図は全く不明であったが、とりあえず着てみるかとヨシュアは部屋に戻って着替えてみた。
「どうかな」
「大変素朴でよろしいかと」
「そう思ってないだろ、君」
無表情から何とも言えない感情を読み取った彼は、主人が見窄らしい格好をしていることを従僕が容れかねていることを直ぐに見抜いた。もしも彼女の倫理コードが緩く設定されていたのであれば、直ぐに剥ぎ取って上等な仕立ての服に着替えさせていただろう。
「まぁ、着心地は悪くないね。縫製は凄くしっかりしてるし、生地も亜麻だとは信じられないくらい手触りが好い。この木靴ばっかりは好きになれないが」
姿見の前で変な所がないか確認したヨシュアは、しかし普段と比べると露出度が高いなと思った。
上級使用人が着ていても恥じない従僕服と違って、作業したり、このまま寝ることが前提の平民服はダボッとしており締め付けもない。襟は肩口までとはいかないが首の付け根が見えるほど空いており、紐で締め付ける首元は結んでいなければ鎖骨がチラリと見えるような角度。
袖は前腕部半ばまでしか覆っていなくて手首が丸出しだし、脚絆も膝が見えている。ここに靴下を履いても脛の下までしか隠せないため、普段は手袋まで付けて肌を見えないようにしているヨシュアには酷く頼りなく感じられた。
「まぁ、これ自体は特に変わったものじゃないな。都市部の平民というより農村部の平民ってところか。野良仕事には悪くなさそうだ」
「当機としては、オッペンハイム伯がこれを仕立てた意図が不明なままですが……」
主従揃って首を傾げてみたが、答えが出るはずもなし。
では次の箱にと手を伸ばすと、その中に納まっているのは従僕服であった。
しかし、ヨシュアが着ている物と比べると怖ろしく簡素だ。
「これは……
「ですね。しかも、これはホールボーイの物ではありませんか? 高等な教養を修められたマスターには相応しくないかと……」
男性使用人といえば
この下級使用人向けの制服は何を思ったかホールボーイ、フットマンと呼ばれる主人のお付きや客人の応接を行う使用人の見習い段階に向けたものであって、本来は二〇歳未満の少年が着るものである。
だが、当然ながらヨシュアは成人して結構経つ。術式の行使によって肉体年齢が二年か三年ほど余計にとっていることもあって、見合う物ではないのだが、サイズはやはり平民服と同じでピッタリであった。
「……私、寸法教えたことないよな」
「今度〝尋問〟してみましょうか」
「やめなさい。私もちょっと気持ち悪いと思ったけど、お客様だよ」
律儀に着替えてみた店主は、そのピッタリ具合にきしょく悪さを感じたが、まぁ上客が寄越した物だからと一旦忘れることにした。内務省のお偉いさんともなれば、普段着ている従僕服の出所を探り、そこから身体情報を手に入れることくらい容易かろうと。
「いや……でもこれはちょっとキツくないか? サイズ的な意味ではなく」
「お似合いではございますが」
「なんかこう、無理矢理に学校の制服を着ている感が……」
ただ、それでも店主にはちとキツいものがあった。少年が着る装束を良い歳こいて着ていると思うと凄まじい羞恥心が湧き上がってくる。前世の難波でよく見かけたコンカフェの店員は、制服イベントの度にこの気持ちを味わっていたのかと頭が下がる思いすらする。
「主はお若く見えるので、気になさっているようなことはありませんよ。自信をお持ちください」
「何か、この歳までホールボーイから出世できてないみたいな凄い残念な感じしない?」
「それは流石に深読みでは?」
表現しがたい渋面を浮かべる主人に対し、従僕は被害妄想だろうと苦言を呈した。何よりも他人にコスプレさせて悦に入ろうという〝変態〟が寄越した物なのだ。一々意図を考える方が精神衛生にもよくなかろうと主を納得させた。
「で、最後の箱は……って、うお、凄いな」
「これは、
「ああ、しかも執事どころじゃない、家宰が着るようなものだ」
三つ目の箱を開けて、ヨシュアは驚いた。男性向けの黒いフォーマルスーツ、縁を銀糸で飾ったそれは敢えて一つ前の流行を取り入れることによって、貴種ではなく従僕であることを主張する意匠なのだが、貴人の装いであることを加味すると最上級使用人、館や領地を取り仕切る家宰の物だと一目で分かる。
「……いや待て、これオッペンハイム伯爵家の紋だろ。いいのか?」
「……当機には分かりかねます」
よくよく見れば、襟元にはオッペンハイム伯爵家の家紋、落日と同時に昇る月の紋があるではないか。古い吸血種の家系らしい家紋であるが、言うまでもなく軽々に扱って良い物でもなければ、家に深い繋がりがある者以外が袖を通すことが許される代物でもない。
だが、寄越したということは着ろと言うこと。
そして、無体を働く性質ではないので、着たからにはもう私の物だと言う訳でもないのだろう。
「……あ、私、何か今回のコンセプト分かっちゃった」
「え? 本当ですか?」
「あー、うん……ちょっと、いや、その大分……何でもない」
丁寧に服を箱に入れながら、順番に並んだそれの意図を察した店主は何とも言い難い顔をしていたが、これでお客様が喜ぶならば良いかと受け容れることにした。
何、昔から貴人は低い身分の者を見出して、自分好みに育て上げるのが大好きなのだ。
然もなくば、光源氏などという変態にもほどがあるシナリオが教科書に載ることもあるまい。
自分を納得させたヨシュアは、やっぱ気軽にコスプレしますなんて言わなきゃよかったなと思った。
これならば、水着とかを寄越された方がよっぽど分かりやすくていいくらいだった…………。