「っ!」
海泥隊長は口が開いたまま、死んだ魚のような目で私たちを見つめる。
まだ状況を理解していないようだ。
「心配しないでください。乱暴なことをするつもりはありません」
藍は優しく微笑んで海泥に近づけてくる。
「……?!」
「鞭、ナイフ、炭火、氷水などで人を拷問するような趣味はありません。人の手足を切り取って海に投げ出すようなことも全く考えていません。あなたを虐待しても、わたしにメリットがありませんから」
「じゃ、どっどっどうすっ、つもり……!?」
やっと状況が分かったのか、海泥は震えながら声を漏らした。
「そうですね。千本の針であなたを貫いても、何樽の海水を飲ませても、苦労以外に得られるものはありませんし。まず落ち着いて話をしましょう」
「だ、だから……一体、何を……」
「そのような目で見ないでください。お尻の傷に塩を撒くようなまねはしません。そこの若い紳士も、人の歯を一つ一つ叩き落とすようなことをしない人間です」
藍はさわやかな顔で非人道的な行為を否定するたびに、海泥の体が縮まる。
「お、脅かしても無駄だ!もったいぶるな!一体何をしたいんだ?!」
「脅かしではありません。道を尋ねに来ただけです。リラックスしてください」
「う、嘘だ!!本当は、俺をぼこぼこしに来たんだろ!」
海泥の表情から推測すれば――
そのような非人道的なことをする意思がないなら、そもそも口にもしない!
そんな発言をした以上、何を言われても信用できない!
とか考えているのでしょう。
――普通に考えたら、確かに理に適うけど……
優しい顔で残酷なことを話す人こそが一番怖い奴だ。
それ以外に、アルビンの短剣と凶悪な目線も、海泥をパニックにさせる原因の一つでしょう。
「どうやらかなり誤解されたようですね。悪魔を見るような目で見られたのはとても残念です。うちのお嬢様なら、皆を仲良くさせるためにどんな努力も惜しまない優しい人です。わたしもそれを見習うべきかもしれません」
「き、きさま、ら、なっ、なに、なにを……」
海泥は完全に遊ばれている……
「遊びはもういいでしょう。脅かしだけじゃなんにもならない。現実的なことをしましょう」
「げっ、現実的なことっ?!」
私の言葉から何か恐ろしい意味を解読したのか、海泥の顔色が真っ白になった。
「わかりました」
藍は頷いて、無垢と言えるほどの笑顔で海泥に迫る。
「ご迷惑をかけるかもしれませんが、これからの質問について教えていただければ、大変助かります。どうかご協力をお願いいたします」
「は、はい!な、なんで協力すんから!俺に手を出さないでくれぇ!!」
——
——
藍が優しく質問する途中、海泥は何度も気絶しそうになったけど、聞かれたことに対して一つも残らずまともな返答をした。
姫様の居場所、船長室の場所、救命ボートの数と位置、食料の保存場所、船の配置図、海賊人員の情報、船の進行線路。
そして、自ら進んで航海図一枚とピクルスの缶詰め一つを差し出した。
「これはこれは、大変助かりました。どのように感謝すればいいでしょう」
大げさに感謝を言いながら、藍は航海図だけを受け取った。
「い、いや、もう、勘弁してくれ……」
「もしも、わたしたちを見なかったことにしていただければ、更に深い感謝を申し上げます」
「そ、そんなことをおっしゃらないでください!かっ、感謝だなんて……俺も、俺も好きで海賊をやってるわけではござせぇんっ……感謝は、要らぬ……でござる」
藍に何回も感謝された結果、海泥は完全に取り乱した。
その「感謝」の裏に、きっと悪魔の罠が仕掛けられている!
と海泥の泣き顔にそう書いてある。
「そうはいけません。助けていただいたのに、感謝一つも申し上げないようなこと、うちのお嬢様は許しません」
藍はまた固執的に話を伸ばした。
海泥遊びを楽しんでいるみたい。姫様のところへ急ぐんじゃないの?
「だ、だったら、俺を俺を……倒してくれ!!」
いきなり、海泥は藍の腕に抱きついて悲鳴をあげた。
「それは感謝では……」
「お願い!お願いすんから!姉貴や船長にバレたら、俺は、俺は……」
なるほど、海泥が異常に怯える原因は、恐るべし藍と恐るべし上司の間に挟まれていることか。
「大丈夫です。わたしから事情を説明します。きっとわかってくれます。乱暴なことをしないと約束した以上、あなたを傷つけることなどできません」
その慰めを聞いた海泥は安心するどころか、両手で頭を抱えて慟哭した。
「なにをやっている!ほかの海賊に気付かれたらどうするんだ!」
茶番劇を見てられないアルビンはついに止めに入った。
「仕方がありません。では、ちょっとだけ、手加減な形で……」
藍はひとため息をついて、片手を海泥の目を覆った。
そのまま海泥の頭を親指と中指で軽く押したら――
パタンと、海泥はベッドに倒れて気絶した。
その不思議な手法を見せられた私とアルビンは呆気にとられた。
——藍(このひと)、やはりただの使用人ではない。
使用人より、ボディーガードのほうが適切かも……
「さて、これからどうしましょうか」
死んだ魚のように横になっている四つの体を目の前にして、張本人の藍は苦笑した。
「情報はもう十分集めた。さっさと行こう。さっきからさんざん遊んでやがって、ここをどこだと思ってるんだ!」
アルビンは不機嫌そうに催促した。
「しかし、その方は大丈夫ですか?」
アルビンの文句を無視して、藍は私に目を向けた。
その方というのは、まだ目覚めていない熱血探偵少年のことだ。
「海賊の話によると、起こせないじゃないですか?」
ウィルフリードは一体どんな薬を使ったのか……
そういえば、彼の行方を聞くのを忘れた……
「わたしが試してみます」
そう言いながら、藍は片膝を床について少年の様子を観察する。
「なるほど、そういうことですね」
何かわかったように呟いてから、藍は軽く少年の両頬を叩いた。
「起きてください。ここで寝たら風邪をひきますよ」
「……ん、ど、う……した……」
少年の口から声が漏れた。
「もう大丈夫です。海賊たちは起こす方法を間違えたから、起こせなかったのです」
起こす方法?
藍の説明とほぼ同時に、少年は頭を抑えながら上半身を起こした。
「カルロス公爵様曰く、人を動かせるには暴力より真心。海賊たちはそれがわからないから、この方を起こせなかったのです」
真心で起したと言いたい?
絶対冗談だ……
「うわぁぁ!全身びしょっ!なぜだ?!」
両足が地面についた途端に少年は大声を立てた。
「べっ!にがっ!はっ、はっ、はっしょうー!!くそうぉぉ!寒っ!痛てっ!」
その体のあちこちを叩いて確認する元気満々な様子、とってもいっぱいにやられた人に見えない。
「静かにしろ!ここはどこだと知ってるか!」
アルビンは少年の胸倉を掴んで警告した。
「どこ?犯罪現場か?おっと、ことの人たちは?」
やっと三人の海賊に気づいた少年は目を大きく開けた。
「よく聞け、ここは海賊の……」
「全員じっとするんだ!一歩も動くな!現場を守ろ!」
「お前こそ黙れ!海賊を呼び寄せるつもりか!」
……
起こすべきじゃなかった。
海賊に鞭を食わせてもお魚に食われてもいいのに。
「本当に、こんな荷物をうちの嬢様の前に連れて行ったら、公爵様に申し訳ないです」
藍は私の隣で困りそうに微笑んだ。
「想像した状況と大分違いますね。お嬢様はなにか対策がありますか?」
「対策?」
どんな状況を想像したのかわからないけど、こんな状況になったのは少年を勝手に起こした彼のせいでしょ。
「お前たちも何か言え!サーカスを見るために来たんじゃないだろう!」
「お前たち!事件が発生する時の状況を説明しろ!ここにいる全員は容疑者だからな」
どいつもこいつも、自覚のない奴……
手は小さく震えている。
二人を海に落とせる衝動が胸に刺さる。
こいつらをなんとかしないと、できることもできなくなるような気がする。
そう思うと、ぐいっと探偵少年の襟を掴んだ。
「来い、英雄になるチャンスをあげる」
「別に英雄になりたいわけじゃない。人類のために少しでも貢献できたら俺は満足だ」
「それなら、この仕事はあなたにぴったりだわ」
ツッコミたい気持ちはいっぱいだけど、とりあえず海泥からもらった航海図と船の配置図を少年に押しつけた。
「運が良く、牢屋からここまでの道に海賊がいなかった。この地図を見ながら倉庫の牢屋に行きなさい。なにかの探偵だったら……」
「フランディール帝国皇帝陛下に直属する秘密特別探偵、俺の名は……」
「そう、その探偵だったら、人質を解放するのもあなたの義務でしょ」
急いで少年の話を遮った。
「倉庫の牢屋にたくさんの人が囚われている。この航海図と船の配置図を客船の船長に渡して。チャンスを見て救命ボートを奪って客船に戻るように準備しとくと伝えてくれ。客船にいる海賊は多くない。船員たちが戻ればなんとかなるはずだ」
「ちょっと待って、何がなんだか俺はさっぱり……」
「とにかく、偉いことです!人々を救える、正義を称える、偉大なる使命です。道具や武器とかも必要から、まずあっちのタンスで探して見よう」
五里霧中の少年をタンスの前に押し込んで、もう一人の厄介ものに向けた。
「アルビン、あなたも行きなさい」
「俺?!なぜだ、一緒にあの姫様のところに行くのでは……」
「その必要はない!」
口調を強くして、彼の話を断ち切った。
「状況確認ならもうできたでしょ。あなたは姫様に会う必要なんてどこにもない。気まぐれなことより、皆を助けて、ここから逃げるのを考えよう。叔母様と女子供たちを放っといていいの?あなたも他人を捨て、自分のことだけを考える奴なの?」
「!」
私の話を聞いたアルビンは肩が小さく震えて、視線を下げた。
しばらくして、視線をあげて私を目をまっすぐ見る。
「お前、やはり……」
「私は誰だって、皆もここで死んだら意味がない。知りたいことがあるなら――」
心底でため息をついた。
こう話さないと彼は観念しないでしょう。
「ここから逃げ出したら、なんでも答えてあげる」
「……本当か?」
「ええ、誓うわ」
できるだけ真摯に装って頷いた。
ここから逃げ出した後、また私に会えるからの話だけどね。
「わかった」
アルビンは肩を下ろし、その条件を呑んだ。
「自分の言ったことを忘れるな」