風が吹いたらあっさりと散りゆくような、朧な記憶。
大体十年前のことでしょう。
ずっと不思議と思っていた。
自分の気持ちも、二人の会話も覚えているのに、「あの人」の様子だけは思い出せない。
でも、その人の年齢はウィルフリードと変わらないような気がする。
やはり違う人なのか。
その百合のペンダントも、ただの偶然なのか……
塩臭い船室内よりましだけど、真夜中の海賊船の甲板は会話を気持ちよく交わすところではない。
海賊の見えない片隅なのに、海賊たちの騒がしい声が途絶えずに伝わってくる。
火の光は今にも消えるように揺れている。
空気まで腐った匂いがする。
「なんの話をしたいの?これまで悪行なの?」
「一体どんな目で僕を見ているのですか?」
「どうして船長室にいたの?なぜ船長に先生なんか呼ばれている?あんたは一体何を企んでいるの?」
戯言で逃がさないように、単刀直入に問詰めた。
ウィルフリードにかかわると、なぜか気が短くなる。
人を見るのが得意のつもりだ。初対面の人でも、よく観察すればすぐにその性格や身分の大概を掴められる。
けど、この人のことだけ、何も見通せない。
逆に見通されるような気がする……
まるで、私の天敵のような人だ。
「そのロードという船長は、呪われています」
「!?」
少し沈んだ調子で言い出された言葉はまた意外なものだった。
「海賊船に上がったら、船長の様子に気になりました。気が狂っていて、何かに取り付かれたように見えます。それで、海賊の間でよく使う暗号で『僕は同業者』だと伝えました」
「……」
海賊の暗号を知っていることはなんとなく納得できる。
この人は一応天下の大悪党だから。
「あのカンナという女に、『船長の狂気を抑えられる』と伝えたら、ロードと話させてもらいました。呪われたけど、ロードは面白い子です。世界見聞をいろいろ聞かせているうちに、僕のことを先生と呼ぶようになりました」
「……その『呪い』は、どうやって抑えたの?」
「商売の秘密です」
周りが暗くて彼の表情をよく見えないが、今私に向けているのはズルい笑顔に違いない。
「じゃ、何に呪われたの?その狂気は、客船を襲うことと青石を奪うことに何か関係でもあるの?」
「もちろん関係があります。しかも、呪いをかけた張本人はこの船にいます」
!
ウィルフリードは垣立に向けて一歩を踏み出し、漆黒の海面を眺めながら懐から何かを取り出した。
よく見れば、指二つくらいの太さと掌くらいの長さの「鉄棒」のようなものだ。
「オレとものを争う代償を、彼たちに知ってもらわないと」
胸の底まで沈んだその声にぞっとした。
「再会のお祝いに、綺麗なものを見せてあげましょう」
変わったのが一瞬だけ、彼の口調はまた平穏に戻った。
「綺麗なもの?」
「月のない夜に、空を輝かせます」
ウィルフリードは鉄棒の蓋を取り、開け口を夜空に向けた。
ザッサ――!
小さな爆発音と共に、光の玉は鉄棒から飛び出し、空を駆ける星となった。
ザッサ――!
また一つ。
鉄棒から十数個の流星が相次ぎ飛び出した。
黒い幕のような夜空を灯る光の球は空で爆発し、無数な金色の星となり、巨大な花を咲かせた。
「花火?」
それは遠い東方から伝わってきたものだと言われている。
火薬を容器の中に詰め込み、一定の条件を加えれば、多彩な変化を咲かせる。
「これはどういう意味?」
綺麗だけど、綺麗だけではないのもわかる。
「すぐわかります。さあ、あの張本人を探しに行きましょう」
ウィルフリードはまたもったいぶって、私の腕を掴んで甲板下の船室に入った。
「なんじゃあれ!」
「信号か?!」
「どこからのもんだ?!」
「ボスに知らせなきゃ!」
異常事態に気付いた海賊たちが騒めいて、船室内はあっという間混乱になった。
ウィルフリードに腕を引かれたまま海賊の中を走り通る。
「ウィル先生!」
「あっ、ボスの先生だ!」
「悪いが、今ちょっと手が離せねぇ!自由にどうぞ」
嘘でしょう……
教養のない雑魚に見えるやつも、まともな人間に見えるやつも、ちっともウィルフリードを疑わなかった。
それどころか、かなり尊敬な態度で彼に接している……
奥様やお嬢様たちだけではなく、海賊まで食えるの?!
「その目線、感服と捉えてもいい?」
彼は自慢そうな笑顔を見せた。
「ええ、感服したわ。その人柄の悪さに!」
「人柄の悪さね、あなたに見せますよ――ケン・グライドさん」
ウィルフリードの手は後ろから「あの人」の頸を回し、銀色輝く刃をその人の喉にくっつけた。
探していた「張本人」はこの人なの?
薄暗い狭い廊下で、ウィルフリードはこのケン・グラードという大男――客船に潜り込んだ「奴隷」を捕まえた。
ケンの大きい体は小さく震えて、唾を呑むように喉が動いた。
ケンの傍にもう一人がいる。姫様に食事を運んだ女だ。
彼女は口を大きく開いて、声ひとつも出せなかったーー私が片隅で拾った短剣で彼女の喉を指しているのが原因、でしょう。
……悪事に加担するつもりはないが、黙らせないとこっちが困る。
「ロードのところで彼を見ましたよ。出たり入ったりして、言葉も上手です。海賊船でこんなに自由に動ける人は、可哀そうな奴隷のはずがありませんね」
「なんの、つもりだ……?」
低くて、しわがれた声。
確かに発音がきれい。
「それはこっちのセリフです」
ウィルフリードはニコニコしながら、先ほど花火を放った鉄棒をケンに握らせた。
「ご自分のしたことにちゃんと責任を持って後始末してくださいね」
「……」
憎悪そのものの目で、ケンは微笑んでいるウィルフリードを睨みつけた。
「これは……ど、どうした?!」
「お前たち…ウィル先生?」
ウィルフリードはダガーでケンを抑えて、メイン通りの廊下に入ったら、さっそく何人の野次馬が集まってきた。
「この人です。先ほどこの人は何かの信号を出しました。なんのつもりかわからないけど、とにかく、彼を確保しました」
優雅で平然とした顔で、ウィルフリードは嘘をついた。
「はっ?!」
海賊たちは驚きと疑問で口を大きく開いた。
「違う、嘘だ、奴は……」
ケンは弁解しようとしたが、ウィルフリードはダガーに力を入れて、その話を止めた。
「ここでぼうっとするよりロード船長に報告しましょう。姫様のことを後にして、こっちの問題を先に解決したほうが賢明です。この人を見逃したら、挽回できないことになるかも知れません」