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25 聖女の鑑

ドカン!

ケンの大きいな体は床に叩きつけられた。

カンナの怒りの一撃は大男の拳にも負けないほど強かった。

その吊り目は燃えているようにケンを見下ろす。

「貴様、面白いことをやってくれたじゃない」

「違う!俺じゃない!奴だ!奴は俺に濡れ衣を……」

ケンは口元の血を拭き、傍観者のふりをするウィルフリードに凶悪な視線を刺した。

「僕はキミに濡れ衣を?面白い話ですね。僕はそんなことをする必要がどこにありますか?」

「真犯人」は不敵に笑った。

「信号を出す目的は、誰かに情報を伝えることか、誰かを呼び寄せることでしょう。ここにいる皆さんは僕の友達です。僕には身の危険もないし、友達を困らせるような真似をする必要もありません」

そう言いながら、ウィルフリードは怠い顔で状況を見ているロードに振り向いた。

ロードの目に焦点がなく、雰囲気がさっきのへらへらと笑った時と違う。今の彼は、まるで抜け殻のようだ。

「友達」の言葉を聞いたカンナの顔に明らかに嫌そうな表情が現れた。

ウィルフリードに惑わされていないのか。

「僕はキミに濡れ衣を着せようとするのではなく、その逆でしょ。やったことが通りかかった僕にバレたから、その嘘で皆さんを混乱させるつもりでしょう。ひょっとして、その手にある怪しい道具も僕が握らせたものとでも言いたいですか?」

恥知らずという言葉の意味をこれほど深く理解したのは初めてだ。彼の隣に立つだけで良心が咎められる気分。

だけど、ケンのせいで客船が捕まえられたのも事実。ある意味で、ウィルフリードのしたことはケンの行動がもたらした結果だ。

悪には悪というべきか。

それに、ウィルフリードはロードに呪いをかけた張本人とか言った。このケン・グライドという男はその張本人なの……

「モンドさん、一体何があったのですか?」

姫様はさっきよりも不安になったようで、小さい声で私に訊ねた、。

「私もよく分からないです。何か裏があるかも知れません……」

まだ何とも言えないので、話題を変えた。

「お嬢様こそ、大丈夫ですか?」

「ええ、一応……」

「脅迫など危険なことはされませんでした」

姫様の代わりに藍が答えた。

「うちの嬢様は彼のことをかなり警戒したせいか、彼は雰囲気を解こうとしていたのです。ジョークをいくつ聞かせてくれたけど、下品すぎでとても笑えませんでした」

「え、ええ。そうです」

姫様は息を吐いて、緊張な表情が少し解いた。


「どうしてこのような人を使うのですか?」

一方、ウィルフリードはさりげなくロードに質問した。

「奴隷出身の彼たちはプロの技術もないし、忠誠心も低いと思いますよ」

「それは……カンナ姉さんの提案だ。万が一客船で掴まれても、亡命に狂った奴隷だと思われる。後ろにいる俺たちは気付かれなくて済む。それに、彼にいい条件をやったから、裏切りはしないと思った」

「いい条件?」

「成功したら、俺の船で納めている全ての奴隷を解放する」

「なるほど」

ウィルフリードは床に座ったままのケンに視線を投げた。

「つまり、こういうことでしょう。奴隷たちの解放のために客船を売った彼は、奴隷たちに真の自由を与えるために、どこかの国と手を組んで僕たちを売ったのでしょう」

「嘘だ!!」

ケンは怒鳴った。

ここまで冤罪を押し付けられたら、誰だって怒る。でも、ウィルフリードの話の半分は事実。

ケンは仲間を救うために、客船を売った。彼を信じて救おうとした姫様も含めて。

「デタラメだ!こいつは嘘つきだ!」

ケンは床から跳び上がり、ウィルフリードに飛びかかった。

けど、カンナは杖で思いっきり彼の腹を刺した。

あんな勢で細い杖に刺されたら、痛みはただものではないはず。

ケンは腹を抑えて再び床に倒れた。

「嘘かどうか、船長が判断するわ」

どうやらこの緋色の女海賊は誰も信用していない。弟・船長のロード以外に。

「推測は以上です。どう思いますか?」

ウィルフリードはロードに判断を促した。 

「ふん~?そういうことか、ケン」

眠そうに瞼を半開して、ロードはゆれゆれとケンに近づく。

「そんなわけねぇ!俺たちを運ぶ船を襲い、俺たちを救ったのはロードだ!自由の約束もしてくれた!ロードを裏切らない!」

「だがな」

ロードは退屈そうにあくびをした。

「仲間のために、てめぇはどんなことだってするんじゃねぇの?自ら俺たちの手下になると手をあげて、どんなクソ任務も二言なし受ける。張り切りすぎると思うぜ」

「違う、俺は……」

「酷い、どうしてこんなこと……」

隣の姫様の口から震える声が漏れた。

怒りのような、悲しみのような感情を抑えている声だった。

「まあ、どのみち、てめぇを殺しても損がねえんだ」

いきなり、ロードの怠い表情から強い殺気が発された。

黒い影……?! 

彼の体から黒い影が浮かび上がった。

ほかの人に確かめようとしたが、私以外の誰にもその黒影に気付いていない様子だ。

ロードは床を詰まった雑物をいくつ蹴っ飛ばして、青銅色の鞘に包まれた大きな刀が現れた。

ロードは刀を拾い、鞘を振り払い、寒い光が輝く刃をケンの胸に向けた。

「てめぇのおとぎ話、面白かったぜ」

「ま、待ってくれ!俺を殺したら、お前は、お前は……!」

ケンは慌ててロードに腕を伸ばし、何かを告げようとした。

でも、ロードは本気だ。

このままでは……


「待って」

「ロードっ!」

「もうやめて!!」

——

三つの声はほぼ同時に響いた。

私が言い出したの同時に、カンナも声を上げた。

でも、二人の声も姫様の叫びに覆われた。


「お嬢様……?」

「もうやめてください。どうして、どうしてこんなことをするのですか?」

姫様はケンとロードに向かって、一歩を歩み出した。

「たとえお父様の話しでも、信じたくありません。でも、始めて見た世界は、どうしてこんな世界なの……お互い罠をかけ合い、傷付け合い、奪い合い……こんな世界を見るために島を離れたのではないです!」

エメラルド色の澄んだ目から涙がこぼれた。

「お父様の話?公爵様は何を話しましたか?」

その疑問を藍に投げた。

ご主人様は危険な人たちに向かっているのに、彼は全く動かなかった。

その代わりに、気軽そうに私の質問に答えた。

「お嬢様を大陸に呼び戻す手紙で、公爵様はいろいろな『現実』を書かれたのです。公爵様は政敵に陥れられ、病に倒れ、もう戦争を止めることはできません。人々が戦火に苦しめられ、たくさんの悪人が私欲のために社会の平和と秩序を壊しています。そのような世界を救うために、お嬢様の力が必要、純粋な心を持つお嬢様しか戦争を止められません……」

「お嬢様しか戦争を止められません……?」

気になる言い方だ。

たとえ「天使の聖跡」を持っていても、ただ一人の少女は、どうやって長年も続けられていた戦争を止めるの?

「なるほど、物語でよくある話ではありませんか?平凡で勇敢なる少女は身を張って国王や魔王に戦争を止めるようにと進言。あるいは、誰もできないことを成し遂げて、国王や魔王を感動させ、戦争を止めさせるとか」

後ろからウィルフリードの悪い冗談しか思えない言葉が届いた。

「……現実的な理由を知りたい」

「公爵様のお考えは分かりませんが、手紙の内容から推測すれば、現実は汚さすぎるから、汚れ一つもない、純粋な人しか世界を救えないという理論ですね。実際に、お嬢様はそのような理念で育ておられたのです」

「汚れ一つもない、純粋な心でしか世界を救えない……」

藍の話は、修道院の教えを思い出させた。

人を疑ってはいけない

傷付けてはいけない

恨んではいけない

善への希望を捨ててはいけない

憎しみを愛に変える

罪人を許す

自分より他人を愛する

敵を愛する

そうしなければ心は汚れてしまい

神の祝福を失う

幸せになれない

地獄に落ちる


私はそのような人間になれなかったけど、姫様はまさしくその教え通りの人間だ。

高貴な身分にもかまわず、ケンとロードの間に入って、体を張ってケンを守った。

そして、床に跪いて、両手から「天使の聖跡」の光を放って、ケンの傷を癒す。

「お父様がおっしゃった救世主とか、聖女とか、そのような偉い人になりたくありません。わたしくしはただ一人の普通の女の子……普通でいたい、好きな人と大切な家族と、平凡に暮らしていきたい……」

あの不思議な力に、カンナとロードも注目した。

部屋にいる全員は静かに姫様の治療を見つめていた。

「でも、この力がある限り、わたくしは義務があります。わたくしを必要とする人々がいる以上、みんなに答えなければなりません」

「素晴らしいご覚悟です。まるで、伝説中の聖女ですね」

伝説中の聖女……?

藍は微笑ましい目で姫様見守りながら、冷ややかな口調で言葉を呟いた。

ロードは刀を肩に構え、姫様の手から放された白い光をじっと見つめてい、また眠そうな顔に戻った。

殺気が消えたようだ。

「思いもしなかった。こいつらの国で、あなた様のような人がいるとは……サラ、姫様……」

二度も手当してくれた姫様の前で、ケンも落ち着いたらしく、態度が柔らかくなった。

「俺は罪人だ。だが、生まれてから罪を犯したいわけじゃない。こいつらは、俺を、俺たちをこんな目に追い詰めたんだ……」

姫様以外の私たちを、ケンは憎悪の眼差しで睨みつけた。

「俺の仲間のために、そうするしかないんだ。どうか、お許しを……」

大男は姫様に深く頭を下げた。

「ええ、知っています」

姫様は小さく頷く。

「あなたたちは、きっと……」

「許せ、姫様!俺は、こうするしかないんだ……!!」

ケンが叫びをあげる瞬間、姫様に跳びかかった

?!!

「ケン、さん……?!」

何が発生したのか、いきなりケンの腕に頸を絞められた姫様はまだ理解していないようだ。

「すまん、姫様、俺は罪人だ。こんな方法しか知らない!俺の仲間のためにも、ここでやられるわけにはいかない!どうか、最後のご慈悲をくれ!」

ケンは歪んだ顔で高く叫んだ。

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