「分け入っても分け入っても青い山」。
何かそんな俳句があった気がする。
俺たちが森の奥へと進む決心をしてからは、ただただ生い茂る木々の間を抜けて行くだけの時間が過ぎていった。
「タイセイさん……。何か嫌な予感がするんですけど……」
タマちゃんがそう言うまでもなく、少し前から同じことを俺も感じていた。
これはゾウアザラシと遭遇した時と雰囲気が似ている。
何かに怯えて、周辺の弱い魔物たちがいなくなっているような嫌な感じ。
しかも、この辺りのそれなりの強さの魔物が怯えるレベルの何か。
まあ、そこら中に魔物だらけというわけじゃないから、今はたまたま何もいないところを進んでいるのかもしれないけど――
「一応、十分に周囲を警戒しながら進もう」
もし仮にゾウアザラシの時と同じだった場合、この近くに最低でもBランクの魔物がいるということになる。
俺たちの目的はCとBの中間くらいの魔物だけれど、万が一にも――それ以上の強さの敵に遭遇するわけにはいかない。
ステータス的にはCランク冒険者以上であっても、実際のランクはE。ダービージョッキーの称号効果無しで何とかなるのはぎりぎりBくらいの魔物ではないかと考えている。それでもこっちは2人。対峙した時の感覚で無理そうなら全力で逃げ出す事を事前にタマちゃんとも決めていた。
「理想はゾウアザラシよりも、ちょっとだけ強めのやつがいいんだけどねえ……」
俺はそう独り言のように呟きながら歩いていた。
「本当におかしな気がします……。近くに何の魔物の気配も感じませんし、ここは少し引き返した方が良いかも……」
更に進んだところでタマちゃんがそう提案してきた。
その表情には不安の色が見て取れる。
ここが限界か?
この森の事をよく知らない2人が進むには、これ以上は危険なのだろうか?
そもそもBランクの魔物というのでさえ具体的な強さが分からないのだから、ここは考え直して引き返すべきな気がしてきた。
そして脳裏に過る不安。
俺はまた自分を過大評価しているのではないだろうかと。
タマちゃん、引き返そう。
そう言おうとした時、何か遠くでけたたましい獣の鳴き声のようなものが聞こえた。
「タイセイさん!!」
瞬時にタマちゃんが臨戦態勢を取る。
今回はちゃんと弓矢だ。
しかし、俺は――
「駄目だ!!急いで逃げろ!!」
反射的にそう叫んだ。
俺の生物としての本能が危険だと告げている。
しかし――それでも遅かった。
俺たちの前にあった数本の木々が一瞬で空からの巨大な質量に押しつぶされて――バキバキ!!と激しい音をたてた。
折れた木の破片が周囲に飛び散るのと同時に、目の前を覆うような巨大な影が――ドスン!!と大地を揺らしながら空から降って来たのだ。
その瞬間に察した。
これはゾウアザラシなんか比ではない何かだと。
目の前に現れたそれはあまりにも巨大で、その全貌を見渡すには距離が近すぎた。
おそらくは四本足の獣。
それも、ゾウアザラシよりもはるかに巨大な魔物。
あまりの一瞬の出来事に、弓矢を構えていたタマちゃんはその何かを見上げたまま硬直したように棒立ちになっている。
「タマちゃ――」
そして、そいつが太い前脚のようなものを振るった瞬間――タマちゃんの姿はその場から消えていた。
「タマちゃん!!」
タマちゃんはどうなった!!
悲鳴は聞こえなかった。いや、悲鳴を上げる暇さえなかったのか?
大事なのは攻撃をくらったのか、それとも躱したのかということ。
まともに食らっていたのだとしたら、相当なダメージを負っていてもおかしくないほどの一撃。
俺はその前脚が振られた方角を見たが――そこには何もなかった。
攻撃を受けていたなら飛ばされただろう先にも姿は見えない。
「タマちゃーん!!」
タマちゃんの返事が返ってくることを祈りながら叫ぶ。
大丈夫でーす!そう返ってくることを願った。
頼む!!無事でいてくれ!!
「馬鹿!!早く逃げやがりなさってください!!」
おかしな文章の女の声が聞こえた。
その返って来た返事はタマちゃんのものではなく――
「あ――」
タマちゃんとその声に気を取られていた俺は、目の前の敵の存在を一瞬忘れてしまっていた。
何かの影が頭上を覆い、周囲が一瞬で暗くなる。
「おおおおお!!」
頭上から落ちてきた――多分、魔物の前脚をギリギリのところで後ろに跳んで躱す。
さっきの声が無ければヤバかった。
まあ、少しはその声に気をとられてたけども。
とか思っている間もなく――
回避して取った間合いは一瞬で無くなっていた。
俺が全力で跳んだ距離なんて、こいつにしてみれば一歩と必要ない距離だったのだから。
飛び退いた俺が地面に着地するよりも早く、巨大な毛むくじゃらな脚が迫って来た。
マズイ!!マズイマズイマズイ!!
早く足よ着け!!
そんな俺の願いも叶わず、俺の視界は真っ黒な影に覆われた。
あ、俺死んだわ。
そう――思った瞬間。
――ドカッ!!
大きな音と共に、俺の視界に光が戻って来た。
「何を諦めてやがりますか!!」
――ドオオーン!!
先ほどの声と同時に、何か大きな音が聞こえた。
そして、呆然とする俺の目の前に立っていたのは――
「ラバンダ!?」
「さんを付けやがりませ!!」
それはギルドのぽんこつ受付嬢のラバンダだった。
彼女はその小さな身体に冒険者が付けるような胸当てと肩当、それに籠手を身に着けて、俺の前に仁王立ちしていた。
そして大きな音のした方を見ると、めちゃめちゃ巨大な獣が倒れていた。
「あんた……何でここに?それにその恰好……」
「そんな話は後にしやがりなさいまし!!とにかく今は早く逃げやがりなさい!!」
彼女は俺から獣へと視線を向けると、拳を構えて空手家のような構えをとった。
「でも、タマちゃんが……。それにあんただって――」
――ウオォォォォォ!!
凄まじい咆哮。
それはさっき遠くから聞こえてきた声と同じように思えた。
その咆哮は明らかにこの巨大な獣が発したもの。
獣はすでに四本足で立ち上がり、俺とラバンダの方を向いていた。
そいつは――三つの異なった顔の首を持ち、獅子のような立派な胴体と太い足。
背中からは大きな翼を生やし、長くしなやかな尻尾の先にも顔がある。
全体的なサイズも、ゾウアザラシよりも二回りは大きいだろう。
この魔物は――
「タマは無事でいやがります!!それにBランク上位のキマイラはEランクのあなた様たちがどうこう出来る魔物ではございませんです!!私が時間を稼ぐので、とっとと尻尾を巻いてお逃げくださりやがれです!!」
キマイラ!!
こいつが!?
三つの異なる顔――カピバラ?チワワ?……ジャンガリアンハムスター?
羽は――孔雀かな?
尻尾の先の顔は――ライオン?
キマイラ?
こいつがあ?
何か思ってたのと違くね?
――ウオォォォォォ!!!!!
あ、あの尻尾が吠えてるんだ。
バランス悪っ!!