草木も眠る丑三つ時…ティナは息苦しさに目を覚ました。体が重く、何かのしかかっているような…
「!?」
薄目を開けたティナの視界に飛び込んできたのは、馬乗りで首を絞めつけている男の姿。もう一方の手にはナイフが握られている。
大方、何処かの自称婚約者辺りが仕掛けてきた事なんだろうが、この状況は洒落にならない。大声を出そうにも、首を絞められていて声が出せない。このままではヤバいと分かっているが、頭に酸素が回らなくなって、思考もうまく働かない。
男は手を緩めたり強めたりして、苦悶の表情を浮かべるティナを見て愉しんでいる。
(こんのサイコパス野郎…!!)
碌な死に方しないな!!と文句の一つも言えない事が悔しくて仕方ない。
そんな事を繰り返していた男だが、遊ぶのには飽きたのか、はたまた死に際の恐怖に怯える顔が見たくなったのか、ナイフを持っている手を振り上げた。綺麗な真ん丸の月が反射して映り込む。
(ああ…あんな男の為に死ぬのか…)
何故だろう……そう思ったら、何が何でも生きてやるという気持ちになった。
(死因があの男絡みなんて冗談じゃない!!)
ティナは男を睨みつけると、間髪入れずに思い切り左足を蹴り上げた。
左膝が見事に男の
ゴホゴホッとむせ返るが、早く逃げなければならない。気持ちばかりが焦って、体が上手く動かない。
そうこうしている内に男は態勢を持ち直し、ナイフの刃をこちらに向けて睨みつけている。
「貴様…楽に死ねると思うなよ」
完全に火をつけてしまった事に、反省はするが後悔はない。
怒りのまま襲いかかってくる男に、ティナは無意識に体を強張らせ目を閉じた。
──が、いくら待っても痛みはない。その代わりと言っては何だが、苦しそうな唸り声が聞こえる。
そっと目を開けると男が空中に浮き、もがき苦しんでいた。
「は?」
困惑するティナの耳に「くくくッ」と乾いた笑いが聞こえた。
振り返ると、窓枠に腰かけている者がいる。深夜だというのに色眼鏡をかけ、左耳にはシャランと揺れる大ぶりなピアス。「中々やるね」と胡散臭く笑う口元からは、八重歯が見え隠れしている。
「不審者が増えた!!」
怪しさ全開の風貌に、ティナはその場に崩れるように膝を付きながら叫んだ。
「あはははは、心の声が駄々洩れだよ?素直な子は嫌いじゃないけどね」
「よっ」と腰を上げると、傍に寄って来た。
「俺は、ユリウスの旦那にお嬢さんの護衛を頼まれて来たもんだよ。…自己紹介等はちょっと待ってね。こいつを先に片付けるから」
何が何だか分からず、呆然とするティナの肩をポンッと優しく叩くと、口から泡を吹き白目を剥いている男の元に寄った。
「あ~あ~、汚いなぁ。誰の差し金か聞かないといけないんだからさぁ、ちゃんとしてくれなきゃ」
全身を痙攣させている男に問いかけるが、当然応えは無い。むしろ、この状態で死んでいないのが不思議なぐらいだ。
まあ、生かさず殺さず絶妙な力加減で苦しめているのだろう。こんな高度な魔法が使える者がいた事に驚いた。
「ん~……仕方ない。これ以上は時間の無駄だし。終わりにしようか?」
首を傾げながら言うと、腰に着けていた剣を抜いた。剣先を撫でるように男の首元で滑らすと、ツゥーと血が流れ出る。だが、抵抗する気配は全くない。なんなら早く殺せと願ってるはず。
眼鏡の奥に見える瞳は、真っ直ぐに男を見ている。その瞳が狙いを定めると、ニヤつきながら剣を構えた。
今まさに剣が振り下ろされると思われた、その時「待ちなさい」と声をかけたのはティナ。
「そいつを殺ろうが殺らまいが関係ないけど、ここで殺るのだけは許さないわよ。私の部屋を事故物件にするつもり?」
「誰が掃除すると思ってんの?」と淡々と文句を述べるが、そこは使用人達にお任せ。ティナからすれば、これからまだ使用する部屋が殺人現場になる方が問題だ。
真剣に意見を述べたつもりだったが「ぶはっ!!」と吹き出された。
「あははははは!!この場面で気にするとこそこ!?やっぱあんた面白いわ。旦那のものじゃなかったら、俺が欲しかったよ」
「…………」
失礼な態度に、ティナはみるみる不機嫌になる。
「まあ、そういう事なら仕方ないね」
ひとしきり笑い終えた後、突き付けていた剣を鞘に収めてからパチンッと指を鳴らした。
その瞬間、拘束されていた男の姿が跡形もなく部屋から消えた。
「あいつは城の牢へ入ってもらった。すぐに旦那の元にも連絡が行くだろうね」
ここまで来たら最早驚きもしない。
「さて、じゃあ、改めて自己紹介とでも行きますか」
場の空気を変えるようにパンッと手を叩くと、空中で胡座をかいた。
「俺はゼノ。気軽にゼノって呼んでくれていいよ。見ての通り、魔法も使えるけど剣術、武術も万能。自分で言うのもなんだけど、結構な優良物件じゃない?」
「女の子からの人気も高いよ?」なんて言うが、そんな事をティナにアピールした所で無駄でしかない。
「…私はティナ。ティナ・シファー。あんたのご主人様に付き纏われて迷惑してる令嬢よ」
溜息を吐き、ベッドに腰掛けながら言った。
「へえ?噂は本当だったんだ。旦那に好意を持たれて無碍にする令嬢もいるんだねぇ」
目を見開いて、驚きを前面に出してくる。完全に珍品を眺めるような感じ。
「あんたが来てくれて正直助かったけど、監視されているなんて分かったら話は別。正式に苦情と抗議文を送らせてもらうわ」
「だからとっとと帰って」と伝える。
「監視じゃなくて護衛」
「同じじゃない」
ゼノは帰る素振りを見せず、空中でクルクルと回っている。
「お嬢さんの言い分も分かるけど、俺を置いておいた方がいいと思うよぉ?今日みたいなの来たら困るのはあんたでしょ?意地張るのはいいけど、自分の命とどっちが大事なの?」
胡散臭い顔をして真っ当な事を言ってくる。そんな事を言われたら何も言えないじゃないか。
「うん。異論はないみたいだね」
満足気に言うが、ティナからしたら言い負かされた感があって、なんとなく釈然としない。
だが、まあ、ここまで自分を売り込んでくるんだ。それは優秀な護衛なんだろうな…
「じゃ、俺は軽く呑んでくるから」
「は!?」
あまりにも自然に言うものだから、ティナは自分の耳を疑って言葉が出てこない。
その間にゼノは「じゃあね」と手を振り、颯爽と夜の街へ。
シーンと静まり返った部屋に残されたティナは、口を開けたまま茫然とその場に立ち竦んでいた。
は?え?さっきまでのやり取りの流れは?護衛、とは……?
「はぁぁぁぁぁぁ!?」
ティナの怒りの叫びが、深夜の屋敷に響き渡った。