「……平和過ぎるほど平和だわ……」
あの日以降、ユリウスはティナの元を訪れることはなくなった。おかしな事に、ゼノまでここ最近姿を現さない。別に心配している訳ではないが、今まで見ていた顔を見なくなると調子が狂うってだけ。
「失礼します。お嬢様にお客様です」
ノックと共に投げかけられた言葉に体がいち早く反応した。勢いよく扉を開けると、目の前には驚いたように佇む侍女の姿が。
「ごめんなさい。どなたかしら?」
慌てて取り取り繕いながらも冷静を装った。
「……アンティカ・ベントリー様です」
侍女は言いずらそうにしながら、名を口にした。別に期待していた訳じゃないが、不覚にも浮かれた感じになってしまった自分が恥ずかしい。だが、そんな気持ちもあっという間に消し去った。
(このタイミングで来るか)
今日はグイードが留守にしていて、夕方まで帰らない。そこを狙ってやって来たのだろう。用意周到というより、随分と姑息で卑怯な事をしてくる。
「分かったわ。通してちょうだい」
来てしまったからには通さない訳にはいかない。面倒臭いと思いつつ、応接室へと通した。
「お久しぶりです。ティナ様」
ティナを傷つけたのを忘れたのか。はたまたなかったことにしているのか、随分と馴れ馴れしい。それはそれで、傷を負った側としては面白くない。
「お久しぶりです。……今日はどういったご用件で?」
「ふふ、そんなに急かさなくてもいいじゃないの。貴女とお話したいと伝えていたじゃない」
険しい顔で睨みつけるティナを、アンティカは意味ありげに微笑んでいる。この女は最初から話なんてする気はない。ここに来たのだって、牽制と戒告。
「そんなに警戒しないで頂戴」
「そうですね。前科がなければ穏やかに話すことができたでしょうね」
はっきり伝えると、アンティカは「ごめんなさい」と謝罪の言葉を口にした。意外な言葉にティナは目を見開いて、アンティカを見た。
「あの時のわたくしはどうかしていたわ。ユリウス様が愛するのは
見下すように謝罪された。
(謝罪か?)
謝罪というより馬鹿にされている感が否めない。
「今度わたくしとユリウス様の婚約が正式に発表されるのよ。
選ばれたのは私だから邪魔しないで。けれど折角だからお祝いの場には呼んであげる。と言う悪意に満ちたおせっかいが見て取れる。
どうやらゼノも今はアンティカの傍にいるらしく、これまた勝ち誇ったように言われた。
正直、誰の元にいようが誰を好きになろうが関係ないが、あれだけ散々ティナを振り回してきた二人がこんな形で裏切って来たことに、怒りを通り越して笑えて来る。
(クソ野郎共)
何がティナだけだ。早速裏切ってるじゃないか。所詮は遊びの一環だったって事だろう?飽きたから本命と婚約ってか?随分といい性格しやがる。
黙ったまま顔を俯かせているティナに、アンティカは堪えていた笑いが込み上げてきた。
「あははははは!!自分が選ばれるとでも思っていたの!?自惚れるのもいい加減なさい。ユリウス様が貴女のような者を選ぶ訳がないでしょう?一時でもユリウス様の傍にいれただけ幸せだと思いなさい」
高々に罵ってくる。
「今日はそれだけ伝えに来たの。これからは、くれぐれも婚約者面なんてしないで頂戴ね」
「負け犬は負け犬らしく大人しく身を引きなさい」ティナの耳元で釘を刺すように言われた。アンティカはそれだけ言うと、満足したのか「ふん」と鼻を鳴らして部屋を出て行った。
扉の閉まる音がティナの耳に聞こえた。
「はぁ~……」
大きな溜息を吐きながら頭を抱えた。最早あの二人の事なんてどうでもいい。多少の恨み辛みはあるが、祝えと言うのならば心の底から祝ってやる。
「…………忘れよう……………」
ティナは肘を付き、真っ直ぐに前を向いて呟いた。