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第29話

 ゼノが姿を消してすぐ──


「…ティナ…」


 消え入りそうな声で名を呼ばれた。振り返ると、扉の前に肩を竦めて立っているユリウスがいた。


 その姿は雄々しい騎士とはかけ離れていて、本当にユリウスなのかと見誤りそうなほど。なんならチョンとつついただけで崩れそう…


 あまりの変貌ぶりに、無断で部屋に入ってきた事を咎める気がすっかり消え失せてしまった。


 ユリウスはティナの顔をまともに見れないようで、顔を逸らしたまま意を決したようにゆっくりと口を開いた。


「鏡台の事…本当にすみませんでした…ギルベルトから聞きました。いくら謝っても償えないと分かってます。私の顔など見たくないと思われても当然です。それだけの事をしてしまいました。でも…」


「それでも、私はティナを諦められない…!!」ようやく目が合ったと思えば、悲痛な表情を浮かべながら自分の想いをぶつけてきた。


「自分でも身勝手な事を言っていると分かっているんです。でも駄目なんです…!!ティナじゃなきゃ…ティナが…!!」


 今まで溜めていた感情を吐き出すように苦しそうに顔を歪め、髪を毟るように強く掴みながら伝えてくる。


 国を護る騎士が他人に易々と弱い姿を見せてはいけない。例え、同じ仲間だとしてもそう。それが副団長クラスとなれば尚更だ。


 だが、分からない。この病的なまでに執着される意味が──


 ここまで執着されると、この人は本気で自分の事を好いているんではないかと勘違いしそうになる。


 ティナもティナで葛藤していた。


 文句のひとつでも言ってやりたいのに、言葉が出てこない。


(いつもなら自然に出てくるのに…)


 まあ、出たところでユリウス相手がこんなでは、ティナの独りよがりになってしまう。


 ティナはユリウスに聞こえるように大きく溜息を吐いた。


「あ~ぁ…もういいです」

「ッ!!」


 その言葉をどう捉えたのか…なんとも分かりやすく絶望の色を滲ませながらティナを見つめてくる。


 その表情が不覚にも面白く、クスッと笑みがこぼれた。


「なんて顔してるんですか?騎士なら騎士らしく堂々としてなさいよ」

「………」


 ユリウスは何も言えないとばかりに顔を俯かせている。本当、しょうもない人…


「いいですか?よくお聞きなさい。私はもう怒ってませんよ。謝罪は要らないと言う意味を込めて『もういい』と言ったんです」


 嘘偽りない言葉だったが、ユリウスは半信半疑。


「まったく…心底面倒臭い人ですね貴方は」


 呆れながら傍に寄ると、自分と目を合わせるように顔を向けさせた。


「私がいいと言ってるんです。この話はもうおしまい。貴方がそんな態度だと、こちらも調子が狂うんで勘弁してください。これ以上ウジウジしているようなら、いい加減殴りますよ?」


 睨みつけながら強い口調で言うと、ようやく強張っていた顔が緩んだ。


「ははッ、ティナがそう言うのなら分かりました。……少し、殴られてみたい気はありましたが……」


 残念そうに微笑むユリウスを見て、通常運転に切り替わったとホッとする一方、やっぱり少し塞ぎこんでいたくらいが丁度良かったかも…と後悔した。


「──……ですが、このままでは私の気が済みません。私に償える事はありませんか?私に出来る事なら何でも仰ってください」


 潮らしく言ってくるので、ティナは顔を輝かせながら「え、それなら」とここぞとばかりに婚約を白紙に戻してもらおうとしたが


「婚約以外です」


 食い気味にいい笑顔で返された。


「そうなるとなぁ……」


 特にない。鏡台はゼノが修復してくれたし、別にユリウスに償ってもらう必要はない。そうは言っても、生真面目なユリウスの事だ。簡単には納得してくれないだろう。


 ティナは暫く考えた後、ユリウスの顔を見上げた。


「そこまで言うのなら仕方ありませんね…ユリウス様。ちょっとしゃがんでください」

「ん?こうですか?」


 目線があった所で、ティナはユリウスの額を思い切り指で弾いた。


「痛ッ!!」


 不意打ちの攻撃に、額を抑え痛がってる。ユリウスが痛みで苦悶している表情なんて早々見れるものじゃない。


 ティナはちょっとだけ優位に立ったような気になって気分が良かった。


「ふふふっ、これでチャラね」


 ティナから受けた痛みなんて可愛いものだ。それよりも楽しそうに笑うティナを見て、ユリウスは嬉しそうだった。


「あ、そうだ。折角だから、ちょっと付き合いません?」


 そういうティナの手にはワインの瓶が握られていた。


 普段なら絶対に言わない台詞だが、今のティナは気分がすこぶる良いい。ユリウスが相手だという事を忘れているのでは?と思うほど穏やかに微笑んでいる。


 ユリウスの方はティナからのお誘いに驚きを隠せないが、このチャンスを逃すまいと「喜んで」と冷静を装いながら応えた。


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