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第75話 手がかり

「その額の宝石……氷人族で間違いなさそうですね」

「どうされた、ミスター・リーバルト、あまり驚いていらっしゃらない様子だが?」

「いえ、驚いていますとも、ミスター・ポウル。ただ、私は氷人族の取引は初めてじゃないだけなのです。あの娘はおおきな取引になりましたとも。いまだ鮮明に記憶に残っているほどに」


 ゼロは眉根をピクッとさせた。オウルは表情を崩さず「ほう」と関心と感心を示した。


「流石はホワイトコースト一番の奴隷商人。その氷人族、どこで手にいれたか聞いても?」

「うちの商会は数年前に皇帝海へ市場開拓にいきましてね。私は遠征に参加しませんでしたが。そこでうちの商会の者が見つけたのです。スルウという群島海域で攫ってきたとか」

「スルウ……か」


 オウルは遠い目をする。

 そこがゼロの故郷なのかわからなかった。


「おや、ご存じないですか、ミスター・ポウル」

「え? あぁ、ちょっと記憶が不確かなんだ、いろんな場所にいってるからさ……げふんげふん、ところでその奴隷、おおきな取引といったが、いくらになったんだい?」

「3億2000万です。いまでも覚えてる。あれはすごかったので」

「3億、2000万……っ⁉ それは、確かにすごい。どこの誰がそんなだしてくれんだい?」

「あぁ、その手には乗りませんよ、ミスター・ポウル」


 オウルは肩を震わせ、ドキッとする。

 緊張感が増していく。


「私を試していらっしゃるのでしょう? 顧客情報はそう迂闊に漏らしません。私は信頼のできる商人なので。うっかり口を滑らせることはありません」


 リーバルトは言って、笑顔を深め、閉じた唇を指でなぞる。緊張がほぐれていく。オウルは「あぁ、そういうことね」と取り繕ってから「流石だ」と称えた。


「しかし、実際、気になるところだよ。その、ほら、うちの子もすごく美人だろう? 今回も負けず劣らずおおきな取引になるよ。以前、その氷人族を買った顧客にはぜひ目を通してもらいたい」

「いかにも。その通りです。時が来て、向こうに意欲があれば繋がせていただきます」


 リーバルトは懐中時計を取り出して、視線を落とす。話はこれで終わりとばかりに。


 先ほどからしきりに時計を気にしていることから、彼がこのあとの用事に意識が向いているのはオウルにもわかっていた。ゆえに彼は逃がすまいと一押しした。


「どういう層が買ってくれるのか興味がある。わたしはルーボス大陸の富裕層には造詣が深いのだが、レ・アンブラ王国の金持ちはよくわかっていないのだ」

「勉強家ですね。そうですね、実際、私も向こう方にはお会いしてません。あのおおきな取引をしてくださったのは内陸から来たお使いの方でしたから。雰囲気から考えるに、まず王侯貴族の使いでしょう。そのうえで財力から推し量るに、第一等貴族以上……でしょうね」

「第一等貴族……なるほど、そこを相手に売りこめれば利益をおおきくできると。いやはや。ミスター・リーバルト、大変に勉強になった」


 オウルは最後まで表情に心の内をださず、ゼロをちらりと見やった。彼女の表情は平静を装っているが、目の前の男にいまにも掴みかかりそうなほどの迫力をもっていた。


(情報をひきだせるのはここまでだ。これ以上は話を蒸しかえすことになる。ゼロの忍耐力も限界が近いし。成果は十分だ。リーバルトは確実にクロ。こいつからゼロの姉を追えるはずだ。顧客情報がまとめられた資料でも見つけられたらいいんだろうけど……簡単じゃないよなぁ。他人の家を漁って望みの情報を得るのは、スパイ映画みたいには上手くいかないと思うし)


「ミスター・ポウル、失礼ながら、先約の商談の時間がきてしまいました」

「あぁ‼ すまない、すっかり熱中してしまったよ‼」


 オウルは表情をおおきく変えて、いま気づいたとばかりに、大袈裟に申し訳なさそうにした。


「あなたと私はとても相性がいい。商談の続きをしたい。ですので、もしお時間が許すのであれば、当屋敷の客間でお待ちいただくこともできます。用事が終わり次第、続きをいたしましょう」


 オウルにとって願ってもいない提案だった。


(考える時間をもらえるなら、ひとまずゼロとラトリスと作戦会議をしよう。このまま情報を引きだすか、それとも手荒な手段を使うか。ここで終わりにするには惜しい。上手くいけばゼロの姉の所在まで掴めるかもしれない)


「では、ぜひ、そうさせてもらおう。私はモフちゃんたちと待っていることにするよ」


 リーバルトはご機嫌そうにうなずき、傍に控えている用心棒へ「客間にご案内しろ」と短く告げた。そろって地下室をあとにする。オウルは去り際に鉄格子の前で立ちどまった。獣人の子供は不安を色濃くもった表情でオウルのことを見つめかえしてきた。


(この子たちをこのままにはしておけない……)


 オウルは何か思いついたように「モフちゃん、こらこら、ここじゃダメだ」と言いながらラトリスを抱きよせた。深い抱擁。突然の愛情表現。

 ラトリスは驚いた様子だったが、意図を察すると師に抱きついて尻尾をフリフリし始める。耳元で囁かれる言葉に意識は向いていた。


「こほん、よろしいですかな?」


 リーバルトは懐中時計を片手に、いちゃつく男女へ言った。

 オウルは油断していた笑顔を取り直して「失礼、モフちゃんは仕方のない子なんだ」とラトリスを撫でて、深い抱擁を終わらせた。道すがらの話題をふる。再び先の話題にもどるには不自然なため、オウルはスマートに別に話題を選出する。


「そうだ、次の商談相手というのはどういう方なんだい?」

「レバルデスの商人ですよ」


 リーバルトの声の調子が低くなっていた。

 表情も冷静さを取り戻している。


「あまり乗り気じゃなさそうだが?」


 リーバルトは煙草をくわえ、火をつける。「わかりますか?」と、言葉をつづけた。


「やつらは強行で好きません。ホワイトコースト商人ギルドを乗っ取り、完全に支配下におこうとしている。できると思っている。やつらにとっては、私の商会すら羽虫と同然。誠実さがない」


(思ったより嫌いそうだな、レバルデスのこと。同調しとくか)


「あぁまったくだ、やつらは気に喰わない。自分たちが法だと勘違いしている」

「その通り、まったくその通りなのです。今回の商談だって、私への圧力掛けです」

「そうなのかい?」

「ジャベリン半島を通って皇帝海へ繋がる販路をレバルデスに捧げさせようとしているのです。うちの大型商船がほしいのだと。血のサインで服従を求めているのです。態度が気に喰わないので、この商談は延期しました。本来は4日前に予定をとっていましたが、リスケさせたのです。あぁ、もちろん、誠意のない相手にだけですよ、こういうことをするのは」


 不機嫌につらつらと語ったあと、リーバルトはポウルへ親愛の笑みを向けた。

 思ったより噴出してくる不満に、ポウルは「そうです、か」と、やや引き気味だ。

屋敷の奥まったところに地下室へ続く通路はあった。そのため奥から客間へ向かうと、屋敷の入り口方面からやってくる者たちとは相対する形となった。


 正面から歩いてくる者たちがいた。

 白い服装の者たち。彼らを案内する使用人。オウルは先ほどの会話から客人の正体を知っていたため、制服たちが「貿易会社の人か」と思うだけだった。


「……ぇ? そんな……」


 怪訝な声をだしたのはオウルではなかった。豪商のはべらせる愛人としての役目に務めていたラトリスだ。彼女は歩みを遅くし、無意識のうちにオウルの手を引いていた。


 違和感を感じ取るオウル。


「どうしたんだい、モフちゃん」


 オウルは怪しげな笑顔のままたずねた。ラトリスは口を半開きにし、驚愕に目も見開いて、正面を見つめていた。


「シャル……?」


 呟かれるのはひとつの名。それは人の名。

 ラトリスにとって意味のある名だった。


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