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第76話 弟子との再会 その2

 廊下の先からやってくるのは3名だ。


 一人目は屋敷の使用人。この悪徳商人リーバルトの家で働いている人だ。


 二人目は白い服を着てカバンを片手にさげている。理知的で計算高そうな顔。話にあった貿易会社の商人かな。


 三人目はちょっと変わっている。輝く金色の美しい長髪、瞳はまるでサファイアのよう。とても美人だ。羽織るのは豪奢な白いマント、被っているのはつばのついた帽子。腰には刺突剣を2本も差しており、ベルトに銃も携帯している。油断のない足取り、重心移動、まるで隙が無い。相当な使い手だと遠目でもわかる。彼女だけ異質だ。商人の付き人といったところだろうか?


 そんなことを思っていると、隣のラトリスが足をとめた。


「しゃ、シャル……?」


 見るからに動揺した様子で、赤い瞳をピクピクさせて、正面を見据えていた。

 何を言っているのか、何に反応を示しているのか、わからなかった。それよりも変な挙動をとっていることが心配だった。リーバルトに怪しまれてしまうぞ。


「ラトリス……?」


 次に困惑した声をだしたのは、不覚にも相手方だった。金髪の美女は目をおおきく見開いて、俺が肩に手をそえているラトリスのことを凝視していた。


 なんだこの空気は。もしかして知り合いなのか。ラトリスの交友関係をすべて把握しているわけじゃないから、俺の知らない友達もいるだろう。でも、こんなタイミングで再会するのか。なんという奇遇。これはマニュアルにない。どうするのが適切だ?


 俺の灰色の脳細胞が高速で回転し、潜入調査と旧友との再会などをおりこんで、どう立ち回るのが正解なのかを導き出そうとしていると──ピタッと計算が止まった。


 我が頭脳の処理能力のほんの片隅で行われていたちいさな計算が、ある答えを弾きだしてしまったからだ。わずかな違和感。金髪少女への既視感。「シャルって懐かしい名前だな」という感想。それらを計算機にいれてちょっと待ってみた結果の解答だ。


 俺にはかつてシャルロッテという名の弟子がいた。例のごとくブラックカース島に漂着した子どものひとりだ。アイボリー道場で引き取り、育て、剣を教えた。金色の髪。蒼い瞳。長く尖った耳。白い肌と高貴な顔立ち。よく教えを聞き、ルールを守り、剣に熱心な子だった。


 ラトリスの口から「シャル」という単語がでた時、関連ワードとしてほんのわずかに想起した程度の可能性が、1秒ごとに確信へと変わっていく。


 10年間。子どもの容姿が変わるには十分すぎるほどの時間。俺は口をあんぐり開けたまま、言葉を紡ぐことができず、行動することもできなかった。


 異邦の商人ポウル・アイボリーとしての自分、再会を懐かしむようなタイミングじゃないこと、かと言ってこの奇跡を無視できないこと、シャルロッテが俺に気づいてくれてなさそうで悲しいこと、でも俺もすぐに気づかなかったし同罪かなぁ──情報が飽和していた。


「これはこれは、ご足労いただきありがとうございます。先日は急用がはいってしまいまして、商談をリスケしていただき大変に助かりました」

「いえいえ、リーバルト殿、お気になさらず。お屋敷にお招きいただきありがとうございます」


 リーバルトと貿易会社の男が挨拶を始めた。


「ゼロ……」


 呟かれる厳粛な声音。

 あぁシャルロッテの声だ。


 蒼い宝石の視線が俺の背後に向いている。彼女はやたらと驚いた様子だ。ん? いまゼロの名を呼んだ? もしかして知っている? いや、待てよ、待て待て待て。俺の脳がこの場がとても危険な状況にあるのかもしれない可能性を算出した。この服装……もしシャルロッテが────、


「っ、その階級章……もしや、そちらの女性は……」


 露骨な動揺をみせるリーバルト。くわえている煙草が緩んで、こぼれ落ちそうになる。対する貿易会社の社員は、ニヤリと笑みを深め、虎の子を披露するかのように得意げに口を開いた。


「ご存知でしたか、リーバルト殿。彼女は当社の治安維持部執行課シャルロッテ主席執行官殿です。凶悪な海賊から海の平和を守っている英雄です。今回はただ警護をしていただいております。レバルデスと貴社のつながりをよく思わない者もいるやもしれない。貴社との取引はとても大事なものと考えております。何か間違いがあったらいけないので同席していただいているのです」


 長々と話す内容は俺の頭にははいってこなかった。はいってきたのは、ただ治安維持部執行課という言葉だ。それはレバルデスの海賊狩りを示す言葉にほかならない。


「ミスター・リーバルト、そちらの女性はどちら様でしょうか?」


 シャルロッテの声。隣の商人に冷や水でもあびせるかのように、彼女は言葉を差しこんだ。


 この場の皆が「え?」という顔になり、彼女の視線の先、ゼロのほうを見やった。


「彼女は懸賞金をかけられている重犯罪者とよく似ているようですが」


 言いながらシャルロッテはラトリスのほうを睨みつけていた。


「あぅ、えっと……」


 言葉に詰まるラトリス。賞金首ゼロの情報はちゃんとシャルロッテの頭のなかにある。俺は知っている。この子は秩序を何よりも重んじる子だと。あれから10年経ち、海賊狩りになっていたのなら、きっと友との再会より、犯罪者の捕縛を優先するだろう。そう感じた。


 事実、シャルロッテは次の瞬間には動いていた。そして消えていた。蒼雷を残して。否、消えたのではない。目で追えなかった。彼女の身のこなしがあまりに速すぎるばかりに。


 うっかりしていた。そうだった。これは彼女の能力。特異性だ。ヂィッという空気が焦げる音、迸る蒼雷の尾──彼女もまた魔力の覚醒者。英雄の器。ある時から彼女は雷の魔力を操るようになり、アイボリー道場でもっとも速い剣士になったのだ。


 それが10年前の出来事。真面目な彼女が10年間研鑽を積んでいたとしたら──。


 全身の毛穴から嫌な汗がにじみだす。予感の告げるままに、俺とラトリスはバッと背後に振りかえる。──シャルロッテはゼロを背後から羽交い絞めにしていた。固く、キツく。


「シャル、待ちなさい‼ その子は悪党なんかじゃないわ‼」

「理由は社で聞きます。あとラトリス、こんなところであなたは何をしているのですか?」


 シャルロッテは軽蔑した眼差しでラトリスと俺を見比べてくる。


「男に媚びて生きることにしたんですか。しかもこんな変なのが好みですか。変わりましたね」

「いやっ‼ あんた誰に向かって……⁉」

「た、助けて、ください……っ」


 ゼロは怯えた表情でもがく。

 拘束は1ミリも緩まない。


「とにかくゼロを離しなさいよ‼ 話はそれからよ、堅物エルフ‼」

「それはできません。この少女は1000万の賞金首です。この場にいる者、皆、動かないでください。犯罪者をかくまっていた可能性がある以上、全員から話を聞く必要があります」

「いっ‼ そ、それは……」


 ラトリスがこっちを見てきた。

 それはまずい。そう言いたいのだろう。俺もそう思う。


 俺たちはすでにゼロを守るためにヴェイパーレックスでひと悶着起こしている。詳しく調べられれば、それこそ俺たちの犯罪が露呈してしまう。それだけはできない。


 俺たちにとれる選択肢はグッと狭まった。何よりもまずはシャルロッテを説得することだが……何はともあれこの状況は非常によくない。タイミングが悪すぎる。


「ん? 待ってください、そっちの変な格好をしている方……」


 あっ、俺? ついに気づいたか? 気づいてくれた⁉ そうだよ、俺はお前の後見人で剣の師オウル・アイボリーなんだ‼ 嬉しいな。これが絆か。時間が経とうともわかってくれるのだ。


「その頭の帽子……ウブラーの影の帽子では? 邪悪な魔力を感じます」

「いや、そっちかい!」

「なぜそれをあなたが……はぁ、事情を説明してもらう方がまた増えましたね」


 そっか、暗黒の秘宝って所有しているだけで犯罪だったっけ。

 シャルロッテはゼロを解放する。涙目のゼロは「へ?」と呆けた表情。バシッ。鈍い音。ゼロの体から力がぬけて崩れ落ちる。首裏への恐ろしく速い手刀。一撃で意識を刈り取った。


 シャルロッテが再び動く。

 俺の懐にするりと入りこんでくる。

 はっや。


 間合いは近距離よりも狭い超近距離。

 掌底で放つのはコンパクトな左フック。

 狙いは俺の顎。正確で素早い。


 シャルロッテの掌底左フックを、彼女の左肘関節に俺の腕をつっかえて、一呼吸分に時間だけ打撃タイミングをずらす。俺は一呼吸分の時間でのけぞり、攻撃からかすめるように逃げた。


 攻撃は終わらない。

 続く右拳のコンパクトな打撃。

 体勢が悪く受け切れない。


 俺は十字ガードを固めた。

 打たれる。すごい衝撃力だ。

 砕け散りそうだ。


 流石は魔力の覚醒者。

 まともに受けてはいけない。


 俺は脱力で衝撃を逃がした。

 俺の身体がふわっと浮いた。


 浮いた体が背後の人間にぶつかる。

 「ぐぁあ‼」と悲鳴があがった。


 リーバルトが巻き添えになった。

 白目を剥いて伸びてしまう。


 脱力で衝撃を逃がしていたせいで、リーバルトにシャルロッテのパンチの威力がいくらか流れたようだ。可哀想に。


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