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第89話 噂の船

 聖歴1430年9月22日


 アンブラ海を南へ進み続けると、南ルーボス海へといたるとのこと。どこかに海域を隔てる線がひかれているわけでもないので、いつから別の海に入ったのか、その海はどう違うのか、素人目にはわからないと思われる。


 ホワール島はヴェイパーレックスの渦潮から3週間ほどの距離にあるらしい。これはいわゆる”普通の船”での目安だ。魔法の力で追い風を受けることができるリバースカース号ならば、もっとはやく着くだろう。


「むう」


 ヴェイパーレックスの渦潮を出航して30分。

 お客さんエイブルがどこかせわしない。


 甲板舷側にずっといて、警戒した様子でうかがっているのだ。俺はあの状態を知っている。よその船にやってきた者は、たいていああいう顔をするのだ。


 先日、旅をともにしたゼロもそうだった。彼女とのアイスブレイクは、ほぼほぼセツが担ってくれた。あの子の太陽のような明るさとモフモフの力でね。。


 今回の相手は、セツでさえ気遅れするガチガチの海の男。厳つさは類をみない。太陽とモフモフなんて通用しないかもしれない。というかセツが先日からビビッており、エイブルと目をあわせるだけで可哀想なことに尻尾の毛が逆立ってしまっている。


 だからこそ、俺はうちの子狐たちをこの顔面も肩幅も凶器なじいさんから守る者として、大人の社交性を発揮することにした。


 どう話しかけようか考えつつ、酒瓶を二本持ってエイブルの近くにいき、うち一本を差し出した。


「なにか気になることでも?」

「……料理人か」


 エイブルは酒瓶をそっと受け取った。


「料理人がいるのはおかしな話だとは聞いていた。そういう船もあるものかと、な」

「あんたのところはいなかったのか?」

「普通はいないものじゃがな」

「まぁそりゃそうか。うちは普通じゃないからな」

「あぁ。綺麗な船だとは思っていたが……まるで昨日海に産み落とされたかのようではないか。本当に美しい船じゃ」


 エイブルはそう言って、手でリバースカース号を示す。視線はブラシを手にスタターっと走りまわっている子狐たちに向いた。今日も元気にお掃除に励み、二本のモフモフした尻尾と大きな耳が揺れる。


 「日々の清掃のおかげじゃろうな。あの歳なのに懸命な子供じゃ」


 エイブルは酒瓶を揺らしながら、どこか優しい表情をする。

 モフモフの可愛い子供は誰の表情でも緩ませることが証明されたな。やはり、モフモフに不可能はないのか。


「あとはミス・ニンフムとミス・メリッサのおかげさ。彼女たちのおかげで船はいつも修理されてるんだ。もしかしたら船そのものの能力かもしれないけど」

「どういう意味じゃ? ニンフム? お前たちは五人のパーティなのじゃろう?」

「あぁ、ゴーレムだよ。いまは下にいるんじゃないかな」

「ゴーレムじゃと?」


 エイブルは動揺した顔つきになる。


「ゴーレムを船に乗せているのか?」

「元から乗ってたんだ。たぶん」

「そんなことあるかのう……」

「本当だって。あとは目の前で船から生えてきたりもしたけど」

「まったく言っている意味がわからんわい……頭がおかしいのか?」

「失礼なじいさんだな。まったく。あっ、ちょうど出て来たぞ」


 言って、俺は下甲板からあがってくるニンフムとメリッサを手で示した。

 美しいもはかなげな少女人形二体に、エイブルは緊張した面持ちになる。


「確かに人間ではなさそうじゃな……むう、なんと奇妙な。ゴーレムを船に乗せている海賊パーティなぞ聞いたことがないが」


 ゼロもそうだったけど、ゴーレムはやっぱり珍しいっぽいな。


「いや、待てよ、もしや……この船」

「ん、どうしたんだ?」

「噂に聞いたことがある。魔法の船は貿易会社の手を逃れ、海賊ギルドに渡ったと。そして、船は獣人の海賊の手に渡ったとか……女海賊の船長だとかで、印象に残る話じゃった」


 エイブルの視線が後部甲板で舵をとるラトリスに向いた。


「もしや、この船はその、魔法の船とやらなのか?」

「たぶん、そうじゃないか? ラトリスは海賊ギルドから買ったっていってたし」

「そうか……なるほど、これが噂の船か。どうりで奇妙なわけじゃな」


 エイブルは感心したように、寄りかかっていた手すりを分厚い手で撫でた。

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