ネフェルが学生寮を飛び出したのは入学式が始まる3時間も前だった。
しかし、それでもネフェルは登校が遅くなってしまったと焦っていた。
真新しい学生鞄を胸の前で抱くと、取る物もとりあえずといった様子で大急ぎで駆け出した。
この時間は部活動の朝練に向かう学生が多く、校内の目抜き通りは早朝にもかかわらず多くの生徒が行き交っていた。
ネフェルはそうした学生の間を縫うように走り、目的地へと急いだ。
しかし学生を一人追い越したと思ったら、すぐにまた別の学生に行く手を阻まれ、ネフェルは川を流れる木の葉のように右に左に翻弄されてしまった。
足がもつれそうになりながらも、それでもなんとか目的地に向かってネフェルは走り続けたが───
「きゃっ! あ、あの、すみませんっ!」
ついにネフェルは三人横並びになってふざけ合っている学生の一人にぶつかってしまった。
ネフェルは十分な距離をとって避けたつもりだったが、相手がふざけ合って不意に進路を変えたので、ネフェルの目測が狂ってしまったのだ。
ネフェルのような新入生が入学式を迎えるこの時期、部活動をしているのはネフェルより年上の先輩ばかりだった。
相手もネフェルの真新しい鞄や制服を見て、自分にぶつかった相手が新入生であることをすぐに察したようだ。
「おいおい。なんだよ一年生。さてはお前、わざと俺にぶつかったな?」
ネフェルがぶつかってしまったリーダー格の男子学生が薄ら笑いを浮かべてネフェルに絡んできた。
「やっぱりそうか。ボクも今のはちょっと不自然だと思ったんだよね」
もう一人の男子学生も同調し、同じ様にネフェルに絡んできた。
「アナタ、ナニしてんのよ。ちゃんと前を向いて歩きなさいよ」
三人組の中で唯一ネフェルと同姓の女学生は、せっかく三人で楽しくはしゃいでいたのに、水を差されて不快感をあらわにしていた。
三人は自分達が往来の真ん中で周りの迷惑も顧みず、ふざけ合っていたことは棚に上げ、からかい半分でネフェルに絡んできた。
「ひょっとしてこの俺ときっかけでも作りたかったのか?」
嫌らしい笑みを浮かべてリーダー格の男子学生がネフェルに顔を近づけた。
「へぇ~。キミ、やるじゃん。だとしたら見る目あるよ。この方は魔界の公爵サタナキア家のご長男バルバトス様だからね」
「す、すみません。あの、違います。本当に急いでいて……。
すみませんでした!」
ネフェルは三人の脇を抜け、逃げ出すように走り出したが、すれ違いざまに腕を掴まれてしまった。
「おい、待てよ! 大丈夫だって、俺は怒ってなんかいないさ。勘違いするな。俺は優しい先輩なんだ。
それよりお前、もっとよく顔をみせろよ。
───へえ。おい。見てみろよアガリプレスト。この新入生、結構かわいいぜ」
「あれ? ほんとだね。まだ一年生だから子供っぽいけど、そこがまたカワイイじゃん」
二人は顔を近づけてネフェルを舐め回すようにジロジロと品定めした。
「バルバトス様、小娘にそのような事を申してはいけません。たいして可愛くもない娘が勘違いをしてしまいますわ」
「リリスも見てみなよ。この娘、お前よりカワイイんじゃないか?」
「あ”っ? クソ兄貴。つまんねぇジョーダンほざいてんじゃねぇぞ。こんな小娘がアタシよりカワイイわけねぇだろが!」
リリスはムキ顔で兄アガリプレストを睨みつけた。
「お前はどこの家の者だ? この学園に入学できたという事は、それなりの地位と財力のある家の者だろ?」
バルバトスがさらに顔を近づけてネフェルに問い詰めてきた。
「わ、私は名乗るほどの者ではありません。あと、本当に急いでいて。すみません、どうか手をお離し下さいっ……」
なんとか腕を離してもらおうとネフェルは抵抗したが、上級生の男子に掴まれた腕は、ネフェルの細腕で振りほどくことはできなかった。
「いいじゃないか。名前くらい教えろよ」
「そうだぞ一年生。公爵家のご長男がこう仰ってるんだ。ちゃんと名乗らないと失礼だぞ」
***
心優「お母様」
ネフ「…………」
心優「あの、お母様」
ネフ「…………。なんじゃ」
心優「えっと……。私はお母様の学生時代のお話しが聴けるのかと思ったんですが、これは誰の学生時代のお話しなのでしょう?」
ネフ「誰もなにも
心優「いやいやいやいや……何を言うかって。だってこの女の子はお母様と全く似ていないじゃないですか。顔は可愛いですし胸も立派ですが、可憐でか弱く、うつむき加減で、今のお母様とは正反対です」
ネフ「失礼なことを言う奴じゃな。おぬしは
心優「お母様の学生時代って何年前のことですか?」
ネフ「そうだな。10年ほど前ではないか?」
心優「10年は短くはありません。しかし、お母様がここまで変貌してしまうのには期間が短過ぎます。お母様、何があったんですか? 次元の狭間に吸い込まれたんですか? それとも誰かと一緒に階段から落ちて身体が入れ替わってしまったんですか?」
ネフ「本当に失礼なことを言う奴じゃな。そんな狭間には吸い込まれておらんし、誰かと一緒に階段からも落ちておらん。
そう云われて私は黙ってお話の続きを聞くしかありませんでした。
でもこの女の子が本当にお母様なのかは信用できず、まだまだ半信半疑でした。